元農水次官が長男を刺殺
2019年6月9日 寺岡克哉
6月1日の午後3時半ごろ。
元農林水産省の事務次官だった76歳の男が、
長男(44歳)を刺し殺すという事件が起こりました。
この事件・・・
まだ全容が解明された訳ではありませんが、
疑問に思うことが、次から次へと、たくさん湧(わ)き起こってきます。
今回は、それについて、
少しとりとめのない文章になってしまいましたが、とにかく書き連ねて
みました。
* * * * *
まず、
(財務省でなく)農林水産省とはいえ、「事務次官」というのは事務方
のトップです。
なぜ、そのようなエリート官僚だった人間が、長男を刺し殺すはめに
なってしまったのでしょう?
この人間にとっては、エリート官僚を務めることよりも、長男との円満
な家族関係を築くことの方が、よほど難しい「人生の課題」だったので
しょうか?
それとも仕事が忙しくて、家庭を顧(かえり)みることを一切せず、
その「ツケ」が溜まりに溜まって、どうしようもない状況にまで陥(おちい)っ
てしまったのでしょうか?
また、容疑者の76歳の男は、
「川崎の20人殺傷事件を知り、長男が人に危害を加えるかもしれない
とも思った」という趣旨の供述をしていました。
さらには、被害者の長男が事件の当日に、近所の小学校であった運動
会の音にたいして、「うるせえな、ぶっ殺してやるぞ」と言ったとも供述して
います。
これらのことから、「テレビなどのマスコミ報道」が、事件を起こす直接的
な「引き金」になった可能性も、否定できないのではないでしょうか?
この容疑者の76歳の男は、
「(長男)を刺さなければ、自分が殺されていた」という供述もしています。
自宅では、殺意をほのめかす容疑者のメモが見つかっており、さらには、
容疑者が身を守るために準備したとみられる複数の刃物も見つかってい
ます。
しかしなぜ、こんな「殺すか、殺されるか」の切羽詰まった関係にまで、
状況をエスカレートさせてしまったのでしょう?
被害者である長男は、10年以上前から都内の別の場所に住んでいた
のに、本人の希望で5月下旬に実家に戻りました。そうすると、ふたたび
家庭内暴力が始まったそうです。
容疑者の76歳の男の体には、最近負ったとみられる複数の「あざ」が
ありました。
しかしなぜ、それでも長男と一緒に住んでいたのでしょう?
「殺すか殺されるか」のような切羽詰まった状況の場合、専門機関の力
を借りてでも、すぐに長男を、べつの離れた所に住まわせる(つまり物理的
に隔離する)べきだったのでは、ないでしょうか?
また、容疑者が長男から暴行を受けていたのなら、複数の「あざ」という
証拠もあることですし、警察に長男を逮捕してもらうことで「物理的な隔離」
を行なうことが、出来たのではないでしょうか?
また容疑者の男は、事件を起こす前に、
妻にたいして、長男への殺意をほのめかしており、次に暴力を振るわれ
たら、危害を加える趣旨の話をしていました。
しかし、この妻も、そんな話を聞かされていながら、どうして警察に相談し
なかったのでしょう?
そして、そもそも、
なぜ、もっと早期にうちに、家庭内暴力の専門家なりに相談をしなかっ
たのでしょう?
容疑者が刺し殺した長男は、じつは中学2年生のことから、家庭内で
暴力をふるったり、暴言を吐(は)いていたそうです。
それをずっと、おそらく30年ぐらいの間、適切な対応をとらずに放置し
ていたのでしょう。
これまで30年もの間に、いろいろと出来る対応が、たくさんあったはず
なのに、
この容疑者の男は、ただただ自分だけの独善的な判断で、専門家に
相談するなどの適切な対応を取ろうとせず、
最後の最後になって「自分の子を殺す」という、「もっとも愚劣で最悪の
選択」をしたのです。
なぜ、こんなことになったのでしょう?
子供の家庭内暴力を、専門の機関などに相談することに対して、何か
変なプライドや世間体(せけんてい)などが、邪魔をしたのでしょうか?
それとも、子供の家庭内暴力が職場にバレたら、昇進などに影響したの
でしょうか?
とにかく、事務方トップのエリート官僚だったのならば、
優秀な判断力や分析能力、そして、はば広い人間関係や情報収集能力
などを、間違いなく持っていたはずです。
それなのに、なぜ、
自分の子供の問題に対しては、それらの優秀な能力を少しも応用しよう
とせず、「もっとも愚劣で最悪の選択」をしてしまったのでしょう?
あるいは、もしかしたら、この容疑者の男は、
「自己責任で長男を始末(しまつ)した。これは仕方が無かったし、自分の
決断は間違っていなかった!」とでも言うような、「自負心」さえ持っている
のでしょうか?
* * * * *
以上、
ここまで述べたような疑問が、次から次へと湧き起こって来るのです。
それで私は、この容疑者の男に対して、
あまりにも「独善的」というか、あまりにも「無為無策(むいむさく)」というか、
あまりにも「愚劣」というか、
そのような行き場のない憤(いきどお)りを、感じないではいられないので
した。
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