命懸けのジャーナリスト
                               2018年11月4日 寺岡克哉


 いちおう私も、文章を書き続けている人間の一人なので、

 ジャーナリストの命が危険にさらされたり、殺害されたりする事件が
起こると、

 ものすごく気になってしまいます。



 たとえば、昨年(2017年)の10月16日には、

 調査報道で知られる著名な女性ジャーナリストが、

 自宅のある地中海のマルタで、自動車爆弾によって殺害されました。



 この女性ジャーナリストは、

 世界の富豪や権力者が、租税回避地を利用しているという実態を
暴露した、

 いわゆる「パナマ文書」の、報道に参加していたのです。


             * * * * *


 そして最近また、


 アメリカに亡命し、鋭く体制を批判していた、サウジアラビアの著名
なジャーナリストが殺害されたり、


 シリアで武装勢力に3年間も拘束されていた、日本人のジャーナリ
ストが、(こちらは幸いにも)解放された


 という報道が、マスコミで大きく取り上げられています。


             * * * * *


 私は、これらの人々にたいして、ほんとうに頭が下がる思いがします。


 なぜなら、

 自分の命が危険にさらされてまでも、真実を追求することなど、私には
とても出来ないからです。

 もしも、何らかの機関や組織や団体などから、少しでも脅(おど)され
たら、私などすぐに怖気(おじけ)づいてしまうでしょう。



 ところで、

 シリアでの拘束から解放された日本人ジャーナリストにたいして、
少なからず非難の声が上がっているみたいです。

 が、しかしながら私は、そのような人も、社会には必要だと思って
います。

 というのは、

 そのような人々の、まさしく命懸けの仕事によって、隠された真実が
明らかにされてきたからです。



 もしも、

 「命懸けのジャーナリスト」が、日本から1人もいなくなってしまった
ら・・・ 

 もしも、そうなったら、

 とても歪(いびつ)というか、不健全というか、独善的というか・・・ 

 そんな国に、日本が成り下がってしまうような気がしてなりません。



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