「人の心」の形成      2003年11月23日 寺岡克哉


 私は、「人間の良心」とか「人の心」というのは、10年も20年もかけて育成し、
形成されるものだと思います。
 なぜそう思うのかと言うと、実は私が、そのような人間だったからです。

 テレビで最近よく報道される、10代の若者が起こす殺人・・・。
 このことに心を痛め、ショックを受けている方も多いかと思います。
 しかし実は私も、10代のときは、人を殺すのをそんなに悪いことだと思っていな
かったのです。

 ・・・この前また、10代の若者がホームレスを襲う事件がありました。とても痛まし
い事件です。
 しかし25年ぐらい前にも、「浮浪者狩り」と称して、10代の若者が同じような事件
を起こしていたのです。
 「社会のゴミをしまつしてやった・・・ 」
 この前の事件と、全く同じような理由でした。
 そのとき中学生だった私はテレビのニュースを見ながら、「なんで社会のゴミの浮
浪者を殺したら悪いのかなあ」と、率直な気持ちで言ったのです。
 そうしたら、「浮浪者でも人間は人間だから、殺したら悪いのだ!」と、父にひどく
叱られた覚えがあります。
 しかしなぜ叱られたのか、そのときの私には正直いって理解できなかったのです。

 それから、ある疑問が私の中に生じました。
 今の世の中は、「何かとても大切なもの」が、すっぽりと抜け落ちているのではな
いか?
 そして自分も、「何かとても大切なもの」が欠けているのではないか?
というような、漠然とした疑問です。
 そんな疑問を、それから10年以上もずっと抱え込んでいました。しかしいくら自分
で考えても、「今の世の中や自分に欠けているもの」が分からずにいたのです。
 そんなとき(25歳を過ぎたころ)、武者小路実篤やトルストイを通じて、釈迦やキリ
ストの思想に出会いました。
 そのことにより、今の社会や自分に欠けているものが、「隣人愛」や「慈悲」である
こと。つまり、「他人への思いやり」とか「人間としての心」であることが、やっと分か
ったのです。

 それから少しずつゆっくりと、私の心が内面から変わっていきました。
 自分の心の中に、「他人を思いやる気持ち」とか、「優しさを大切にする気持ち」が
芽ばえ、それが少しずつ大きくなって行ったのです。
 なんというか、自分の中に「もう一人の新しい自分」が生まれ、それが少しずつ育っ
ていくような感じです。
 その「新しい自分」に「古い自分」が逆らうと、なんとも心が苦しくなるのです。
 そしてだんだんと、「新しい自分」の意志に逆らうことが出来なくなって行きました。
 さらには、殺人や強姦などの凶悪な犯罪に、吐き気をもよおすほどの嫌悪と、身の
毛のよだつような恐怖を感じるようになりました。
 しかし、私がそのような心境になったのは、恥ずかしながら30代になってからなの
です。
 今は、悲惨な事件のテレビニュースが目に入ったり、火曜サスペンスなどの人殺
しのドラマが目に入るのも嫌になりました。
 このような経験から、「人間の良心」とか「人の心」というのは、10年も20年もか
けて育てなければ身につかないと思うようになったのです。

 ところで「妊娠中絶」も、私が10代や20代のころは、そんなに悪いことだと思って
いませんでした。
 「妊娠したら堕ろせばいいじゃん!」
 「しかし、金がかかるのが問題だ」
ぐらいにしか思っていなかったのです。
 しかし30代になると、だんだんと「人生の重さ」とか、「生命の尊さ」などを感じ始め
るようになりました。
 そして、もしも私が胎児のときに中絶されて、「私の人生の全て」が生まれる前に
抹殺されていたかと思うと、ぞっとするのです。
 そしてまた、30代にもなると、子供がとてもかわいく感じてきます。生命力の旺盛
な子供たちを見ていると、自分も楽しくなり元気が出てきます。
 せっかくそのような子供を授かったのに、堕ろしてしまわなければならないなんて、
とても悲しく、たいへん恐ろしいことです。

 自分の体に宿した子供の命を、母親が自らの意志で絶たざるおえない・・・。
 この精神的な苦しみは、男性の私には想像を絶するのです。私だったら、ちょっ
と耐えられる自信がありません。
 例えば、自分の努めている会社が倒産したり、リストラを食らうショックなんか比べ
ものにならないほどの、たいへんに大きな苦しみだと思うのです。
 「望まない妊娠をすれば、傷つくのは女性の方・・・ 」
 この言葉は、私が10代のときから知っていました。しかし、その言葉の重みを心
の底から理解するようになったのは、やはり30代になってからなのです。

 そして実は「戦争」も、昔は「退屈しのぎのお祭り騒ぎ」ぐらいにしか思っていませ
んでした。
 テレビで報道される派手な爆発や戦闘シーンをワクワクしながら見るか、「戦争
で少しは日本の景気も良くなるかな」ぐらいにしか思っていなかったのです。
 しかし今では、
 家や仕事を失って難民になった人々・・・。
 怪我の痛み、飢えや寒さに苦しむ人々・・・。
 子供や家族を失い、大きな悲しみに打ちひしがれる人々・・・。
 そして、手足を失った人々、とくに子供たち・・・ 彼らは、その不自由な体で一生
を生きなければりません。
 これらの苦しみが、私の心に迫ってくるのです。

 これらの苦しみに比べたら、例えば、不登校や引きこもり、うつ病、会社の倒産
やリストラなどの問題が、問題とは感じられなくなってしまうほどの、苦しみと悲惨さ
です。
 今では空爆の映像が目に入ると、その下で何人の人が死に、傷つき、不自由な
体を一生ひきずらなければならないのか・・・。それらのことが頭をよぎり、底知れ
ぬ恐ろしさとおぞましさに、心が苦しくなってしまいます。

 戦争やテロ、殺人、強姦、幼児虐待、飲酒運転や危険な運転による交通事故、
そして妊娠中絶・・・。これらに対して心の底から湧き起こる、嫌悪、恐怖、悲しみ、
苦しみ、そして罪の意識。
 そのような「人の心」は、子供を放っておいて自然に身につくものではないと思い
ます。
 10年も20年もかけて育て上げて行くものであり、また、それぐらいの教育期間
(人生経験)が、どうしても必要なのだと思います。
 なぜなら、人生や生命に対する深い洞察力と理解力が身につかなければ、他人
の人格や生命を尊重しようなどという気持ちが起こらないからです。
 最近は、子供の学力低下が問題にされていますが、私は「学力低下」よりも「心の
低下」の方が、人類社会にとってより深刻な問題だと思うのです。



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