自殺について          2005年6月12日 寺岡克哉


 最近、自殺系サイトの掲示板などを見たりしているのですが、自殺を考えている
人がとても多いことに、改めて驚かされました。

 いまの社会では、どうしてこんなに、自殺を望む人が多いのでしょう?

 今回はそれについて、私の思うところを率直にお話したいと思います。

 ところで、誤解されると困るので前もってお断りしますが、私は自殺を勧めたり、
自殺を肯定したり、自殺を正当化しようと言うのではありません。今回の話は、
そのように受け取られてしまう恐れもあるのです。
 しかし、これからお話するような考察を抜きにして、つまり「自殺の本質的な背景」
を無視して、
 「とにかく生きろ!」とか、
 「生きることを愛せ!」
 「生命を肯定しろ!」
などと頭ごなしに言っても、自殺を本気で考えている人の心には届かないし、響か
ないと思うのです。

 私は、次にお話するような「自殺の背景」を重々承知した上で、しかしそれでも
なお、「生きることを肯定するため」にエッセイを書き続けているのです。

                 * * * * *

 とにかく、「生きること」は苦しみの連続です!
 とくに、生きることを辛く感じている人には、毎日がまるで拷問のようでしょう。
 長年にわたって「いじめ」や「虐待」を受けていたり・・・
 多額の借金を抱えていたり・・・・
 過労死をするギリギリまで働かされたり・・・・
 体が不自由だったり・・・
 不治の病を患っていたり・・・
 そのような「死ぬよりも辛い苦しみ」を、何年も、ひどい場合は何十年も受け続け
ている人が、世の中にはたくさんいると思います。


 ところが一方、「死」は苦しみではありません!
 エッセイ2でお話しましたが、死とは、「生まれる前」とまったく同じ状態であり、
何億年という長い時間でも、一秒にも感じられない世界です。
 もちろん、「天国」や「地獄」も存在しないし、「暗黒の中の孤独」なども感じること
は出来ません。
 死後の世界では、「苦しみ」や「孤独」を感じている閑や時間など、まったく存在し
ないのです。

 そしてまた、現代では「救急医療」が発達し、呼吸や心臓が止まって意識不明に
なった状態から、蘇生する人が増えています。
 だから、「死とは時間の存在しない状態であり、苦しくも何ともない」ということが、
今後ますます知れ渡ってしまうでしょう。

 事実、私が聞いた話の中にも、呼吸と心臓が止まって意識不明の状態から蘇生
した人がいます、昔の時代ならば、まず間違いなく死んでいたでしょう。原因は明ら
かではありませんが、脳梗塞と心臓病の合併症のようなものだそうです。
 その人の話によると、自宅の階段を上がろうとした時に、とつぜん体に力が入ら
なくなって呼吸ができなくなり、そのまま意識が薄らいで行ったそうです。
 そして気がついたら、救急病院の集中治療室のベッドに寝ていたそうです。意識
が無くなるまでに、とくに「苦しみ」は感じなかったそうです。

 このような「救急医療の発達」により、死は苦しみではないし、死後の世界など
存在しないことが、身近な人の証言として聞けるようになったのです。
 たぶん、睡眠薬や一酸化炭素による自殺未遂をした人も、上の話と同じような
体験をしているのではないでしょうか?


 そして・・・ すべての人間は必ず死にます!
 人間として生まれたからには、いつか死ななければなりません。
 すべての人間が、100パーセント確実に死ぬのです。死を免れることのできる
人間は、この世に一人も存在しません。

 それならどうして、わざわざ苦しみに耐えてまで、生きなければならないので
しょう?
 苦しみながら長々と生きても、今すぐに楽に死ねる方法で自殺をしても、どうせ
死ぬことには、まったく変わりがないのです。
 しかも今では、練炭をつかった一酸化炭素中毒による死などは、苦しくも何とも
ないことが広く知れ渡ってしまいました。

 長く生きれば生きるほど、ただ「苦しみ」を長く受け続けるだけです。
 たとえ、「欲望」や「快楽」をいくら追求したところで、それは他人との衝突や争い
が激しくなるだけで、苦しみが減るどころか、ますます苦しみが増えてしまいます。
 まさに、「生きること」そのものが苦しみであり、「生命の存在」そのものが悪なの
です。

 このように考えてしまうと、この世に生まれないことが最高の幸福であり、不幸に
して生まれてしまった者は、死ぬのが早ければ早いほど幸福であると思ってしまう
でしょう。
 そして「自殺」という手段が、残された唯一の「救いの道」に感じられるのです。

 あとは、
 「誰にも知られずに死ぬのは、やりきれない!」とか、
 「一人で死ぬのは恐い!」
 「一人ぼっちで死ぬのは、さみしい!」
という思いだけが、自殺を決行する唯一の弊害となるのでしょう。
 それで、インターネットを使って「自殺予告」をしたり、「自殺仲間」を捜し求める
ことに狂奔するのだと思います。

                 * * * * *

 ところでまた、以上の考察から、
 自殺をすれば、死ぬ直前の苦しみを永遠に受ける! とか、
 自殺をすれば、暗黒の世界を、一人で永遠にさまよい続ける!
 自殺をすれば、地獄に落ちて永遠の苦しみを受ける!
 自殺をすれば、この次の輪廻で、畜生道などの悪いところに生まれ変わる!
などと言うような「子供だましの誤魔化し」は、もはや通用しなくなったことが分かり
ます。
 だから現代の自殺をする人々は、はじめから宗教をバカにして否定し、まったく
聞く耳をもたないのでしょう。

 やはり、これからの時代は、
 生きることが苦しみであっても・・・
 欲望や快楽の追求が、生きる意義にならないと分かっていても・・・
 死が苦しみでないと分かっていても・・・
 「死後の世界」や「生まれ変わり」など、存在しないことが分かっていても・・・
 そして、どうせいつかは「必ず死ぬ」と分かっていても・・・

 しかしそれでも、生きることには価値があり、意味があるのだ!
という生命観を構築し、それを世の中に広めることが急務のように思います。

 それは簡単ではありませんが、しかしながら可能だと私は考えています。
 人間に、生きる意味を与えるもの。
 人間に、生きる価値を与えるもの。
 人間に、生きる意欲を与えるもの。
 人間に、生きる希望を与えるもの。
 人間に、生きる勇気を与えるもの。
 人間に、生きるエネルギーや生命力を与えるもの。
 人間に、「生きることは素晴らしい!」とか、「生命の存在は素晴らしい!」と
確信させるもの。
 そのような「生命肯定の根源」、つまり「絶対で永遠で普遍的な愛」という
ものが、必ず存在すると私は思っています。

 それを求めて私は、今までエッセイを書き続けてきたのであり、これからも書き
続けるのです。



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