日韓関係が悪化 4
                               2019年2月3日 寺岡克哉


 前回で取り上げましたように、「請求権」というのを細かく見ていくと、

 国民の損害について政府が相手国を追及する「外交保護権」と、

 個人が直接賠償を求める「個人請求権」というのがありました。



 このうち「外交保護権」については、

 日韓請求権協定によって「放棄された」とすることで、日本と韓国の
双方から異論が出ていません。


 しかし「個人請求権」については、

 そもそも日本側が、日韓請求権協定が締結された1965年の当初
から近年になる2007年ごろまで、

 「請求権協定は、個人請求権に影響を及ぼさない」という立場を、
とっていたのでした。


             * * * * *


 ところで、わが国の日本は、

 なぜ、そのような立場をとっていたのでしょう?



 その理由についてですが、

 まず、請求権を互いに放棄する条項は、1951年に締結された、

 「サンフランシスコ講和条約(注1)」にもありました。


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注1 サンフランシスコ講和条約:

 第二次世界大戦において、アメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国
と、日本との間で、戦争状態を終結させるために締結された平和条約。
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 そのため、

 この条約が締結された後に、日本の原爆被害者の人たちが、

 「サンフランシスコ講和条約により、アメリカに対して賠償請求が
できなくなった」として、

 日本政府を相手に、補償を求めて提訴を起こしたのです。



 そうすると日本政府は、

 「(サンフランシスコ講和条約は)自国民の損害について、相手国
の責任を追及する ”外交保護権” を放棄したもの」であり、

 「個人が直接賠償を求める権利に影響はなく、国に補償の義務は
ない」

 という主張をしたのでした。



 さらに1990年代になると、

 韓国人の戦争被害者の人たちも、日本で提訴を始めましたが、

 日本政府は、従来と矛盾する解釈を取ることができず、

 「個人請求権は消滅していない」とする国会答弁を続けており、

 訴訟においても、「日韓請求権協定で解決済み」という抗弁は、
しなかったのでした。



 ところが!

 2000年代になって、重要な争点で国や企業に不利な判決が
出始めると、

 国は、「条約で裁判での請求はできなくなった」という主張に転じた
のです。



 日本の最高裁判所も、2007年の4月。

 中国人強制連行訴訟の判決で、サンフランシスコ講和条約について、

 「事後的な民事裁判にゆだねれば、混乱が生じる。裁判上では個人
請求権を行使できないようにするのが条約の枠組み」

 という判断をしました。



 そして、

 この判例が、日韓請求権協定にも適用されるようになり、

 日本の法廷において、韓国人戦争被害者の権利回復は、不可能に
なってしまったのです。



 以上のような理由によって、

 日本政府は、日韓請求権協定が締結された1965年の当初から、
近年になる2007年ごろまで、

 「請求権協定は、個人請求権に影響を及ぼさない」という立場を、
とっていたのでした。



 ちなみに、2007年の最高裁判決では、

 「(条約は)個人の実体的権利を消滅させるものでなく、個別具体的
な請求権について、債務者側の自発的な対応を妨げない」

 という判断も示しており、関係者が「訴訟以外」の交渉で問題を解決
する道も残しています。


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 ところで、一方の韓国側についてですが、

 じつは日韓請求権協定が締結された当初において、韓国政府は、

 「請求権協定によって個人請求権が消滅した」という立場をとって
いたのです。



 それについては、次回で見て行きたいと思います。



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