大生命の木         2005年5月8日 寺岡克哉


 近ごろ私は、大生命を、一本の「大きな木」としてイメージするようになりました。
 大生命をそのようにイメージすると、「生命」というものの全体像が、実によく
把握できるのです。それを私は、「大生命の木」と呼びたいと思います。
 (「大生命」とは、地球のすべての生命を含めた、地球の生態系のことです。
大生命について初耳だという方は、エッセイ19を参照してください。)

 ところで「大生命」は、約40億年前に、一つの簡単な生命体として誕生しました。
それが繁殖して数をふやし、さまざまな生物に進化し、地球の全体に広がって行き
ました。
 細菌、プランクトン、植物、動物、そして人類・・・。 すべての生物種は、「一つの
生命体」から枝分かれして生まれたのです。そして現在、それらは3000万種を
超えるとも言われるほど多種多様になりました。それらすべてが、「大生命の木」
なのです。

 つまり、「大生命の木」の樹齢は40億年。
 大きさは地球と同じぐらい。(生物は地球の全体に広がっているので。)
 根元のいちばん太い幹が、「地球で最初の生命体」です。大生命の木は、その
幹からどんどん枝分かれして伸びていき、先端の方にある「生物種の枝」は、
3000万本にもなっています。

 その3000万本のうちの一本が、「人類の枝」です。
 「人類の枝」の年齢は、およそ20万年。(現在の人類とおなじ種である、ホモ・
サピエンスが現れたのは、およそ20万年前だと言われているので。)
 一本の「人類の枝」は、さらに「細かい枝」に分かれて伸びており、その先端の
数はおよそ60億本です。(現在の地球人口が、およそ60億人なので。)
 そして「人類の枝」も、地球の全体に伸びています。(人類は、地球の全体に
分布しているからです。しかし、ごく少数の枝は、地球をはなれて月まで伸びた
こともあります。)

                * * * * *

 ところで、今までお話してきたのは、「生物体」の数や分布についてです。
 つまり、大生命の木のうちの、「肉体の枝」といえるものについてです。
 そしてそれは、人間以外の生物でも伸ばしている枝です。たとえば「肉体の枝」
は、動物や植物、さらにはプランクトンや細菌でさえも伸ばしているのです。

 ところが人類だけは、今まで存在しなかった「まったく新しい枝」を伸ばし始めま
した。それは、思考の枝、認識の枝、意識の枝などの、「精神の枝」です。
 「生命」という概念には、生物体(肉体)だけでなく、「生命活動」も含まれます。
だから人類の精神活動も、これは明らかに生命活動の一つであり、大生命の
一部と考えることができます。
 それで「精神の枝」も、「大生命の木の枝」であると言えるのです。

 ところで、この「精神の枝」は、空間や時間をこえて伸びています。
 なぜなら、思考や認識などの「人類の精神活動の対象」は、宇宙の果てまでも
広がり、過去にも未来にも及んでいるからです。
 たとえば、天文学や宇宙物理学の研究により、「精神の枝」は140億光年の
宇宙の彼方まで広がっています。また同様の研究により、「精神の枝」は、この
宇宙がビッグバンによって誕生した当初、つまり今から140億年前の過去まで
伸びています。
 また例えば、人間の精神活動は、自分の将来や、人類の未来を予測し、来る
べき問題やトラブルを解決するためにも向けられています。だから「精神の枝」は
過去だけでなく、未来にも伸びているのです。

 ところで、このような精神の枝の「数」は、いったい何本あるのでしょう?
 それは、地球のすべての人間の、すべての思考、すべての認識、すべての
感情、すべての判断、すべての興味、すべての願望・・・。つまり、すべての人間
の、すべての「意識の数」を意味します。
 たとえば、たった一人の人間でさえ、見るもの、聞くもの、考えること、思うこと、
感じることは、数秒ごとに新しく生じて膨大な数になります。
 だから「精神の枝の数」は、ちょっと想像がつかないぐらいの大きさです。ほと
んど「無限」と言ってよいでしょう。

 今までの話をまとめると、
 約40億年前に芽生えた「大生命の木」は、枝分かれしながら伸びていき、地球
の全体に枝を張りました。そして現在、「生物種の枝」は3000万本にもなってい
ます。
 その中の一本である「人類の枝」は、約20万年前に枝分かれして生えました。
しかし突如として、その枝は空間や時間をこえて伸びはじめたのです。そして
「精神の枝」は、宇宙の果てまでも、過去にも未来にも伸びて行きました。その枝
の数は、ほとんど無限大です。

 それが「大生命の木」の全体像、つまり「生命」というものの全体像なのだと、
私は考えています。

                 * * * * *

 (あなたや)私は、大生命の木の、人類の枝のいちばん先端に生えている、無数
の細かい枝のごく一部です。

 しかし私は、そのような細かい枝のごく一部が「私の生命の本体」ではなく、
大生命の木の全体が、「私の生命の本体」だと思うのです。

 なぜなら「一本の大木」を見たとき、やはり「大木の全体」がその本体であり、
「細かい枝のごく一部」が、大木の本体であるはずがないからです。
 大生命の木の、無数の細かい枝のごく一部、つまり私の肉体や、私の自我意識
は、「私の生命」のほんの一部にすぎないのです。

 つまり「私の生命」とは、地球のすべての生命なのです!
 地球のすべての生命が、「私の生命」なのです!

 だから私は、孤独なはずがありません。
 そして私の肉体が死んでも、「私」は消滅するがずがありません。
 なぜなら、地球のすべての生命が「私」だからです。
 そしてそれは、あなたも、他のすべての生命についても、まったく同様に言える
ことです。
 つまり、地球のすべての生命が、おなじ一つの生命なのです!

 そのように考えると、私はとても嬉しくなり、生きていてワクワクして来ます。



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