自力と他力 2005年11月13日 寺岡克哉
生きることを辛く感じている人は、何でも「自分一人だけの力」でやろうとして
いないでしょうか?
生きることが辛い人は、自分がうまく生きられない原因を、すべて「自分の責任」
だと感じていないでしょうか?
生きることが辛い人は、
「まだまだ努力が足りない!」
「もっと頑張らなければ!」
と、つねに自分自身を追い詰めていないでしょうか?
* * * * *
どうして、生きることの辛い人は、このようになってしまうのでしょう?
私は、日本の教育や社会風潮に、その大きな原因があるのではないかと感じて
います。
何もできないのは、努力が足りないからだ!
努力さえすれば、何でもできる!
頑張れ! 頑張れ! もっと頑張れ!
家庭でも学校でも会社でも、多くの人々が、このようなプレッシャーにさらされて
いるのではないでしょうか?
そしてまた「受験競争」も、「自分一人だけの力」で戦わなければなりません。受験
競争においては、周りの人間はすべて敵です。
感受性の高い少年期から青年期にかけて、このような殺伐とした環境で育てば、
「何事も、自分一人の力でやらなければならない!」
「頼れるのは自分の力だけだ!」
という考え方や感性が、心の底まで浸透してしまうでしょう。
また、いまの日本では核家族化と小子化がすすみ、大部分の職業がサラリーマン
化してしまいました。
その結果、いわゆる「家業」(小規模農業や手工業など、家族が主体になって行う
自営業)というのがほとんど無くなり、家族が一丸となった「共同作業」というのが
経験できなくなりました。それで家族の一体感が感じられなくなり、親子の会話もなく
なったのでしょう。
また、核家族化とサラリーマン化により、隣近所による助け合いや共同作業もなく
なってしまいました。(たとえば昔の農作業では、田植えや稲刈りなどの忙しいとき
は、隣近所で助け合って「共同作業」をしていました。)
それで今の社会は、他人との関係がうまく築けない人々が増えたのだと思います。
以上のような要因がいろいろと影響して、
お金さえあれば、1人だけで生きていける!
他人の助けなど必要ない!
人間づきあいなど鬱陶しいだけだ!
結局人間は、自分一人だけの力で生きるしかないのだ!
という社会風潮が、横行するようになったのだと思います。
このように、「自分一人だけの力で生きているのだ!」という考え方を、「自力」
と呼ぶことにしましょう。
* * * * *
しかしそもそも、現代社会において「自力」が横行しているのは、物質科学文明
が発展したことが、その根本原因ではないかと思います。
物質科学文明は、自然を制御しようとし、自然を支配しようとします。
人類の生み出した「科学の力」によって、何でもできると思っています。
大自然などの「大いなるもの」の力を借りようとしたり、それに頼ったりすることを
考えません。
あくまでも人類自らの力で自然環境を変え、人類自らの力で生きていこうとします。
それで物質科学文明の進んだ現代社会では、「自力」の考え方が優勢を占める
ようになったのでしょう。
物質科学文明の存在しなかった大昔の時代・・・。つまり狩猟採集や、初歩的な
農業によって人類が生活していたころ。
その頃の人類は、獣や木の実や、魚や貝などが獲れるかどうか、あるいは雨や
日光や気温などの天候がどうなるかという、「人類だけではどうにもならない力」に
すべてを頼り、それにすがって生きていました。
だから大昔の時代は、大自然などの「大いなるもの」の力に頼る「他力」の考え方
や感性が、ごく一般常識として人類全体の心に浸透していたのだと思います。
しかし現代では物質科学文明が発達したために、何でも人類の力でできるという
「自力」の考え方や感性が、大勢を占めるようになったのです。
(以上のように「他力」とは、「他人の力」のことではなく、大いなるものによる「人間
以外の力」のことを言います。)
* * * * *
私は、現代社会では「他力」の考え方や感性を、もういちど見直すべきではないか
と考えています。
なぜなら今の社会がこうまで「生き苦しい」のは、「自力がすべてだ!」(自分の
能力や才能がすべてだ!)と思い込み、「他力」をあまりにも否定してしまったのが、
その原因だと思うからです。
「大いなるもの」に頼る。
「大いなるもの」に身をよせる。
「大いなるもの」に、身も心もすべてを任せる。
「大いなるもの」に抱かれ、守られ、心の底から安心する。
「大いなるもの」に逆らわず、「大いなるもの」の力に助けられて生きる。
「大いなるもの」の力を謙虚に受けとめ、それに感謝し、「大いなるもの」の意志に
従い、それに叶うような生き方をする。
そのような「他力」の考え方や感性を取り入れれば、生きることがだいぶ楽になる
のではないかと思います。
(ところで「大いなるもの」については、エッセイ192とエッセイ193を参照してくだ
さい。)
しかし私は、あまりにも他力本願になって、自分の努力を完全に否定しようと言う
のではありません。
生きて行くためには、「自力」の部分も絶対に必要です。しかしながら人間は、
「自力だけでは生きられない」のも厳然たる事実です。
生きることが辛く感じている人は、「自力」一辺倒になるのではなく、「他力」の考え
方や感性も、すこしは取り入れるべきではないでしょうか。
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