恩師を偲んで
2017年2月12日 寺岡克哉
私の恩師である、丹生 潔(にう きよし)先生が、
1月30日に亡くなりました。
享年91歳でした。 心からご冥福をお祈りします・・・
* * * * *
丹生先生は、名古屋大学の名誉教授で、
素粒子物理学の実験研究を行ってきた方ですが、
私にとって、ものすごく憧(あこが)れの人でした。
かつて私が、
弘前大学の修士課程から、名古屋大学の博士課程に
進学したのも、
じつは丹生先生に憧れていたからでした。
私が、そこまで憧れたのは、
丹生先生はノーベル賞を超えた、「超ノーベル賞級」の
科学者だと、
心の底から思っていたからです。
どうして私が、そのように思っていたかというと、
1974年に、サミュエル・ティンと、バートン・リヒターという2人の
科学者が、
「チャームクォーク(注1)を含む素粒子」を発見して、ノーベル賞
を受賞しましたが、
丹生先生は、それより3年も早い1971年に、チャームクォーク
を含む素粒子を、すでに発見していたからです(注2)。
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注1:チャームクォーク
陽子や中性子などの素粒子は、さらに小さな(基本的な)「クォーク」
という粒子から出来ていますが、このクォークには、
アップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジクォーク、チャームクォー
ク、ビューティークォーク、トップクォークの、6種類があります。
1970年代の初頭では、アップ、ダウン、ストレンジの3種類の
クォークしか知られておらず、
第4のクォークである「チャーム」の発見は、素粒子物理学の世界
において、ものすごく画期的な出来事だったのです。
注2:
丹生先生たちの研究グループは、チャームクォークを含む素粒子
の発見について、1971年の国際学会で発表しています。
しかしながら、人工的な「加速器」ではなく、自然の「宇宙線」による
実験であり、また、見つかった事例も1例しか無かったため、当時の
研究者たちを納得させるまでには至りませんでした。
近年では、「丹生先生がチャームクォークの発見者である」という
認識が、世界的に定着しつつあります。
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つまり、
丹生先生よりも3年遅れた研究が、ノーベル賞を受賞したのです。
だから私は、丹生先生が「超ノーベル賞級」の科学者であると、
心の底から思っていたわけで、
それは、いま現在でも変わらずに、私はそのように思っています。
* * * * *
ちなみに、
定年を迎えて、教授職を後輩に譲(ゆず)った後の丹生先生は、
私が名古屋大学の研究室を去るころには、大学院生と同じ部屋で
机を並べていました。
それが実は、私と同じ部屋であり、私の左隣が丹生先生の机だっ
たのです。
丹生先生は、とても人当たりの良い方(かた)ですが、
「研究に対する真剣さ」を、強いオーラのごとく発する人でした。
それで私は、丹生先生を前にすると、ついつい緊張してしまうと
いうか、いつも気が引き締まっていました。
(私は、益川敏英さんとも、名古屋大学でお会いしたことがある
のですが、益川さんを前にしている時の方がリラックスできたぐらい
です。)
以上のように、私にとって丹生先生は、
ものすごく「憧(あこが)れ」の人であり、また、「緊張」の人でもあり
ました。
そのような方と、一時(いっとき)でも机を並べることができて、その
背中を見つづけることが出来たのは、
私の人生においても、他に例がないほど、たいへん光栄なことであり、
その体験が、今では「私の人生の宝物」となっています。
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