神と人間の仲介者 2005年4月17日 寺岡克哉
私は久しぶりに、「大生命」について再び考えていました。
そうしていたら、大生命は「神と人間の仲介者」なのではないか? という
ことに、新しく気がついたのです。
すこし嬉しい発見だったので、今回はそれについてお話したいと思います。
* * * * *
ところで、「大生命」の話をするのは本当に久しぶりです。だから、すっかり忘れ
てしまった方も、多いのではないでしょうか? そこで今いちど、「大生命」のこと
をすこし思い出してみることにしましょう。
大生命とは、一言でいえば「地球の生態系」のことでした。
大生命は、細菌、プランクトン、植物、動物、人間などを含めた、「地球のすべて
の生命」によって構成されます。
これら地球のすべての生命は、食物連鎖や共生関係などで一つにつながり、
「一つの生命維持システム」を作っています。
この「生命維持システム」、つまり大生命は、広い意味で「一つの生命体」と考え
ることができました。しかもそれは、「自発的な意志」さえ持っています。
その「大生命の意志」とは、地球のすべての生命を生み、育もうとする意志で
す。そうすることによって、この地球に「生命」というものを、永遠に存続させよう
とする意志です。
つまり大生命は、「生命の存在」を肯定し、祝福し、愛しているのです。その、
大生命の大いなる愛を、「大愛」と名づけました。
(上記は結論だけを列挙したので、以前のエッセイを読んでいない方には、話が
強引すぎて納得が行かないかも知れません。上の詳しい話は、エッセイ19および
エッセイ20に書いてありますので、そちらを参照してください。そうすれば納得して
頂けるかと思います。)
大生命は、地球のすべての生命を肯定します。
そしてそれは、私たちも例外ではありません。
私たちは、大生命の「大いなる愛」により、生きて存在することが認められ、
祝福されているのです。
だから私たちは、
「自分は、この世に存在していて良いのか?」とか、
「自分は生きていて良いのか?」などと、
悩み苦しむ必要はありません。私たちは生きている限り、精一杯に生きれ
ば、それでまったく良いのです。
以上が、大生命の思想の要旨でした。
* * * * *
ところで・・・ 以前の私は、「神の存在」を認めていませんでした。
だから私は当初、神の存在を否定するというか、神を必要とせずに生命を肯定
するために、大生命の思想を考え出したのです。
その私の心情は、エッセイ39に書いてあります。それを読んで頂くと分かります
が、以前の私は神に対して、ずいぶんと否定的な態度をとっていました。
しかしその後、大生命の思想だけでは窮屈というか、不満を感じるように
なって行きました。なぜなら大生命の思想は、あくまでも生物の存在とその働き
に、考察を限定しているからです。
たとえば太陽や大地や海は、もちろん生物ではありません。しかしそれらは、
生命に対して多大な恩恵を与えています。そして確かに私たちは、太陽や大地や
海に対して、畏敬の念や感謝の気持ちを持ったり、「大いなる愛の恵み」を感じた
りするのです。
大生命の思想は、そのことに言及できません。それで不満や窮屈さを感じてい
たのです。(ここの詳しい話は、エッセイ75に書いてあります。)
しかも大生命の思想は、そもそも「大生命を生じさせたもの」に対する言及が
まったくできません。
この地球に、「大生命」や「大愛」を生じさせたもの・・・。
「愛と生命」の因ってきたる根源・・・。
私はどうしても、そのような「存在」の必要性に追い詰められて行きました。
そしてついに、「神の存在」を認めざるおえなくなったのです! (その
いきさつは、エッセイ81に書いてあります。)
* * * * *
ところで私は今まで、「大生命の思想は、神の存在を否定する!」と考えて
いました。なぜなら私は、「神の存在を不必要にするため」に、大生命の思想を
考え出したからです。
しかしながら、大生命の思想を追求するにつれて、逆に、神の存在を認めざる
おえなくなって行きました。
つまり、「神の存在など不必要にするため」に考察をつき詰めた結果、逆に
「神の存在を認めざるおえなくなった」のです。
私は長いあいだ、この事実をいまいましく思うのと同時に、とても不思議な感じ
がしていました。どうも今ひとつ、私の頭と心がスッキリとしないのです。
しかし私は今、「大生命は、神と人間をむすびつける仲介者なのだ!」という
ことに気がつき、思考と気持ち(頭と心)にスッキリと折り合いをつけることが出来
ました。
大生命は、神の存在を否定するものではないのです。むしろ、神と人間を結び
つけるものなのです。
大生命は、「大いなる愛(大愛)」の存在を、とても具体的に示します。しかし
それと同時に、「無神論の限界」をも明確に示すのです。大生命はそのようにし
て、「神の必要性」を人間に悟らせるのです。
大生命は、「大いなる愛」を知るための入口であり、「神」を知るための
かけ橋だったのです!
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