児童虐待に思うこと 1
2019年6月30日 寺岡克哉
児童虐待にたいして、私の思っていることを、包み隠さず率直に
申し上げると、
「子供を虐待して殺した人間(つまり殺された子供の親など)」を、
私は赦すことができません。
「子供を虐待して殺した人間」は、
絞首刑(こうしゅけい)に処(しょ)したとしても手ぬるく、
半年から1年ぐらいかけて、徐々に食事を減らして餓死させるか、
あるいは半年から1年ぐらいの間、毎日のように半殺しになるほど
の暴行を加えてから、最後に治療を施(ほどこ)さずに死なせる。
それぐらいの罰を与えても、当然だと私は思ってしまいます。
(もちろん、そんな罰を与えることは、社会的にも法律的にも許され
ませんが・・・ )
なぜ、私がそのように思うのかと言えば、
虐待された子供たちは、上で述べたような仕打ちを受けたあげくに、
殺されているからです。
「子供を虐待して殺した人間」は、殺された子供と同じ苦しみを受けて
当然だと、私は思ってしまうわけです。
例えば・・・
もしも読者の皆さんの子供が、何者かによって誘拐され、監禁されて、
半年~1年ぐらいかけて虐待され、じわじわと苦しめながら殺されたと
したら、
その犯人を逮捕して、絞首刑に処したぐらいでは、赦すことが出来ない
のではないでしょうか。
殺される側の子供にとっては、
自分の親に殺されるのも、見知らぬ他人に殺されるのも、苦しみながら
殺されることには変わりがありません。
むしろ、
他人に殺されるよりも、親に殺される方が、悲しみや絶望は、さらに大きい
かもしれません。
* * * * *
ところで、これから紹介するのは、
昨年(2018年)の3月に起きた、子供の虐待死事件です・・・
この事件では、
5歳の女の子が、両親から十分な食事を与えられなかった上に、
父親から暴行を受けて殺されました。
2018年の1月下旬ごろから、栄養失調に陥らせた上で、暴行を
加えて虐待し、
病院に連れて行くなどの措置をとらず、3月2日に敗血症で死亡
させたのです。
(事件が起こるまでの経緯をみると、女の子への虐待は、2016年の
8月ごろから、1年半以上にわたり行なわれていたようです。)
5歳児の平均体重は、およそ20キログラムだと言われていますが、
殺された女の子は、死亡時に体重が12キログラムしか、ありません
でした。
犯人である父親は、女の子(実子ではない)に対して、日常的に顔を
殴るなどの暴行を加えていたほか、
午前4時に起きて、ひらがなを書く練習をするように命じていました。
そのため、
殺された女の子は、まだ5歳なのに、ひらがなで文章を書くことが
できたのですが、
以下は、警視庁が証拠品として押収したノートに、女の子が書き
残していたものです。
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パパとママにいわれなくても
しっかりと じぶんから
きょうよりかあしたは
もっとできるようにするから
もうおねがい ゆるして
ゆるしてください おねがいします
もうほんとうにおなじことはしません
ゆるしてきのうぜんぜんできなかったこと
これまでまいにちやってきたことをなおす
これまでどんだけあほみたいにあそんだか
あそぶってあほみたいだから やめるから
もうぜったいぜったいやらないからね
ぜったいやくそくします
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この、殺された女の子の「心の叫び」を、
保存していた新聞の切り抜きから、今ここに打ち直していても、
大きな衝撃に私の体は震え、ひや汗が出てきます・・・
「もうおねがい ゆるして」
「ゆるしてください おねがいします」
5歳の女の子が、こんなに必死になって懇願(こんがん)していたのに、
虐待に虐待を重ね、苦しみを与え続けたあげくに、殺してしまうなんて・・・
ほんとうに、人間の所業(しょぎょう)であるとは思えず、とても赦すことが
できません。
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