愛の暴走 2004年1月4日 寺岡克哉
私は今まで、「愛の感情」を高める努力をずっとしてきました。
その結果、「最高の愛の感覚」といえるものを、感じることが出来るようになりま
した。
この「最高の愛の感覚」とは、
「愛する異性とギューッと抱きしめあって、お互いに身も心も一つに溶け合ってし
まいたい!」
というような気持ちを、限りなく高めて行ったものです。
これは、一種の「ハイな精神状態」です。精神が高いレベルの一点にギューッと
集中し、頭の中が真っ白になって、なにも考えられなくなります。
そして、たいへんに大きな「喜び」を感じるのです。例えばそれは、性的な肉体の
快楽と比べてみても、それよりも大きな「喜び」なのです。
それを私は、「神との一体感」とか、「根源的な絶対無」とも呼んでいます。
(「最高の愛の感覚」については、エッセイ62、79、80などでもお話しています
ので、もっと詳しく知りたい方はそちらも参照して下さい。)
「最高の愛の感覚」は、「生命の根源的な喜び」とも言えるものです。
それを感じると、自分が今ここに生きているのがとても嬉しくなり、それが涙が出
るほど有りがたく感じます。
何をやっても楽しく、何の根拠もないのに将来がとても明るく感じられます。
他人や、他の生命のために、自分の出来ることなら何でもしてあげたくなります。
そして、
「生きることは素晴らしい!」
「この地球に、生命が存在することは素晴らしい!」
と、心の底から実感するのです。
* * * * *
ところで、これから先は「高揚した愛」の弊害についてお話したいのですが、現在
ユウウツな気分に悩んでいる方は、この先の話を気にしないで「愛の感情を高め
ること」に努めて下さい。
今はユウウツな気分に悩んでいても、後々には「愛の暴走」に陥る危険もあるか
も知れませんので、ここらでちょっと注意を促したかったのです。
というのも私は最近、愛の感情が「暴走ぎみ」になるので、それで皆さんのことも
少し心配になったのです。
* * * * *
愛の感情も高揚しすぎると、「暴走」してしまうことがあります。
そうなると、「喜び」よりは「苦しみ」を感じるようになってしまいます。
例えば私の場合は、頭の疲れたときなどにボーッと何も考えないでいると、ただ
それだけで、とても大きな愛の感情がとつぜんに押し寄せてくるのです。
それは、理由もなく「愛の感情が襲ってくる」という感じです。
例えば、ユウウツな気分のときに理由もなく不安や焦燥が襲ってくるのと同じよう
に、愛の感情がとつぜんに襲ってくるのです。
頭がジンジンとして、顔がポーッとし、歯が浮いてきます。そしてクラクラと目まい
がしそうになります。また、訳もなく涙ぐみたくなることもあります。
「このままでは気が狂ってしまうのではないか?」と、恐ろしくなるほどです。
それは例えば、素敵な異性と出会ったときや、運よく金を儲けたとき、あるいは
会議や講演会などで壇上に立たされた時などに感じる興奮とも似ています。
とにかく、とてもじゃないけど心がぜんぜん休まりません。
精神がものすごく疲労し、胸がキュンキュンと苦しくなってきます。直ぐにはおさま
るのですが、ドキドキと動悸が激しくなることもあります。
このように愛の感情が「暴走」すると、冷静さを失って、正しい思考や判断ができ
にくくなってしまいます。
他の例にたとえれば、例えば「恋愛」の感情が暴走してしまうと、
「あなたと別れるぐらいなら、あなたを殺して私も死んでやる!」
と、本気で思ってしまうのだと思います。
またあるいは、「神への愛」が暴走してしまうと、
「神の栄光のためならば、自分の死をも厭わない!」
と、本気で思ってしまうのでしょう。
「愛の暴走」をいちど体験すると、恋愛感情のもつれで殺傷事件をおこしたり、
間違った宗教指導者に扇動されてテロや戦争に走ってしまう人々の気持ちが、
実感として分からなくもないような気がしてきます。
愛の感情が暴走してしまうことは、自己否定に陥って自暴自棄になるのと同じぐ
らいに危険です。
「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」というのは、この場合にもよく当てはまると
思います。
今まで私は、愛の感情を高めることに努めてきました。
しかし最近は、愛の感情が高まりすぎると暴走しそうになってしまいます。
そのようなとき私は、座禅をして心を静め、冷静さを取り戻すようにしてい
ます。
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