「大生命」に受け入れられていること
2002年6月30日 寺岡克哉
このエッセイでは、あなたや私を含めた全ての生命が「大生命に受け入れられて
いること」について、少し詳しく述べてみたいと思います。
まず始めに、あなたや私が「大生命に受け入れられている」といえる根拠として、
次の三つが挙げられると、私は考えています。
(1)大生命は、「地球の全ての生物を含めた生態系」であること。
(2)大生命が、「一つの生命維持システム」であること。
(3)大生命が、広義の意味で、あたかも「一つの生命体」のような機能を有して
いること。
以下、これらについて説明して行きたいと思います。
(1)大生命は、「地球の全ての生物を含めた生態系」であること。
前のエッセイ1で、「大生命」をこのように定義しました。だから「大生命」は、地球
の全ての生物を含む概念です。あなたも私も、「大生命」の中に含まれるのです。
ゆえに、あなたや私が大生命から切り離されることは、「大生命の定義」から言っ
て絶対にあり得ません。
しかしながら、これは「定義」という単なる言葉だけの話ではありません。ちゃんと
した実質的な意味合いもあるのです。それを示したのが(2)と(3)です。
(2)大生命が、「一つの生命維持システム」であること。
これもエッセイ1で述べましたが、ここでもう少し補足の説明をしましょう。
地球の全ての生物は、植物と動物の間での酸素と二酸化炭素の交換、食物連鎖、
共生関係などでつながり、「一つの生命維持システム」を構成しています。
我々がいつも行う「呼吸」を一つ取ってみても、我々と南米アマゾンのジャングルは
つながっています。アマゾンのジャングルは「地球の肺」と言われるほど、地球上に
酸素を供給しているのです。
また、陸上の生物同士だけでなく、海と陸の生物もつながっています。
陸の森林が作った酸素は海水に溶け込み、海の動物に使われます。また逆に、
海の植物が作った酸素も大気中に放出され、陸の動物に使われます。
一方、陸の動物が出した二酸化炭素や、山火事で発生した二酸化炭素も海水
に溶け込み、海の植物の光合成や、サンゴや貝の殻の原料に使われています。
このように酸素や二酸化炭素は、海と陸の生物間においても交換されているの
です。
また、陸の川から海に流れ出した有機物は海の生物に使われ、陸に打ち揚げら
れた海の生物や、海から川をのぼったサケなどは、陸の動物のエサになります。
以上のように、海と陸の生物もつながっているのです。
このように、地球の全ての生物が一つにつながっているのは、「地球」という限ら
れた場所と環境の中で、出来る限りたくさんの多種多様な生物を育もうとするから
です。
例えば「食物連鎖」を考えると、その最初は植物から始まります。植物が草食動
物に食べられ、草食動物が肉食動物に食べられます。だから、地球の全ての生物
を養っているのは植物です。
植物が太陽の光を受け、光合成によって炭水化物を作り、これによって全ての
生物の栄養は支えられています。
つまり地球の全ての生物を養うエネルギー(栄養)は、植物が受けている太陽エ
ネルギーが全てなのです。その限られたエネルギーを、なるべく無駄のないように
全ての生物で分け合って生きています。だから全ての生物は、一つにつながらざる
おえないのです。
植物と動物の間で行われる、酸素と二酸化炭素の交換も同様です。大気中の酸
素や二酸化炭素は無尽蔵ではありません。限られた量の酸素や二酸化炭素を、植
物と動物の間で使い回さなければならないのです。
このように、「地球」という限られた場所と環境の中で、全ての生物は生き
て行かなければなりません。このような状況なので、地球の全ての生物は、
何らかの関係でつながらざるおえないのです。
以上を整理しますと、
大生命は、地球の生物全体で「生命維持システム」を作っていること。
大生命が酸素や食料を供給してくれなければ、個々の生物は絶対に生きられな
いこと。
これらのことから、全ての個々の生物は「大生命」のシステムに組み込まれ、大生
命に受け入れられていると言えるのです。
(3)大生命が、広義の意味で、あたかも「一つの生命体」のような機能を有し
ていること。
これは、「多細胞生物」と「個々の細胞」の関係を例に考えれば、納得してもらえる
のではないかと思います。つまり、「大生命は一つの生命体であり、個々の生物は
大生命の細胞のようなものである」と、考えることが出来るのです。
ところで、「大生命は一つの生命体である!」などと言うと、何やら新興宗教じみ
た感じがしないでもありません。しかし、地球の生態系のことを考察すればするほ
ど、そのことが本当に思えてくるのです。
「多細胞生物」とは、人や動物や草木などの、ごく普通の生物のことです。これら
の多細胞生物は、とても小さな「細胞」というものが、たくさん集まって出来ていま
す。それで多細胞生物というのです。例えばひとりの人間は、約60兆個ほどの細
胞が集まって出来ています。
人体は、脳細胞、筋肉細胞、内臓の細胞、皮膚や髪の毛の細胞など、さまざま
な細胞がたくさん集まって出来ているのです。
ところで、ちょっと信じ難いかも知れませんが、この一つひとつの「細胞」は、ある
意味で「一個の独立した生命体である」と言うことが出来ます。
生物学の培養実験で、栄養や酸素などの条件を整えてやれば、細胞は一個だけ
で生命を維持することが出来るからです。
つまり人間などの多細胞生物は、「細胞」という独立した生命体がたくさん寄り集
まって出来ているのです。
しかし、細胞が独立した生命体だとは言っても、培養実験などの特別な状態でな
い限り、一個の細胞だけでは絶対に生きられません。普通の状態では「人間」という
生命維持システムに組み込まれていないと、個々の細胞は生きられないのです。
肺から酸素を取り込み、その酸素が血液によって全身の細胞に運ばれるから、
それぞれの細胞は生きて行けるのです。
また、口から食物を取り込み、胃で消化し、腸で栄養素を吸収し、その栄養素が
血液によって全身の細胞に運ばれるから、個々の細胞は生きて行けるのです。
一つひとつの細胞は、生命体としては独立しています。しかし「人間」という生命
維持システムに組み込まれていないと、一つの細胞だけでは絶対に生きられない
のです。
「大生命」の場合も、同じように考えることが出来ます。
ひとりの人間、一匹の犬、一頭の馬、一輪の花、一本の木・・・。これら地球上に
住む個々の生物の全ては、大生命の細胞のようなものです。
「個々の生物」という細胞が全部集まって、ひとつの「大生命」を形成しているので
す。
個々の生物は、生命体としては確かに独立しています。飼育実験で栄養や酸素
などの条件を整えてやれば、一個の生物だけでも生きることは出来ます。
しかし大自然の中では、「大生命」という生命維持システムに組み込まれていない
と、一個の生物だけでは絶対に生きて行けないのです。
そして、例えば人間の個々の細胞は、もし細胞に思考する能力があったとしても、
個々の細胞は「人間」の存在を認識することが出来ないと思います。個々の細胞の
視点からでは、「一個の人間」という全体像を把握することが不可能だからです。
細胞が認識できる世界は、隣同士の接近した、ごく少数の細胞だけの世界です。
遠く離れた細胞同士、例えば、髪の毛の細胞と、足の爪の細胞とでは、お互いに
その存在すら認識できないと思います。
「細胞の視点」では、約60兆個もの細胞で「一個の人間」という生命維持システム
を構成していることなど、とても認識できません。しかしながら個々の細胞は、人間
の一部を確かに担っているのです。
「大生命」の場合も、ちょうど同じような関係になっています。
個々の生物の視点では、「大生命」の存在を認識できません。個々の生物が認識
できる世界は、同じ家族とか同じ群れとか、あるいは食うか食われるかと言った、ご
く近傍の直接の関係を持った動物達の世界です。
種も、生息地も異なる生物同士、例えばアフリカのゾウと北極の白熊では、お互い
にその存在すら認識できません。
「個々の生物の視点」では、地球の全ての生物で「大生命」という一つの生命維持
システムを構成していることなど、とても認識できません。しかしながら、これら「個々
の生物」は「大生命」の一部を確かに担っているのです。
我々個々の生物は、「大生命」の全体像を実感としては認識できません。しかしな
がら、「大生命」は地球の生態系として確かに存在しています。酸素や食料を供給す
る生命維持システムとして、「大生命」は確かに存在しているのです。
あなたや私を含めた全ての生命は、「大生命」に完全に受け入れられています。
「大生命」という生命維持システムに受け入れられていなければ、あなたも私も生き
て行くことが出来ないからです。
「あなたや私が今ここで生きている!」という、まさにその事実が、大生命に
受け入れられている絶対的な証拠なのです。
あなたや私は、「大生命」の細胞の一つです。我々自身が、既に「大生命」の
一部なのです。
だから、あなたや私が「大生命」から切り捨てられることは、絶対にありえな
いのです。
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