神にすがって生きること   2003年10月19日 寺岡克哉


 「神にすがって生きるのは、弱い人間のすることだ!」
 このように、無宗教の唯物論者は言うでしょう。

 しかし神にすがって生きるのは、本当に弱いことなのでしょうか?
 私は、ちょっとした苦難や挫折ですぐに自殺をしてしまうよりは、神にすがってで
も生き抜く人の方が、強い人間だと思います。


 ところで「神」は、何千年も昔から現代に至るまで、人類に色々な影響を与えてい
ます。
 それは、この世を生き抜くために「神」の必要な人々が、昔も今も世界中にたくさ
んいるからです。現代においても、人類全体の7割から8割が、何らかの宗教を信
仰しています。これは、否定できない人類の事実なのです。

 たぶん人類は、神を信仰しないよりも信仰した方が、「生存確率が高くなる」のだと
思います。もしもその逆だったら、自然淘汰によって、神を信仰する人間はとっくに
絶滅しているか、生き残っていてもごく少数のはずだからです。
 「神」は、人間個人を苦しみから救い、さらには倫理や道徳の基盤となって社会秩
序を守ります。それで「神の存在」は、人類全体の存続にとって有利に働くのだと思
います。
 確かに「神」は、テロの原因になることも最近はしばしばです。しかしそれでも、人
類全体から見れば「神の存在」は有利に働いているのです。

 これは例えば、「経済(お金)」のことを考えてみて下さい。
 植民地を支配するための戦争。
 強制労働で死んだ人々。
 植民地の獲得競争で、大国どうしが激突した世界大戦。
 資本主義経済と社会主義経済の対立による、世界のあちらこちらで起こった戦争。
 石油資源や鉱物資源を獲得するための戦争。
そしてまた、
 交通事故や公害、原子力発電所などの事故。
 リストラや倒産による自殺。
 借金を苦にしての自殺や、金を得るための殺人・・・。
 今までの人類の歴史で、「経済(お金)」が原因で死んだり殺された人々は、1億人
を超えると思います。とても宗教の比ではありません。
 しかしそれでも、「経済」は人類の存続にとって有利に働いているからこそ、今でも
存在しているのです。

                * * * * *

 私は、人間がこの世を生き抜くためには、「神にすがること」も必要だと考え
ています。

 しかし私が「神にすがる」というのは、自分は何もしないで、ただひたすら神の助け
を願うものではありません。
 また、金儲けのような御利益を願うものでもなく、病気や怪我を一瞬にして治して
もらったり、死者をよみがえらせたりするような、「奇跡」を願うものでもありません。
 私が「神にすがる」というのは、全てを神にやってもらうのではなく、自分が行動
を起こす力を神からもらう
ということなのです。

 例えば・・・
 自分の信念や決心を貫き通す力。
 誘惑や迷いに打ち勝つ力。
 良いことや正しいことを、周囲の批判を恐れずに実行できる勇気。
 あるいは、大きな困難や苦難に合っても、絶望したり自暴自棄にならずに、転機
が訪れるまでじっと耐え抜く力。
 神を、自分の「心の拠り所」や「生きる拠り所」にすることによって、このような力
を神からもらうのです。

 また、「神に全てを委(ゆだ)ねること」により、無益な心配や不安をさけることも、
私の言う「神にすがること」の一つです。
 しかしこれも、自分は何もしないで全てを神にまかせるのではありません。自分の
できる限りのことを全てやったら、あとは神に全てを委ねるということです。

 世の中には、いくら考えても絶対に解決のできないことや、いくら心配しても何の
意味もないことがあります。
 例えば、
 大切な人が怪我や病気に倒れ、生死の境をさまよっているとき。
 子供や家族が、交通事故や不慮の事故に遭わないかどうかという心配。
 自分の将来への漠然とした不安。
 ・・・
 ・・・ 等々。
 このようなことは、自分がいくら心配しても何の意味もありません。そのようなとき
は、自分のやれることを全てやったら、あとは成り行きを全て神に委ねるのです。そ
うすれば、無益な心配や不安から心が救われるのです。

 また例えば、
 自分の過失で人を死なせてしまった・・・
 愛する子供や家族が、病気や事故で亡くなったり、あるいは犯罪や事件に巻き込
まれて殺されてしまった・・・
 戦争や大災害が起こり、たくさんの友人が死んでしまった・・・
 ・・・
 ・・・ 等々。
 このようなことが起こってしまったら、いくら悔やんでも、いくら悲しんでも、どうする
ことも出来ません。そのようなとき、自分のやるべきこと、自分の果たすべき責任を
全て果たした後は、神にすがって「自分の心と命」を救ってもらうのです。

 ところで、「神にすがる心」を悪用し、人々から金をまきあげようと企む者が後を絶
ちません。確かに、それには注意をしなければなりません。
 しかし世の中には、「神にでもすがらなければ、どうにもやりきれないこと」が、どう
しても存在します。
 そのような時に、自暴自棄になって殺傷事件を起こしたり自殺をしたりするより
は、「神にすがってでも正しく生き抜くこと」の方が、人間としてよほど立派なこと
です。

 「神にすがること」は、弱いことでも恥ずかしいことでもありません。
 それは、人生の苦難を乗りこえて生き抜くための、人類の英知なのです。




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