大生命と神        2003年7月27日 寺岡克哉


 私は以前、エッセイ39で大生命と神との違いについて考察しました。そして、
 大生命の概念は、あくまでも生物の存在と、生物同士の間で行われる作用や働き
に限定していること。
 だから大生命の概念は、人間の自分勝手な思わくや空想を排斥し、実在性と客観
性が保証されていること。
 についてお話しました。(詳しくは、もう一度エッセイ39を見て頂ければ幸いです。)

 この考察は、これで良いのだと今も思っています。
 大生命の思想は、神を使わないで生命を肯定しようとする思想です。だから宗教
アレルギーの人に向いている思想ですし、盲目的に神を信仰するより安全です。
 しかし大生命の概念は、生物の存在とその作用や働きに限定しているので、
それによる限界がどうしてもあるのです。

 それは、私が大生命の思想を考えていた当初から感じていました。というのは、
「生物以外のもの」が生命に与える作用や働きについて、大生命の概念では言及
ができないからです。
 例えば、太陽や大地や水などが生命に与える働きは、大生命の概念では言及で
きないのです。なぜなら太陽や大地や水は、生物の働きによって作られたものでは
ないからです。
 宇宙、時間、空間、物質、太陽、地球、大気、大地、海、水・・・。
 これらのものが存在しなければ、生命は生まれることも、存在することも、生きる
こともできません。
 このように生命は、「生物同士の力だけではどうしようもできない所」から、
色々な恩恵を受けて生きているのです。

 そして、そのことに感謝の気持ちを持ったり、または
 「宇宙や大自然の法則によって、生命が存在することは許されているのだ!」
とか、あるいは
 「自分が今ここに存在していることは、大自然によって認められ、愛され、祝福
されているのだ!」
というような感情が起こったとしても、不思議ではありません。
 少なくとも人間の脳には、宇宙や大自然に対してそのような認識や感情を持つ
メカニズムが存在しているのは事実です。

 ところで太陽や大地や水は、「生命としての意志」を全く持っていません。だから
それらに「愛されている」と感じるのは、実は人間の一方的な思い込みです。
 だからこれは、一種の「信仰」といえるもので、「神の概念」に入りこむ話です。

 例えば動物に限らず、脳を持たない植物や細菌などでも、養分を取ろうとした
り繁殖しようとするような、ある種の「意志」を持っています。つまり、
 「生きたい!」
 「存在し続けたい!」
 「自分と同じ仲間を増やしたい!」
というような、「生命としての意志」を持っているのです。
 そしてまた、地球の生物全体が協力し合い、地球の生命を育もうとする働き。つ
まり大生命の意志(大愛)も、「生命の意志の総体」として実在するものです。

 しかし太陽や大地や水は、「地球の生命を育もう!」とか「生命を愛そう!」という
ような、いわゆる「意志」というものを全く持ちません。
 だから、「太陽の愛」とか「大地の愛」とか「水の愛」というのを考えても、それは実
際には存在しないものです。
 しかしながら人間は、それらに対して「畏敬の念」や「感謝の気持ち」が起こること
も事実なのです。人間にそのような感情や認識が存在することを無視したり、全て
否定してしまうことなど、とても出来ません。
 つまり人間は、「太陽の愛」や「大地の愛」や「水の愛」が実際には存在しなくても、
それらの愛を「感じること」が出来るのです。
 そして事実、太陽や大地や水から、生命は多大な恩恵を受けているのです!

 「神の愛」を感じることは、恋愛などの「片思い」とたいへん良く似ているような気が
します。
 例えば、私がある人に片思いをしたとします。しかしその相手は、私に対して「愛の
感情」を持っているとは限りません。
 さらには、私に対する面識のない人(例えば、アイドル歌手や映画スターなど)への
片思いならば、その相手は私の存在すら知らないでしょう。
 しかしながら、その人が存在するだけで私は幸福であり、その人のことを考えたり、
思い浮かべるだけでも喜びを感じるのです。
 「神」の場合もこれと良く似ています。「神の存在」を実感することが出来れば幸福
であり、神のことを考えたり、思い浮かべるだけでも喜びを感じるのです。

 ところで私は以前、神の認識も「人間の脳」という「生物の働き」なので、神も大生
命の概念に含まれると考えていました。
 しかしこれは、「神が人間を作ったのか、あるいは人間が神を考え出したのか?」
というような議論と同じで、ニワトリとタマゴのような関係になっています。
 この問題に対して、私は現在つぎのように考えています。

 人間が存在しなくても、神は存在します。
 例えば、「宇宙の摂理」とか「自然の摂理」というような神(私はこれらも神の概念
に含めています)は、人間に関係なく存在します。
 しかし人間が存在しなければ、それらが認識されることはありません。
 つまり、人間が存在しなくても神は存在しますが、人間が存在しなければ
神の存在は認識されることがないのです。




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