新疆ウイグル問題 1
2021年3月28日 寺岡克哉
3月22日。
EU(ヨーロッパ連合)と、アメリカ、イギリス、カナダの3ヵ国は、
中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区で、人権侵害に関わった
として、
自治区の当局者らにたいし、資産凍結などの制裁を発動しました。
ちなみに、EUが中国に制裁を科すのは、
EUの前身であるEC(ヨーロッパ共同体)が、32年前の1989年に
起こった天安門事件を受けて、武器の輸出禁止の措置を取って以来、
初めてのことです。
なので現在、
とても大きな人権問題が、新疆ウイグル自治区で起こっているの
でしょう。
しかし、お恥ずかしながら私は、
新疆ウイグル自治区というのが、一体どんな場所で、どんな人権
問題が起こっているのか、ほとんど知りません。
だから、この際に、
新疆ウイグル自治区のこと(地理・歴史)や、この地域で起こって
いる人権問題について、
ちょっと調べてみたいと思いました。
* * * * *
まず、
「新疆ウイグル自治区」というのは、1955年に設立された、中国で
最大の自治区です。
その面積は、およそ165万平方キロで、日本の国土面積の4.4倍
にもなります。人口は、2486万人(2018年)です。
首都はウルムチ(2019年の人口は355万2000人)で、中国の
西部における最大の都市です。
新疆ウイグル自治区が存在する場所は、中国の最西端であり、
西はアフガニスタンと接し、南はチベット自治区、北東ではモンゴル
と接しています。
また新疆ウイグル自治区には、40近い石油と天然ガスの採掘地
が存在しており、
その推定埋蔵量は、中国の陸上油田の、およそ3分の1を占める
とも言われています。
* * * * *
つぎに、
この地域における「歴史」を、ざっと見て行きたいと思います。
新疆ウイグル自治区が存在する場所は、古代から「西域」と呼ば
れており、
シルクロードを通して、中央アジアや中国との、経済的なつながり
や文化的なつながりをもち、
いくつもの「オアシス都市国家」が興隆(こうりゅう)していました。
隋、漢、唐の時代には、西域が中国王朝の支配下に組み込まれ、
8世紀から9世紀には、ウイグル族による「ウイグル帝国」が興りま
した。
13世紀にはモンゴル帝国が、17世紀末にはジュンガル族が、
この地域を支配しています。
18世紀の後半になると、中国の清朝とジュンガルが戦った「清・
ジュンガル戦争」の結果、この地域を清朝が支配することになり、
イスラム教徒の土地という意味の「回疆(かいきょう)」とか、新しい
土地という意味の「新疆(しんきょう)」などと、呼ばれるようになります。
清朝の力が衰え始めた19世紀のなかば頃から、反乱が相次ぐよう
になり、
一時は、清朝の影響力を排除した政権も成立しました。
が、しかしながら、清朝によって再征服され、
1884年から、この地域は漢民族が直接支配する「新疆省」となるの
です。
1911年の「辛亥革命」で清朝が倒れた後も、新疆省は引き継がれ、
新しく成立した「中華民国」に属して、漢民族による支配は続きます。
1949年に、「国共内戦」にともなう中国共産党人民解放軍の侵攻
で、中華民国は降伏しましたが、
新疆省は、新しく成立した「中華人民共和国」の支配下になり、
1955年に、「新疆ウイグル自治区」が設立されたと言うわけです。
* * * * *
新疆ウイグル自治区には、もともとウイグル族が、数多く住んでい
ました。
彼らは、4世紀から13世紀にかけて活動していたテュルク系遊牧
民族の子孫といわれており、ウイグル語を話すイスラム教徒です。
しかし1954年以降から、漢民族が大量に流入するようになった
のです。
現在(2018年)の、新疆ウイグル自治区の人口は2486万人で
すが、
このうち漢民族が900万6800人で、ウイグル族が1271万人と
なっており、
まだウイグル族の方が多いものの、漢民族が新疆ウイグル自治区
の人口の、36.2%を占めているのです。
このように漢民族が増えると、インフラの整備が進む一方で、
ウイグル族の伝統的なイスラム信仰や慣習が、虐(しいた)げられる
ようになり、
「人権の弾圧」が深刻な問題になって行きました。
ウルムチ市内には、無数の監視カメラが設置され、
人民警察、公安警察、武装警察、特殊警察、城管と呼ばれる監視員
が展開して、
ウイグル族の行動を管理しているといいます。
* * * * *
申し訳ありませんが、このつづきは次回でやりたいと思います。
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