児童虐待に思うこと 2
                                2019年7月7日 寺岡克哉


 私は近年、児童虐待にたいして、とても不寛容(ふかんよう)になってい
ます。

 それは恐らく、死に向かって衰弱していく母親を、目の当たり(まのあた
り)にしたからだと思います。

 そのことについては、以前に書いた「エッセイ783」で紹介していますが、

 今ここに、その部分を抜粋してみます。


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         エッセイ783からの抜粋 (一部改変)


 私の母が末期のガンで死んだとき、日に日に痩せて行くところを、私は
目の当たりにしていました。


 2015年の8月・・・ 

 それまで、手術や放射線治療、さらには色々な抗癌剤を使用しましたが、
いよいよ母の治療手段が尽きてしまい、手の打ちようが無くなってしまいま
した。

 それで病院を退院し、最後の時(とき)が訪(おとず)れるまで、自宅で
療養することになったのです。


 病院を退院したとき、母の体重は41.8キログラムありました。

 ところが、「緩和ケア病棟」に入院する直前の2016年2月には、31.9
キログラムへと、10キロも体重が減ってしまったのです。


 その2015年8月から、2016年2月までの6ヶ月の間・・・ 

 私は、目の前で日に日に痩せていく母を、看(み)続けていたわけです。


 最後の方になると、母の食欲が、ほとんど無くなってしまい、しゃぶしゃぶ
用の薄い肉を、1時間半ぐらい煮込んで、どんなに柔らかく食べやすく調理
をしても、食べてもらえるのは、せいぜい一口か二口ほどに、なってしまい
ました。

 どんなに、どんなに努力をしても、一日、また一日と、母の体重が情け
容赦なく減っていきます。


 2016年の2月になると、母の体重が10キロも減ってしまい、もう私には、
どうすることも出来なくなりました。

 それで私は、主治医の先生に、母の栄養管理に自信が無くなったことを
告(つ)げたのです。

 そして母は、以前から予約してあった「緩和ケア病棟」に入院し、点滴に
よる栄養管理を受けることになりました。

 その後、1ヶ月ほどして、母は永遠の眠りについた次第です・・・ 

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               * * * * *


 このように私は、

 母に、何とかして一口でも多く食べてもらえるようにと、必死の努力を
した経験があるのです。

 それに比べて、お腹(なか)を空(す)かしている子供ならば、

 調理に苦労をしなくても、カレーライスやハンバーグなど普通の料理
を作って出せば、喜んで食べてくれるだろうに・・・ 



 そして私は、

 日に日に痩せていく母を、目の当たりにすると、心配で心配でどうしよ
うもない気持ちになりました。


 が、しかし、子供を虐待している親は、

 やせ細って、衰弱していく子供を目の当たりにしても、何も感じないの
でしょうか。


 これがもし、たとえば普通の親だったら、

 やせ細って、衰弱していく子供を目の当たりにすれば、心が張り裂ける
ほど心配するはずです。



 ところで、私の母の場合は、

 どんなに努力して介護をしても、結局は、死に向かって衰弱していく
一方でした。

 そして私は、そのことに対する無力感や絶望感を、どうしても感じない
ではいられませんでした。


 それに比べて子供の場合は、

 しっかりと食事を与え、普通に面倒を見れば、すくすくと元気に成長し
ます。

 そして親は、そのことに対して「やりがい」や「喜び」を、絶対に感じる
はずなのです。

 それは恐らく、多くの親御さんたちが体験していることでしょう。



 とにかく私は、

 「一生懸命に介護をしたけれど、日に日に痩せて衰弱していく母を
目の当たりにして、どうすることも出来なかった!」


 という、ものすごく「やるせない思い」をしました。


 恐らく私は、そのような体験をしたので、

 ふつうに食事を与えて面倒を見さえすれば、絶対に死ななくて済んだ
子供に対し、

 あえて食事を与えずに餓死させたり、日常的に暴行を加えて殺すという
行為に、

 ものすごく強い怒りや憎悪を、感じてしまうようになったのだと思います。



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