尖閣ビデオ流出事件 2
                          2010年11月21日 寺岡克哉


 前回のエッセイ456では、

 ユーチューブに流出した、尖閣ビデオ映像「そのもの」が、

 テレビで大々的に報道されたことの「不可解さ」について、

 お話しました。



 しかし、その他にも、

 流出したビデオ映像を見たことによって、

 なんとなく腑(ふ)に落ちないというか、不可解というか、

 筋が通らないというか、胡散臭(うさんくさ)いというか・・・



 つまり、どうも最近の政府のやり方にたいして、

 だんだんと「不信感」に近いものが、湧き起こって来るというか、

 「これから日本は、どんな国になって行くのか?」というような、

 漠然とした不安を感じさせるものがあります。


 今回は、そのことについて、お話したいと思います。


           * * * * *


 まず、私がビデオ映像を見て、はっきりと分かったのは、

 日本の巡視船にたいして、中国の漁船が明らかな意思をもって、

 「わざと衝突してきた」ということです。



 衝突した瞬間には、黒煙が舞い上がり、

 巡視船「みずき」の外板部が、縦およそ1メートル、横およそ3メートル
にわたって陥没しました。

 修理代は、もう1隻の衝突された巡視船「よなくに」と合わせて、
1000万円を超えるということです。



 これはもう、明らかな「犯罪行為」であり、

 公務執行妨害などの「現行犯」として逮捕され、刑事事件として起訴

 されるのが当前です。



 世間でよく言われる「例え話」ですが、この尖閣諸島沖での事件は、

 たとえば日本領内の公道で、警察のパトカーが、不信な乗用車を
取り調べようとして停車を指示したところ、

 いきなり不信車が、わざとパトカーにぶつかってきて、かなりの修理代
が必要なほど、パトカーを破損させたことに相当します。

 普通、こんなことをしたら、

 不審車の運転手は、公務執行妨害や器物損壊の現行犯で逮捕され、
刑事事件として起訴されるのは当たり前でしょう。



 ところが・・・ こんなに明確な犯罪行為なのに、

 那覇地検は、公務執行妨害の容疑で逮捕した「中国人船長」を、

 処分保留のまま釈放したのでした。 まず第一に、これが不可解です。



 そしてまた、

 この中国人船長の釈放にたいして、那覇地検の次席検事は、

 「わが国国民への影響と今後の日中関係を考慮すると、これ以上、
身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当でないと判断した」

 と説明していますが、これも不可解です。

 なぜなら「外交上の判断」というのは、検察官の権限外であり、

 それを検察当局が自ら行うのは、「権限の逸脱(いつだつ)」だから
です。



 しかし、仙谷由人 官房長官は、

 そのような権限の逸脱を、「了とする」と述べて容認しました。

 これも、すごく不可解です。

 こんなことを許してしまったら、今後、検察当局が外交上の問題に、

 どんどん介入するようになるかも知れません。



 たとえば検察が、

 あくまでも国内法では、中国人船長の逮捕・起訴が妥当だと主張して
いたところを、

 外交上の判断による「政治的な介入」により、政府の責任において
釈放したのなら、

 その方がまだ、賛成や反対の世論がいろいろ巻き起こるかも知れま
せんが、

 いちおう筋が通っていると、言えるでしょう。



 ところが仙谷官房長官は、中国人船長の釈放にたいして、

 あくまでも「政治的な介入は無かった」という立場を強調し、

 「官邸などの影響を受けた判断ではなく、検察独自の判断だ」と
しています。



 つまり本当なら、

 政府が責任をもって、「政治的な判断」をしなければならない問題
だったのに、


 そのまま検察に丸投げして責任を放棄し、検察当局の「権限逸脱」
を容認した
のです。

 これでは、いかにも無責任な話だし、さらにそれどころか、すごく危険
な話だと思います。

 (しかし、じつは「政府による介入」があったのに、それを隠している
という可能性も考えられます。)



 そして、

 その「政府の無責任さ」というか「筋の通らなさ」を、

 「国民に隠すため」だとしか思えないように、

 尖閣ビデオを「国家機密扱い」に、するようになったのです。



 ふつう、海上保安庁での一般的な取り扱いとして、

 今回の「尖閣ビデオ」などのような、犯人摘発時の現場映像は、

 組織内で情報を共有するために広く見られたり、

 あるいは、「研修教育用」にも活用されるみたいです。



 そしてまた、海上保安庁は当初、

 たとえば2001年に起こった、北朝鮮工作船との銃撃戦のように、

 ビデオ映像の公開に前向きだったとされています。

 だから、

 もともと「尖閣ビデオ」は、国家機密などではありませんでした。




 ところが、10月18日に急きょ

 馬渕国土交通相が、尖閣ビデオの「厳重管理」を指示したのです。

 この時点から、いきなり「国家機密扱い」になったのだと思われます。



 このとき、

 尖閣ビデオを流出させた本人の、海上保安官だけでなく、

 海上保安庁に務める多くの人々が、

 政府にたいする「不信」や「不満」を、感じたのではないでしょうか。



 そのような状況の中で、「尖閣ビデオ流出事件」が起こったのです。

 映像を流出させた海上保安官は、テレビ局の取材にたいして

 「この映像は、国民には知る権利がある」

 「私がやらなければ、闇から闇へ葬られて跡形もなくなってしまう」

 と、語っていたそうです。



 ところが政府は、

 「外交上の”政治的判断”から逃避したこと。」

 「検察当局に、外交上の判断という”逸脱行為”を許したこと。」

 「なぜ、尖閣ビデオを一般公開しないのか?」

 これらの理由を、国民に丁寧に説明する努力をしないどころか、

 むしろ、それらを覆い隠すためとしか思えないように、

 「機密漏えい」にたいする罰則を、強化しようとしています。



 たとえば、

 仙谷官房長官は、11月8日の衆議院予算委員会で、機密漏えいに
たいする厳罰化を検討する考えを示し、

 また、菅直人首相は11月10日に、政府の情報管理体制を強化する
よう、仙石官房長官に指示しています。



 これら一連の流れを見てくると、

 どうしても私には、「政府にたいする不信感」と言えるようなものが、
湧き起こってしまうのです。

 つまり、

 「秘密主義」というか、国民には何も知らせないで、好きなように国を
動かしたいというか・・・

 ものすごく極端に言えば、情報の管理を強化して、中国のような国に
近づけたいとでも言うような・・・

 そんな、

 なんとも「胡散臭い匂い」が、ぷんぷんと漂ってくるのです。


             * * * * *


 たしかに、

 フジタの日本人社員が、中国当局に拘束されたり、

 レアアースの日本向け輸出が止められたりするなど、

 中国人船長を釈放するかどうかという「政治的な判断」は、絶対に
必要でした。

 しかしそれは、

 政府が責任をもってやるべきであり、決して、検察独自の判断に
任せられる問題ではありません。



 また、尖閣ビデオを流出させた海上保安官についても、

 組織内部で止まっていなければならない情報を、インターネットに
流出させた行為は、

 守秘義務違反としての、刑事責任は問われない可能性があるに
しても、

 職務上の義務違反として、懲戒処分の対象になる可能性はあるで
しょう。



 さらにまた、

 警視庁が作成したとみられる、国際テロ捜査に関する文書が、

 インターネットに流出したという事件も合わせて考えれば、

 「機密漏えい対策」も、これから絶対に必要になるでしょう。



 しかしながら今の政府は、

 やり方が悪いというか、筋が通っていないというか、

 「国民には知らせる必要などない!」

 「国民は知らなくて良いのだ!」

 「政府のやり方に、何も知らない(知らせていない)国民は、
口をだすな!」

 とでも言うかのような態度が、あまりにも見え見えで、

 「どんどん国民の不信を買っている」という感が、どうしても否め
ません。



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