生命の「肯定」 26
2016年5月15日 寺岡克哉
前回は、第2部の第5章1節まで紹介しました。
今回は、第5章2節を紹介したいと思います。
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5-2 存在意義の階層構造
ところで、生命の存在意義について考察しているうちに、愛、生命、物質、
時空間(時間と空間)には存在意義の上下関係、つまり階層構造があること
に気がついた。つまり、愛が生命に存在意義を与え、生命が物質に存在意義
を与え、物質が時空間に存在意義を与えているのである。ちょっと面白い世界
観だと思ったので、ここで紹介してみたい。愛が生命に存在意義を与えている
ことは既に述べているので、ここでは生命と物質の関係から述べる。
生命とは、物質には存在しない高次の性質である。確かに生物は物質から
作られており、物質がこの世に存在しなければ生命も存在できない。しかしな
がら、生命は物質より高い次元の存在であり、物質ではないのである。例えば
「生命」と「物質」との関係は、ちょうどコンピューターの「ハードウエア」と「ソフ
トウエア」の関係に似ている。ハードウエアはもちろん物質である。しかしソフト
ウエアの正体は純粋な「情報」であり、物質ではない。ここで言うソフトウエア
とは、ハードディスクやCD-ROMなどの記憶媒体のことではない。そうでは
なく、プログラムやデータなどの「情報」そのもののことである。ハードディスク
やCD-ROMなどの記憶媒体はもちろん物質である。しかしその中に記録さ
れているプログラムやデータなどの「情報」そのものは物質ではない。そして
コンピューターを実際に動かして意味のある仕事をさせているものは、プログラ
ムやデータなどの情報(ソフトウエア)である。ソフトウエアが無ければ、ハード
ウエアは無意味なただの物質にすぎない。つまり、ソフトウエアという「情報」
が、ハードウエアという「物質」に存在意義を与えているのである。
これと同様に、生命が物質に存在意義を与えている。生物の肉体はもちろん
物質である。しかし肉体を実際に動かし、意味のある行動をさせているのは
「生命」である。ゆえに生命が、肉体という「物質」に存在意義を与えていると
言える。生命の存在しない肉体(死体)は、無意味なただの物質にすぎない。
生命とは、食物の摂取や成長や繁殖の行動をするように入力されたプログラ
ム、つまり「情報」のようなものであり、物質ではないのである。
生命の正体が「情報」であるというのは、あながち的外れでもないような気が
している。なぜなら生命の定義とも言える「繁殖」は、DNA情報の増大として
考えることが出来るからである。さらにまた、
「キリストの命が吹き込まれた。」
「誰々の命が宿る。」
「誰々の精神が今も生きている。」
「先人の魂が今も生きている。」
「誰々の生まれ変わりだ(注117)。」
などの言葉は、その人間の思想や考え方、意志などといった「精神の情報」を
生命と考えている。物質である肉体に作用し、何らかの行動を起こさせるもの
を生命と呼ぶのであれば、これらの精神的な情報も生命であると言えるだろう。
また、例えば「脳死」などの場合も、これは脳の情報活動の停止(呼吸や心臓
を動かすための命令情報の活動停止、思考や認識などの精神情報の活動
停止)をもって死と定義している。
以上述べたように、生命が肉体(物質)を動かしたり、衣食住のために物質を
利用したり、物質を研究したりしなければ、物質の存在には何の意味もない。
生命がなければ、物質は無意味に存在するだけであるし、もし物質が存在して
いても、それが認識されることは絶対にない。ゆえに、生命が物質に存在意義
を与えているのである。
そしてさらには、物質の存在が時空間(時間や空間)に意味を与えているので
ある。なぜなら、物質が全く存在しなければ、時空間は認識できないからである。
空間は物体同士の位置関係によって認識されるし、時間は物体同士の位置の
変化(運動)によって認識される。つまり、最低二つ以上の物体が離れて存在し
ていないと、空間に意味はない。そして、物体が全く存在しないか、もしくは全て
の物体が完全に静止していれば(注118)、時間に意味はないのである。ゆえ
に、物質が時空間に意味を与えている。
以上により、愛が生命に存在意義を与え、生命が物質に存在意義を与え、
物質が時空間に存在意義を与えるという階層構造が形成されているのである
(注119)。
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注117:
ここで書いた「誰々の生まれ変わりだ」という表現は、いわゆる輪廻転生の
ことではありません。
たとえば先人の意志を引き継いで、あたかもその先人が生きているかのごと
く、先人のやり残した仕事などを行なう後継者のような場合を指しています。
注118:
全ての物体が静止していても、物体の温度などが時間が経つにつれて上がっ
たり下がったりすれば・・・ つまり「物体の状態」が変化すれば、時間を認識する
ことができます。
なので本文中の、「物体が全く存在しないか、もしくは全ての物体が完全に
静止していれば、時間に意味はない」という表現は、
「物体が全く存在しないか、もしくは全ての物体が完全に静止しおり、それら
物体の状態も変化しなければ、時間に意味はない」という表現に改める方が
適切のように思えます。
しかしながら、温度変化や変形や変質などの「状態の変化」は、分子や原子
レベルの「運動」と考えることができるので、それらの運動さえも完全に静止して
しまえば、時間の意味は無くなってしまうのです。
注119:
この節で述べたのは、「存在意義を与える」ということであって、「存在を与え
る」ということではありません。
つまり、生命が存在しなくても、物質が存在できることは、もちろん自明です。
また、物質が存在しなくても、おそらく時空間は存在できるのではないかと、
私は思っています。
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申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。
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