「大生命」と「大生命の木」 2005年5月29日 寺岡克哉
ここのところ「大生命の木」について、よくお話をよくしています。
しかし、以前にお話していた「大生命」と、最近お話している「大生命の木」とは、
一体どこが違うのでしょうか?
今回は、そのことについてお話したいと思います。
「大生命」と「大生命の木」とは、一見すると、単なる「ことばの言い換え」にすぎな
いと思われるかもしれません。
しかしながら、以前の「大生命」の概念から、いまの「大生命の木」の概念に進展
するまで、ほぼ3年の月日を費やしました。(もちろん、そのことばかりを考えていた
訳ではありませんが・・・)
だからそれは、単なる「言葉の遊び」などでは決してありません。
「大生命の木」は、以前の「大生命」に比べて、「生命」というものの概念が、時間
的にも、空間的にも、精神的にも、拡張されているのです。
(今回の話は、エッセイ19とエッセイ168を比較するような考察になります。だか
ら恐れ入りますが、それらを一度も読んでいない方は、先にそちらを見て下さるよう
にお願いします。)
* * * * *
以前の「大生命」という概念は、「多細胞生物」のイメージに、たいへん近いもの
でした。
一個の細菌、一個のプランクトン、一匹の昆虫、一匹の動物、一人の人間、
・・・ 、・・・ 。
これら個々の生物はすべて、大生命の「細胞」のようなものでした。もちろん私も、
大生命の細胞の一つです。そして、それらすべての細胞によって、大生命という
「一つの生命」を作っているのでした。
ところで私は、この「大生命」に対して、それは常に「現在の生命である!」とい
うイメージを持っています。
というのは、ある一つの多細胞生物を見たとき、それは常に「現在の生命」だから
です。
たとえば今の瞬間に、多細胞生物としての「私」を見たとしましょう。そうすると、
それは常に「現在の私」です。なぜなら、「過去の私」と「現在の私」は、決して同時
に存在することが出来ないからです。「過去の私」は、常にその瞬間ごとに消え去っ
て行きます。
これと同じように、多細胞生物としての「大生命」は、つねに「現在の生命」なの
です。
一方、「大生命の木」という概念は、「一本の大きな木」というイメージです。
すべての個々の生物は、大生命の木の「枝」です。もちろん私も、その枝の一つ
です。
そして私は、この「大生命の木」に対して、「40億年前の生命も、現在の生命
も、同時に存在している!」というイメージを持っているのです。
たとえば大生命の木の、根元のいちばん太い「幹」は、40億年前に誕生した
地球で最初の生命体です。
その幹から、
「無脊椎動物」の枝が分かれたのは6億年前。
「魚類」の枝が分かれたのは4億年前。
「両生類」の枝が分かれたのは3億年前。
「爬虫類」の枝が分かれたのは2億年前。
「哺乳類」の枝が分かれたのは6500万年前。
「人類」の枝が分かれたのは600万年前。
そして、現在とおなじ人類である「ホモサピエンス」の枝が分かれたのは、今から
20万年前です。
このように大生命の木は、樹齢が40億年の「一本の木」として、生命の歴史の
すべてを一目で見渡すことが出来るのです。
「大生命の木」という概念は、何億年も前の生命が、現在の生命と同じように存在
しています。そして「現在の生命」は、「過去の生命」と根元の方でしっかりつながっ
ているのです。
だから大生命の木の「枝」としての「私」も、40億年前の木の根元(地球で最初の
生命体)と、しっかりつながっているのです。
このように「大生命の木」という概念は、「私の生命の本体」が40億年前から存在
していることを、直視的に把握できるのです。
これは、40億年前から連綿とつながり、多種多様に分化して行ったDNAの歴史、
つまり生命進化の歴史を、同時刻的にビジュアル化(視覚化)したものだと思って
ください。
以上のように、「大生命の木」という概念は、以前の「大生命」の概念に比べて、
「時間的な概念」が拡張されているのです。
* * * * *
ところで「大生命の木」はまた、「精神の枝」というものを持っています。
これも、以前の「大生命」には存在しない概念でした。
「大生命の木」という概念では、他の人間の精神や、他の人間との精神的な
ネットワークをも、「自分の生命の本体」として考えることができます。
だから釈迦やキリストの精神も、ニュートンやアインシュタインの精神も、そして
他のすべての人々の精神も、「自分の生命の本体」として考えることが出来るの
です。
なぜなら「私の精神の枝」は、それら人類の精神の枝のすべてと、必ずどこかで
つながっているからです。
こうして大生命の木は、人間の精神活動が及ぶすべての世界に、「枝」をはる
ようになりました。
「空間的」には、素粒子や原子などの極微の世界から、140億光年先の宇宙の
果てまで。
「時間的」には、この宇宙がビッグバンによって誕生した140億年前から、現在、
そして未来にまで。
そのように空間や時間を越えて、大生命の木の「枝」は伸びているのです。
「大生命の木」という概念は、「すべての人間の精神活動」をも、ビジュアル化され
ているのです。
* * * * *
このように大生命の木は、「生命」というものの概念が、「現在」という限定された
時間の中にも、「地球」という限定された空間の中にも、もはや閉じ込められては
いません。
「大生命」から「大生命の木」に概念が拡張されたことで、「生命」というもの
が、時間的にも空間的にも広く開放されたのです!
そのことに私は、とても広々とした開放感と、すがすがしい心地よさを感じます。
そして「私の生命」というものも、さらに広く深くなりました。
「私の生命」は、地球のすべての生命と、根元でしっかりと一つにつながってい
ます。
そして「私の精神」も、すべての人々の精神と、必ずどこかで一つにつながって
います。
その、一つにつながった全体が、「私の生命の本体」なのです。
だから私が死んでも、「私の生命の本体」は決して滅びません。
そしてそれは、皆さんにとっても、他のすべての生命にとっても、まったく
同じです。
以前の「大生命」から、「大生命の木」に概念が進展したことで、そのような確信
がさらに強くなりました。
そして以前にもまして、とても穏やかで、とても優しく、とても安心した気持ちになる
ことが出来たのです。
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