生命の「肯定」 27
                              2016年5月22日 寺岡克哉


 前回は、第2部・第5章の終わりまで紹介しました。

 今回は、いよいよ本書の最終章である、第2部の第6章から紹介して
いきたいと思います。


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第6章 生命の肯定

6-1 生命を肯定しなければならない理性的な根拠
 個の生命は、常に苦悩や苦痛を突きつけて生きることを強いておきながら、
結局最後には死ななければならない。個の生命には、どうしてもこのような
不条理な矛盾が存在する。そのために生命の存在が悪のように思え、生命
の否定が起こる。しかしこれは正直な実感としては正しい。例えば、

 「生きていてもつまらない。」
 「生きていて何の意味があるのか?」
 「生きる目的など存在するのか?」
 「なぜ生きなければならないのか?」
 「生きるのが面倒だ。」
 「生きることの全てが苦しみだ!」
 「もう生きていたくない!」

 等々、これら生命の否定に取りつかれた場合、心情的にはそれが絶対に正し
く感じるし、そう感じるのは正しい。しかしそれでも「生命の否定は間違いであり、
生命を肯定しなければならない!」ということを理性によって理解しなければなら
ない。心情では理解できなくても、まず理性でそう理解しなければならないので
ある。なぜならそれは、不幸を退けて幸福になるためであり、それには生命の
否定をやめ、生命を肯定する以外に方法がないからである。「全ての生命は不幸
を退けて幸福を目指さなければならない!」これは誰にも反論の出来ない生命の
真理である。しかしながら、

 「幸福になどなりたくない!」
 「なぜ幸福にならなければいけないのか?」
 「なぜ不幸ではいけないのか?」

 などという人がいるかも知れない。しかしこれは、厳密には「幸福になる努力
をすれば苦悩や苦痛を必ず伴うだろうから、そのような努力をして苦しむよりは、
それを避けた方が幸福である」と言っているのである。また、苦悩や苦痛が原因
で自殺をした場合でも、これは「苦悩や苦痛から逃れたい!」という幸福を目指し
ているのである。

 しかし人間は、「生きて」幸福にならなければならない。と、いうよりは、生きて
いる間にしか幸福は存在しないのである。なぜなら第1部に述べたように、死後
には認識が存在しないからである。

 死後とは、生まれる前と全く同じ状態であり、何億年という長い時間でさえ一瞬
にも感じることの出来ない世界である。だから、死後に苦しみは存在しないが、
しかし、幸福の存在もあり得ない。そして「苦しみが存在しない」という認識も存在
しないし、「幸福が存在しない」という認識も存在しない。ゆえに幸福は生きてい
る間にしか存在しない。そして幸福になるためには、生命の否定をやめて生命を
肯定しなければならない。そのためには、「生命の否定は間違いであり、生命を
肯定しなければならない!」という生命の真理を、まず理性によって理解し、心の
底に受け入れる。そして後は、それをひたすら信じ、信念を持って生命肯定の努力
を行えば良い。そうすれば、徐々に幸福を感じるようになっていく。しかし、これは
盲目的な信仰によって行うのではなく、あくまでも「理性を介した信念」によって行わ
なければならない。なぜなら、これを盲目的に信仰すれば、宗教と同じになるから
である。

 盲目的な信仰に問題があるのは、現在の宗教が抱えている諸問題(宗教戦争
やカルト集団など)を見れば明らかである。理性を介さない盲目的な信仰は非常に
危険なのである(ところで、原始仏教や原始キリスト教などの本来の宗教は、極め
て理性的で合理的な生命肯定の思想であった。しかし、後世の人間がそれを盲目
的な信仰に歪めた。このため現在の宗教は、危険でうさん臭い、信用の置けない
ものになってしまった。)

 「生命の否定は間違いであり、生命を肯定しなければならない!」という生命の
真理を理性によって理解するために、生命の否定が間違いである理性的な根拠
と、生命を肯定しなければならない理性的な根拠を、出来る限り挙げてみる。


 まずはじめに、生命の否定が間違いである理性的な根拠を挙げる。


1.全ての生命(大生命)は、生命の存続を望んでいる。しかし、もし全ての生命が
  生命を否定し、全ての生命が殺し合ったり自殺したりすれば生命は消滅する。
  だから生命の否定は間違いである。

2.生命の否定や自己否定に取りつかれると、死にたくなるほどの苦しみを感じ
  る。これは「生命」というものが、生命の否定を嫌い、避けようとしている証拠
  である。生命の否定は生命の本質に逆らい、生命の法則に背いている。だか
  ら強い苦しみを感じるのである。ゆえに生命の否定は間違いである。

3.生きることに苦痛や苦悩が存在するからといって、生命を否定するのは間違い
  である。なぜなら苦痛や苦悩が存在するのは、身体の健康を維持して生命の
  仕事を良く行うためだからである。苦痛は我々を病気や怪我から守り、苦悩は
  我々が愚かな行為をしないように警告する。だから苦痛や苦悩の存在は、生命
  の否定の根拠などではない。そうではなく、苦痛や苦悩を感じることが出来るの
  は、生命の肯定に必要不可欠な能力なのである。

4.快楽の追及が苦しみを招くからといって、生命を否定するのは間違いである。
  食欲や性欲は、個の生命や種族の維持にとって非常に大切なものである。しか
  し無限の欲望を肉体の快楽に向け、これを必要以上に求めるから苦しみにな
  る。肉体の快楽は適正な程度に抑制すれば良いのである。

5.人間には、根源的な苦が原因で生じる無限の欲望が存在する。そしてこの
  無限の欲望のために、人類はいつも無限の苦悩や苦痛に苦しめられている。
  しかしだからといって、生命を否定するのは間違いである。人間だけが持つ
  無限の欲望は、人類の無限の発展の原動力である。もしも根源的な苦や無限
  の欲望を完全に滅却したら、人類の生命力そのものも喪失することになる。
  無限の欲望を、金、地位、快楽などの追及に向けるから無限の苦しみになるの
  である。無限の欲望は、愛の増大と発展に向ければ良いのである。

6.個の生命が必ず死ぬからといって、生命を否定するのは間違いである。第一部
  で述べたように、個体の死は大生命の進化や発展のためにどうしても必要な
  ものである。個体の死による世代交代により、新しい生命が生まれるようにしな
  ければ、生命の進化も多様化も不可能である。だから個体の死は大切な生命
  の仕事なのである。個体の死は大生命の意志であり、生命の法則である。この
  生命の法則に背き、もしも個の生命が永遠に生き続けるならば、それはたぶん
  死ぬこと以上の苦しみとなるであろう。生物は、生命の法則に背けば苦しむよう
  に出来ているからである。しかもそれは永遠に続く無限の苦しみになる。

7.死ねば全てが無に帰すからといって、生命を否定するのは間違いである。なぜ
  なら、死んだ後にも「生命の仕事の波及効果」が存在し続け、全てが無に帰す
  わけではないからである。大生命が存在する限り、たとえ人類が滅びようとも、
  あなたの生命の仕事の波及効果は存在し続ける。しかも場合によっては、その
  影響力がさらに増大していく可能性さえある。生命の仕事の波及効果が、いつ
  何処でどう影響していくのかは誰にも予想がつかない。ほとんどの人の場合は、
  ほんの小さな影響しか与えることが出来ないであろう。しかし、たとえそれが
  どんなに小さな影響であっても、その小さな影響が原因となり、さらなる影響を
  次々と呼び起こしていく。そしてそれが今後何億年と続いていく。だから、見か
  け上はほんの小さな影響であっても、その影響力の総和は無限大であり、計り
  知れない。このように、あなたの生命の仕事の波及効果は、あなたが死んでも
  無限の影響力を持ち続ける。だから、あなたが死んでも、あなたの生命の意義
  は消滅しないのである。


 次に、生命を肯定しなければならない理性的な根拠を挙げる。


1.もしも、全ての生命が生命を肯定しなければ、生命は消滅してしまう。だから
  全ての生命は、生命を肯定しなければならない。つまり、大生命が大愛を持た
  なければ、全ての生命は存在できないのである。食物連鎖に代表される地球
  の生態系は、全ての生命によって支えられている。このように、全ての生命が
  互いに命を支え合わなければ、つまり、全ての生命が互いに生命を肯定し合わ
  なければ、生命全体を維持することが出来ずに、生命は滅んでしまう。だから
  生命は、肯定されなければならない。

2.生命は40億年も続いてきた長い実績を持つ。そして40億年もの間、生命存続
  のための努力が絶え間なく行われて来た。つまり生命は本質的に存続したい
  のである。だから生命絶滅の危機を何度も経験しているにもかかわらず、生命
  は色々と生き残るための試行錯誤を繰り返し、苦しみながら40億年も存在して
  来た。このように生命全体の意志(大生命の意志)が生命の存続にある以上
  は、今後も生命を肯定していかなければならない。

3.生命には「愛」というものが存在する。そしてこの「愛」は、進化し発展するもの
  である。愛の進化により、生命はこれまで善いものになって来たし、今後もさら
  に善いものになっていくであろう。だから生命に愛が存在し、またそれが進化
  を続ける限り、生命の存在は善であり、その善は増大し続ける。つまり生命は、
  肯定され続けるのである。

4.人間は生命を否定すれば苦しみ、生命を肯定すれば幸福になるように作られて
  いる。事実、生命の否定や自己否定に取りつかれると非常に強い苦しみを感じ
  る。逆に、正しい自己愛や隣人愛によって生命を肯定すれば、無上の喜びと
  幸福に満たされるのである。生命の肯定は大生命の意志である。そして大生命
  の意志は、個の生命の意志より上位に位置し、優先される。だから、個の生命
  が大生命の意志に逆らって生命を否定すれば、生きていけないほどの苦しみを
  感じるのである。なぜそうなのかと言えば、それは大生命により(生命進化によ
  り)、人間が既にそう作られているからだとしか言いようがない。または、地球の
  生態系に組み込まれてうまく生き残る生物とは、そのような生物なのだとしか
  言いようがないのである。ゆえに、生命は肯定されなければならない。

5.前に述べたように、生命の肯定、つまり愛が生命に存在意義を与え、生命が
  物質に存在意義を与え、物質が時空間に存在意義を与えている。だから、生命
  が肯定されなければ、生命、物質、時空間の全てが存在意義を失ってしまう
  (注120)。ゆえに生命は、肯定されなければならない。


 本書の全体をふり返ると、生命の否定が間違いである理性的な根拠と、生命を
肯定しなければならない理性的な根拠は、以上のものが挙げられよう。このよう
に、「生命の否定は間違いであり、生命を肯定しなければならない!」という生命
の真理には確かな根拠が存在する。だからこの真理は、理性によって理解する
ことが可能であり、決して盲目的な信仰に頼る必要などない。



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注120:
 たとえば、「自分なんか死んでもかまわないし、人類が滅んだり、地球のすべ
ての生命が滅んだってかまわない!」というような、「生命の否定」に取りつかれ
た人・・・ 

 そのような人は、おそらく、今すぐに地球が消滅してもかまわないし、今すぐ
に宇宙が消滅してもかまわないとさえ思うことでしょう。

 このように、生命が肯定されなければ、物質や時空間のすべて(宇宙のすべ
て)の存在意義が消滅してしまうのです。
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 申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。



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