死は「救い」ではない    2005年6月26日 寺岡克哉


 私は、エッセイ2エッセイ173で、「死は苦しみでない!」と言いました。
 それは、いまの私にできる最大限の考察をした結論であり、それが真実にいちば
ん近いものであると、私は確信をもっています。
 しかしながら、「死は苦しみでない!」ということを、いささか強調しすぎた感があっ
たかも知れません。

 だから、
 「死は安らぎである!」とか、
 「死こそが救いである!」
などと誤解されるのではないかと、すこし心配をしています。

 それで今回は、「死は救いではありえない」ことについて、お話したいと思いま
した。

                * * * * *

 エッセイ2やエッセイ173でお話しましたが、「死」とは認識の存在しない世界で
あり、時間の存在しない世界です。つまり、何億年という長い時間でさえも、一秒
にも感じることのできない世界です。

 この意味で死とは、「生まれる前」や「熟睡」や「昏睡」と、まったく同じ状態である
と言えます。ゆえに死は、「苦しみ」ではあり得ません。死んでしまったならば、苦し
みを感じている閑や時間など、まったく存在しないのです。

 しかし本当は、「死は苦しみでない」と言うことさえも、実はまったく感じる
ことが出来ません!

 だから、
 「死ねば楽になれる!」
 「死ねば苦しみが終わる!」
 「死ねば苦しみが消滅する!」
 「死ねば救われる!」
 などと言うようなことは、「死んでしまった本人」には、絶対に感じることができな
いのです。

 「死ねば楽になれる!」と考えている人は、死後の世界に「楽になった状態」が
存在して、しかもその状態が「死んでしまった本人」に実感できると思っているので
しょう。しかしそれは、全くの幻想にすぎません。
 そしてそれは、「救い」に関してもまったく同様です。死んでしまったら、「救われ
た状態」など存在するはずがないし、「救われた!」などと実感できる訳がないの
です。

 このように、「死後の世界の存在」を認めないならば、死が救いになるはずが
ありません。
 死後の世界を否定しておきながら、死が救いになると思っている人は、話が
矛盾しています。だからそれは、明らかに「思い違い」をしているのです。

 ところで、もしも「死後の世界」を信じているのであれば、
 「自殺をすれば、地獄に落ちて永遠に苦しむ!」とか、
 「自殺をすれば、暗黒の世界を一人ぼっちで永遠にさまよう!」
などという話が、死ぬよりも恐いはずです。自殺をした人間の死後の世界が、天国
や安楽だという話は、聞いたことがありません。それはそれで、自殺の抑止力に
なれば結構なことだと私は思います。

                * * * * *

 ところで・・・
 「安楽死」の場合は、「死」が救いになっているではないか。
 だから「自殺」もそれと同じで、「死」が救いになっているのだ!
と、思う人がいるかも知れません。

 病気の治る見込みがまったく無く、とても大きな痛みや苦しみを、ただ受け続け
ているだけの人・・・。
 しかも近々、絶対に死ぬことが分かっている人・・・。
 そのような人が「安楽死」を選択することは、一見すると、たしかに「救い」になっ
ているように思えます。

 しかし安楽死の場合でも、「これで苦しみが終わる!」と、生きている間に認識
することができる
から、死ぬまでのほんの少しの間だけ、一時的に「救いに似た
状態」が得られるにすぎません。
 安楽死が完了したならば、死んでしまった本人は、「救い」など感じられるはず
がないのです。
 ゆえに「安楽死」そのものは、「本当の救い」には成りえません。だから「自殺」も
同じように、「本当の救い」には成りえないのです。

 安楽死とは、「本当の救い」が不可能なため、一時的に「擬似的な救い」を与える
ことなのだと、私は考えています。
 病気が完治してこそ、「本当の救い」になるのです。しかし、それがどうしても
不可能なので、せめてもの情けとして「擬似的な救い」を与えられることが認め
られるのでしょう。
 それは、もしも病気が治る可能性が残っているならば、いくら病気の苦しみが大き
くても、「安楽死」など絶対に認められないことから分かります。「本当の救い」は、
生きてこそ得られるのです!


 ところで自殺の場合は、それを思いとどまれば、「本当の救い」を得られる
可能性が絶対に存在します。
(本人は、そう思っていないでしょうが・・・ )
 なぜなら自殺を思いとどまれば、生きて「本当の救い」を得られる可能性が、
絶対にゼロではないからです。「救われる可能性」を完全に否定することは、
(たとえ自殺を考えている本人であろうと)誰にも絶対にできません。だから自殺
は、安楽死と同じようには認められないのです。

 安楽死は、どんなに手を尽くしても、絶対に命が助からない場合に行われます。
 しかし自殺の場合は、それを思いとどまれば、絶対に命が助かるのです。
 そして命が助かれば、「本当の救い」を得られる可能性が絶対にあるのです。

 そこが、「安楽死」と「自殺」の決定的に違うところです。

                * * * * *

 愛、優しさ、安らぎ、喜び、幸福、そして救い・・・。
 これらは、「生きている間」にしか存在しません。
 死んでしまったら、それらを実感することも、絶対にできないのです。
 ゆえに、死は「救い」ではありません。
 生きてこそ、「本当の救い」が存在するのです!




            目次にもどる