「死の実感」についての確信
2020年6月21日 寺岡克哉
もう、18年も前になってしまいましたが・・・
私は、以前に書いたエッセイ2「死について」で、
もしも自分が死んでしまったら、自分は一体どのように感じるのか、
つまり、「死の実感」というものについて、以下のように結論しました。
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エッセイ2からの抜粋
「死後の世界は存在しません!」 また、「死後の世界が存在しない」という
ことも、実は感じることが出来ません。
死後に苦しみは存在しません。また、「死後に苦しみが存在しない」という
ことも、感じることが出来ません。
死んでしまったならば、何百億年という長い時間でも、千分の一秒にも感じ
ることが出来ません。苦しみなど感じている暇も時間も、全くないのです。
天国も地獄もありません。また、「一人ぼっちの暗黒の世界」なども感じること
は出来ません。
以上が、「死」に対する私の考察の結論です。
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ちなみに、どうして私が上のような結論に達したのか、
詳しく知りたい方は「エッセイ2」を読んで頂ければ幸いです。
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ところで、
前回で書きました「麻酔の経験」により、私は「死の実感」について、
さらに一層の「確信」を持つことができました。
今回は、そのことについて書いてみたいと思います。
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さて、
麻酔を受けたときの、私が体験した「実感」というのは、以下のような
ものです。
まず私は、
ふつうの睡眠以外で、「自分の意識が無くなる」という経験をしたことが
ありません。
なので、麻酔が効いてくるとき、どのように自分の意識が無くなっていく
のか、ものすごく興味がありました。
それで、
意識が無くなっていく過程を、しっかりと把握(はあく)したいと思い、
いざ麻酔薬が注入されるときに、私は目をカッと開き、ものすごく意識
を集中させて、待ち構(かま)えていたのです。
ところが!
「だんだん眠くなる」とか、「だんだん瞼(まぶた)が重くなる」とか、
「だんだん目の前が暗くなる」とか、
そのような感覚を、一切(いっさい)感じることが出来ませんでした。
つまり、
麻酔を注入している医師の姿を、目をカッと開いて見ていたら、
その一瞬後に、眠りから覚めたのです。
自分が眠っていたことには、まったく気がつくことができませんでした。
もしも、
麻酔で眠っている間に、ピストルの弾丸で頭をぶち抜かれて、殺された
としたら・・・
私は、自分が死んだことに、まったく気がつくことが出来なかっただろう
と思います。
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以上の体験から、やはり、
「死の実感」というものは、まったく感じることが出来ない(一瞬にも感じ
ることが出来ない)という結論に、
さらに一層の確信を、持つことができた次第です。
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