香港はどうなるのか 3
2019年12月15日 寺岡克哉
前回の最初で取り上げた疑問にもどりますが、
香港に住む大半の人々は、民族的には中国人であり、香港は中国
の一部にほかなりません。
それなのに、なぜ香港の人々は、中国政府と激しく対立するので
しょう?
そのことについてですが、
じつは香港人の大半が、自分たちを中国人とは思っていないみたい
なのです。
たとえば、香港大学が行った調査によると、
ほとんどの人が「自分は香港人だ」と考えており、「自分は中国人だ」
という人は、わずか15%だったそうです。
この差は、世代が若くなるほど大きくなり、
2017年の調査によると、18~29歳の回答者うち、「自分は中国人だ」
と答えた人は、たった3%にすぎませんでした。
そして、「なぜ中国人だと思わないのか」という質問には、
自分たちは法的にも、社会的にも、文化的にも(中国とは)違うという
答えが寄せられており、
また、前回のエッセイで取り上げたように、香港は150年もの間、中国
とは切り離された植民地だったという事実も、理由に挙がっています。
前回で書きましたが、「アヘン戦争」という歴史的にも稀(まれ)な「不正
義の戦争」によって、イギリスの植民地にされてしまったのが香港でした。
が、しかし、その後の香港は、活気のある貿易港となり、1950年代には
製造業の拠点として経済成長を遂げたのです。
また、中国本土の政情不安や、貧困、迫害などから逃れた人たちが、
香港に移り住むようにもなりました。
そしてついに、1997年。
香港は、イギリスから中国に返還されることになりました。
そのとき、前もって1984年に、イギリスと中国の話し合いで取り決めて
いた「中英連合声明」に従い、
中国は、一国二制度(1つの国のなかに、社会主義と資本主義の2つ
の制度をもつこと)のもと、
香港では中国の社会主義を実施せず、香港の資本主義は50年間
維持されるとしました。
さらに香港は、外交と国防問題以外では、「高い自治制」が維持され
ることにもなったのです。
そして返還後の香港は、中国の「特別行政区」となり、
独自の法制度や国境をもつほか、「表現の自由」などの権利も保障
されています。
たとえば香港は、中国の国内にありながら、
1989年に起こった「天安門事件」にたいして市民が追悼(ついとう)
できる、数少ない場所になっているのです。
以上のような経緯や背景によって、
香港の人々は、自分たちを中国人とは思っておらず、
中国政府の考え方とは、相容(あいい)れないところが多々あるのです。
* * * * *
ところが!
中英連合声明によって、2047年まで維持されるとした「一国二制度」が、
今ゆらぎはじめています。
たとえば2017年の6月に、中国外交部のスポークスパーソンが定例記者
会見で、
香港は中国の特別行政区であり、香港の事務は中国の内政であることを
主張しました。
また、このスポークスパーソンは、
中英連合声明は中国の香港に対する主権の回復、および過渡期に
ついて定めたものであり、
主権回復から20年経った2017年においては、中英連合声明は歴史
の遺物であり、現実的にはすでに意味をなさず、
中国政府の香港に対する管理にも拘束力を持たないとしました。
その上で、
返還後の香港に対して、イギリスは主権、統治権、監督権を持たない
ことも主張したのです。
さらには、
中国共産党に都合の悪い本を扱っていた香港の書店関係者らの失踪
が相次いで、後に中国で拘束されていたことが判明したり、
中国政府に批判的な外国人の就労ビザを認めなかったりと、中国による
香港の統制が強まっているのです。
* * * * *
ここまで、とても大ざっぱにしか見てきませんでしたが、おおよそ以上の
ような理由、
つまり、これまで香港の人々は、資本主義制度のもとで、比較的自由な
生活をしていましたが、
しかし近年、香港の資本主義を保障している「一国二制度」の維持が、
危(あや)ぶまれるようになり、
さらには、「中国による香港の統制」が強まってきているという恐れから、
香港の人々は、中国政府にたいして激しく反発しているわけです。
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