「弱い」ということ 2003年10月12日 寺岡克哉
世の中から虐げられるのは、弱いことでしょうか?
精神的な理由で会社に通えなくなるのは、弱いことでしょうか?
不登校になるのは、弱いことでしょうか?
社会に適応できずに引きこもるのは、弱いことでしょうか?
リストラをされるのは、弱いことでしょうか?
ホームレスになるのは、弱いことでしょうか?
そして、
「弱い」ということは、悪いことでしょうか?
「弱い」というのは、本当に弱いことでしょうか?
今回は、この「弱い」ということについて考えてみたいと思います。
ところで・・・
「生物の世界は、弱肉強食が鉄則だ!」
「強いものが生き残り、弱いものは滅び去るのみ!」
「それは人間の社会も同じだ!」
と、世の中にはこのように考える人も多くいます。特に最近は、経済のグローバル
化にともなって競争原理が広く主張され、その傾向が強くなっているようにも思え
ます。そしてこれは、「生命の事実」をよく表していると言えます。
しかし、はたしてそれだけが「生命の事実」なのでしょうか?
話は急に飛びますが・・・
例えば、4億年前に水から陸に上がった魚たち。
魚は、どうして陸に上がったのでしょうか?
魚にとっては、水の中の方がはるかに住みやすいはずです。陸上では呼吸もま
まならず、体も干からびてしまいます。陸の上は、いつも死の危険がとなりあわせ
です。それなのになぜ、わざわざ危険を犯してまで、魚は陸に上がる気になった
のでしょうか?
証拠はありませんが、魚の中でも特に弱いものや不器用なものたちが、優秀で
強い魚たちから陸に追いやられたのではないか? と、私は思うのです。
水の中は生存競争がとても激しくて、魚の中でも弱くて不器用な者たちは、陸に
逃げるしかなかったのではないか?
そして、「陸上」という新しい環境に適応していくしか、生き残る道がなかったので
はないか?
と、思うのです。そしてその後、「陸上」という新天地で、両生類や爬虫類、鳥類、
哺乳類として、大繁栄を遂げることになったのです。
また話が飛びますが、2億年前の恐竜の時代・・・。
その当時、恐竜は「最強の生物」でした。しかしその後、恐竜は絶滅してしまいま
した。
一方、そのときの哺乳類は、ネズミのような「弱い生物」でした。哺乳類は、恐竜た
ちから虐げられていたのです。しかし現在、哺乳類は大繁栄をしています。
このように、「強いものが生き残る!」というのは生命の事実ですが、「生命の真
理」ではありません。それは、生命の事実の一面にすぎないのです。
「最強の生物」というのは、一見するとたいへん強く見えます。しかし本当は、とて
も脆弱なのです。
なぜなら「いちばん強いもの」は、周囲の環境が一変すれば「いちばん弱いもの」
になってしまうからです。
これも生命の事実なのです。「いちばん強いもの」とは、いちばん効率がよく、いち
ばん無駄がなく、その環境に適応しているものです。
だから「いちばん強いもの」には、「遊び」というか「ゆとり」というか、環境の変化に
対する「余裕」が全くありません。それで、ちょっとした環境の変化にも耐えられずに
絶滅してしまうのです。
逆に「弱いもの」は、周囲の環境に完全には適応していません。完全に適応してい
ないから、色々と効率の悪いところや不器用なところがあり、強くなれないのです。
しかしそれだからこそ、逆に周囲の環境が少しぐらい変化しても、生き残ることが
できるのです。
周囲の環境が変われば、「弱いもの」は強いものにとって代われる可能性が十分
にあるのです。
あるいは陸に上がった魚のように、「弱いもの」が虐げられ、生きづらい環境に追
いやられても、その新しい環境で生き抜くことができれば、大繁栄を遂げることがで
きるのです。
そしてこれは、現代の人間社会にもそのまま当てはまると思うのです。
というのは、例えば一流大学を出て、一流企業に入ったいわゆる「エリート」たち
には、ちょっとした挫折にも耐えられないような、非常に弱いところもあるからです。
また、自由に身動きがとれなくなった「巨大企業」は、時代の変化について行けず
に倒産してしまうことがあるからです。
リストラで失業してしまった人々。
不登校や引きこもりになってしまった人々。
ホームレスになってしまった人々。
社会からつまはじきにされ、虐げられている人々・・・。
確かにこれらの人々は、「社会の標準的な生活」ができずに、たいへん苦しんで
います。精神的な苦悩もたいへん大きく、いつも自殺の危険ととなりあわせの人も
少なからずいるかと思います。
しかしこのような人々は、人生の矛盾や社会の矛盾をたいへん強く実感し、日ご
ろから色々と深く考えている人々です。
だから、普通の人が考えつかないことを考えたり、普通の人には気がつかないこ
とに気がついているかも知れません。
つまりこのような人々は、「社会の標準」からはずれても生き抜くノウハウをすで
に持っていたり、あるいはそれを構築しつつある人々なのです。
だから、ちょっとした挫折で自殺をしてしまうようなエリートや、過労死や過労自殺
をするまで働いてしまうような人々よりも、生命の「したたかさ」を感じるのです。
私は、「社会に適応できない人間」が本当に弱いとは思っていません。
本当に弱いのは、一見すると非常に強そうなのに、「社会の標準」から少しでもは
ずれるとすぐに生きて行けなくなるような、「社会に適応しすぎた人間」なのです。
一見すると弱々しく見える「社会に適応できない人々」の中から、次の時代を背負
って立つ人間が出てきても、全くおかしくはないのです。
陸の上に追いやられた魚のように・・・。
恐竜の時代に、虐げられていた哺乳類のように・・・。
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