「祈る」ということ 2003年11月2日 寺岡克哉
私は、「祈ること」が大好きです。
祈ると、悩みや不安が吹き飛んでしまいます。
祈ると、大きな幸福と満足を感じます。
祈っている時が、私のいちばん幸せな時間なのです。
今回は「祈ること」について、私の思っていることや感じていることを、お話した
いと思います。
まずはじめにお断りしたいのですが、私の場合の「祈り」とは、
「お金が儲かりますように」とか、
「恋人が出来ますように」
というようなことを、神にお願いすることではありません。
そしてまた、
「世界が平和でありますように」とか
「全ての人々が苦しみから救われますように」
と祈るのとも、ちょっと違うのです。もちろん、このように祈るときもあるのですが、
ここで私がお話したいのは、これとはちょっと違う「祈り」なのです。
私がいつも祈るときは、心の中で言葉を唱えません。だから「祈り」というよりは、
むしろ「瞑想」に近いのかも知れません。
祈る対象も、「神に祈っていること」になるのかも知れませんが、特に具体的な
「祈りの対象」があるわけではありません。
私の「祈り」とは、「精神を高揚させて、愛の感情を高めること」なのです。
つまり、ある種の「ハイな気分」になるのです。
この精神状態は前にもお話しましたが、最愛の異性や可愛い子供を「ギューッ」と
抱きしめて、
「身も心も完全に一つになってしまいたい!」とか、
「一緒に溶け合ってしまいたい!」
というような気持ちを、限りなく高めて行ったものです。
ちなみに、「神とは愛である」という有名な言葉がありますが、「神を愛する」とは
「愛」を愛することなのでしょう。
私の「祈り」も、「愛」を愛して、愛の感情を無限に高めていくことなのです。
これは例えば、恋愛の場合も「人」に恋をするのではなく、「恋」に恋して、恋心が
どんどんつのることがありますが、それと「心のメカニズム」は同じような気がします。
ところで、私が祈り(瞑想)に入るときの最初は、嬉しかったことや楽しかったことを
思い出したり、素敵な女性や可愛い子供をイメージしたりします。
「祈り」としては少し不純かも知れませんが、私が祈るときの最初は、まずこのよう
にして「愛の感情」を心の中に生じさせます。
このとき、私の心は「キュン」としたり、「ドキドキ」したり、「ワクワク」したりしていま
す。
そして、さらに精神が高揚すると(愛の感情が高まると)、釈迦やキリストの姿を
イメージしたり、「天上で輝く光の世界」などをイメージしたりします。
このときの心の状態は、なんとなく「ジーン」として「とても有り難い気持ち」になり、
目から涙が出そうになったりします。
しかし、さらに精神が高揚して、愛の感情が最高に高まった状態になると、「極度
の精神集中」があるのみで、具体的なイメージは全て消え去ってしまいます。
精神が「ギューッ」と一点に集中して何も考えられなくなり、頭が真っ白になってし
まうのです。しかしながら、頭が「真っ白」とか、「一面に輝く白い光の世界」などと
いうイメージはないのです。
また、それとは逆の「暗黒の虚空」とか、あるいは「暗黒の中で輝く一点の光」など
といったイメージもありません。
とにかく、このときに何かを無理にイメージしようとすると、「最高の精神状態」から
落ちてしまうのです。
しかしながら、「イメージを持たないようにしよう!」と意識をしてしまっても、「最高
の精神状態」から落ちてしまいます。
むしろ心を少し楽にして、心の求めるままに自由にし、自分の心を無理に型に
はめようとせず、ことさらに自分の意識で心を操作しようとしない方が、愛の感情は
どんどん高まって行きます。
ただひたすら、「ギューッ」と感じる「すごく愛したい!」という気持ちを、心の
求めるままに高めて行くのです。
これが、私の言う「愛を愛すること」です。「神を愛すること」と、言ってしまっ
ても良いかも知れません。
「愛が最高に高まった状態」では、頭の中にこれと言ったイメージは全くありま
せん。
しかし、頭や手足がすこし「ジンジン」として、全身が「生命のエネルギー」に満ち
満ちているような感じがします。
また、全身が暖かい空気に包まれているような感じもします。
そして、何かわけの分からない、「とても大きな幸福」に心が満たされるのです。
言葉ではちょっと表現しにくいのですが、心の中に「大いなる無限の喜び」だけ
が存在し、心の中がそれでいっぱいになるのです。
これが、「神を実感すること」の正体ではないかと、私は思っています。
心がユウウツになって、漠然とした恐れ、不安、焦燥、空しさなどを感じるときは、
祈ると「嫌な気分」が吹き飛んでしまいます。そして、心の底から元気が出てきます。
また、つまらないことで怒りや憎しみの感情が込み上げて来たとき(キレそうにな
ったとき)にも、祈ると「我慢ならない気分」が消え去ってしまいます。
・・・私は昔、
「神に祈ったりするのは、弱い人間のすることだ!」とか、
「神に祈るのは、普通の人間のやることではない!」
と思い込んでいました。それで「神」や「祈ること」を拒絶し、自分自身をずいぶん
苦しめていました。
しかし「祈ること」を知った今は、人生がすごく楽しくなり、喜びに満ちるようになり
ました。
「祈ること」によって、
積極的に生きられるならば・・・
怒りや憎しみに打ち勝って、平和に生きられるならば・・・
大きな不幸や悲しみを乗り越えて、生き続けることが出来るならば・・・
それはそれで、たいへんに素晴らしいことだと今は思っています。
「祈ること」の幸福。
「自分が存在すること」への根源的な喜び。
これらを一人でも多くの人に実感してもらいたいと、私は心から願ってやみ
ません。
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