「新しい自分」の誕生と成長 
                                  2003年11月30日 寺岡克哉


 前回のエッセイ92では、
 私が25歳を過ぎたころに、釈迦やキリストの思想に出会ったこと。
 そして、私の心の中に「人間の良心」や「人の心」が芽生えたこと。
 そのときに、自分の中に「もう一つの新しい自分」が生まれたように感じたこと。
 そしてだんだんと、それまでの「古い自分」が、「新しい自分」の意志に逆らえなく
なって行ったことをお話しました。

 今回はそのことについて、もう少し詳しくお話したいと思います。

 釈迦やキリストに出会い、「人の心」に目覚めること・・・ これはまさに、
「新しい自分」の誕生です。

 釈迦の説いた「慈悲」の教え(エッセイ71)や、キリストの説いた「愛」の教え(エッ
セイ72、73)が、
 「これはすごい!」
 「これこそが、人間のめざすべき本当の真理だ!」
と、心の底から感じるのです。そして、釈迦やキリストとは比べものにならないぐらい
小さなものですが、自分の中にも「愛」や「慈悲」の心が生まれるのです。
 それは何というか、釈迦やキリストの気持ち、つまり「釈迦本人の慈悲」や「キリスト
本人の愛」が、自分の心にも伝わってくるような感じです。
 もちろん、釈迦やキリストの本当の気持ちを、私ごときが完全に理解できるわけが
ありません。しかし、釈迦やキリストの「この世の全てを愛したい!」という気持ちが、
私の心にも伝わってくるのです。
 すこし大げさに言うと、
 「釈迦やキリストの魂が、自分に宿る」
 「釈迦やキリストの霊が、自分に乗り移る」
というような感じです。
 このようにして、自分の中に「もう一つの新しい自分」が誕生します。

 しかし、このときから「古い自分」と「新しい自分」の葛藤がはじまるのです。
 というのは、「古い自分」は今までの自分を守ろうとし、「新しい自分」は今まで
の自分を変えようとするからです。
 この時期には、釈迦やキリストの言葉がとてもいまいましく、悩みと苦しみの元凶
のように感じてしまいます。
 「釈迦やキリストの教えを、まじめに守るなんて馬鹿げている!」
 「そんな教えは、いまどき時代遅れだ!」
 「釈迦やキリストの思想は、理想主義の空論に過ぎない!」
 「世間はそんなに甘くない。釈迦やキリストの教えをいちいち守っていたら、この
せち辛い世の中で生きて行けるものか!」
 「釈迦やキリストがいらぬことを言わなければ、自分はもっと楽に生きられるの
に!」
と、いうような気持ちです。
 「古い自分」にとっては、「新しい自分」がいまいましくて仕方がないのです。

 しかしだんだんと、「新しい自分」の意志に逆らえなくなって行きます。
 なぜなら、釈迦やキリストの教えを守る生き方、つまり「慈悲」や「愛」の心を持つ
生き方すると、心が喜びに満ち、とても楽しく、いつも心が平和であり、毎日の人生
が充実するからです。
 しかし釈迦やキリストの教えに逆らい、他人と言い争ったり、罵ったり、怒ったり、
憎んだり、妬んだり、恨んだりすると、前にもまして「とても嫌な気分」になるのです。
 自分のエゴイズム、つまり「古い自分」が出てくると、心が苦しくなったり、腹立た
しくなったり、イライラするようになります。
 つまり、「古い自分」が嫌いになり、「新しい自分」が好きになるのです。
 このようにして、だんだんと「古い自分」が小さくなっていき、「新しい自分」が大き
くなって行くのです。

 この時期には、テレビなどで報じられる戦争やテロ、殺人などの凶悪な犯罪、
あるいはコマーシャルが煽り立てている、「世の中は物と金が全てだ!」という世間
の価値観が、「とても嫌なもの」や「恐ろしいもの」に感じます。
 というのは、怒り、憎しみ、恨み、妬み、不安、焦燥などが掻き立てられ、「愛」や
「慈悲」の心がかき消されてしまうからです。
 そして、「釈迦やキリストの教えなど、所詮は理想論にすぎない!」と、世の中の全
てが証明しているように思われるのです。
 世間の圧力によって「新しい自分」が押しつぶされ、抹殺されてしまいそうな感じ
です。
 「せっかく”新しい自分”が育って大きくなろうとしているのに、”古い自分”に引きも
どすな!」と、いうような気持ちです。
 とにかく、世の中の全てが腹立たしく(不安の裏返し)、イライラします。
 あるいは、自分の望む世界と、現実の世界に大きな隔たりを感じて、「自分のふが
いなさ」や「無力感」を感じたりもします。

 しかし、「新しい自分」がさらに成長すると、今度は世間の言動にあまり脅え
なくなります。

 釈迦やキリストの正しさに、「確信」が持てるようになるからです。
 戦争やテロ、殺人、幼児虐待、婦女暴行、少女売買春・・・ これらの報道がいくら
なされようとも、それらが釈迦やキリストの教えを否定するどころか、その正しさを
ますます証明しているように思えるからです。
 これらのことが起こるのは、釈迦やキリストの教えを蔑ろにし、「人の心」を失って
いるからに他なりません。
 だから、これらの問題を根本から解決するには、釈迦やキリストの教えを人類に
浸透させること。つまり「愛」や「慈悲」の心を、たとえ何千年の時間がかかろうとも、
人類全体に少しずつ浸透させていくしか方法がないのです。

 そして自分にできる最善のことは、世の中に憤慨したり悲観したりすることでは
なく、
 まず自分自身が、怒りや憎しみの感情をできるだけ持たないようにすること。
 そして毎日ふれあう人々と、できるだけ愛と優しさの心を伝え合い、お互いに
心の平和を喜び合うこと。
 あるいは、ちょっと困っていたり難儀している人が身近にいたら、気軽に声をかけ
たり手を貸してあげること。
 そのようなことこそが釈迦やキリストの意志に叶うことであり、自分にできる唯一
の「愛の実践」、私にとっての「実在する愛」のように思えるのです。

 釈迦やキリストに出会ってから今年で15年・・・ 最近の私は、このように思ってい
るのです。



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