生命の「肯定」 24
                               2016年5月1日 寺岡克哉


 前回は、第2部の第4章2節まで紹介しました。

 今回は、その続きです。


               * * * * *


4-3 妊娠中絶とクローン実験
 ところで、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世(注112)は、人工妊娠中絶を批判
しているそうであるが、非常にもっともなことだと私も思う。なぜなら妊娠中の
胎児は、母親の体内で自然に育てば確実に「人間」になるからである。人間に
とってみれば、動物や植物の命よりもまず先に人間の胎児の命が尊重されな
ければならない。これは、正常な人間の感覚として当然である。この先さらに
愛が進化すれば、奴隷が人間であると認識されたように、妊娠中の胎児も人間
であると認識されていくだろう。

 現在においてもまだ、胎児が人間として認められていないのは、胎児はあま
りにも弱すぎるために、「存在の自己主張」が出来ないからである。

 例えば、大人の男性が殺されるより、婦女子や赤ん坊が殺された方が残虐
で悲惨な印象を受ける。それは、婦女子は殺されることへの抵抗力が弱いし、
赤ん坊は殺害に対する抵抗力を全く持たない弱い存在だからである。そして
妊娠中の胎児は、赤ん坊よりもさらに弱い存在なのである。赤ん坊は泣き叫ぶ
ことにより、殺されることへの拒否の意思表示がまだ出来るし、死体を残して、
人間に殺害行為への反省を促す。これは赤ん坊の「存在の自己主張」である。
ところが胎児はそれすらも出来ない。胎児は泣き叫ぶことが出来ないし、死体
も病院で処理されるので残らない。つまり胎児は、存在の自己主張がほとんど
出来ないのである。だから犬や猫などのペット動物の方が、人間の胎児の命
よりも尊重される向きすらある。犬や猫は泣き叫ぶことが出来て死体も残り、
存在の自己主張が出来るからである。例えば、より強い性的快楽を得るために
避妊をせず、妊娠中絶を女性に強要するような男性は、存在を自己主張できな
い胎児の命を軽視しているのではないだろうか。

 ところで補足するが、胎児の存在の自己主張もはなはだ皆無というわけでは
ない。母親の月経が止まったり、つわりが起こったり、胎児が母親の腹の中で
動いたりする。しかし、男性にとって胎児の存在の自己主張は皆無である。だか
らもし、女性が法律を作るようになれば、胎児も人間だと認める法律が作られや
すくなるのではないだろうか。

 私は「胎児も人間である」と主張する。なぜなら、ごく自然に胎児がそのまま
育てば、「確実に人間になる」からである。自然法則にそのまま従い、ただ時間
が経過するだけで胎児は人間として生まれる。自然法則的には、「胎児は人間
ではない」などと主張できる合理的な根拠は全く存在しないのである(注113)

 そして例えば、もしも胎児が人間でないとするなら、「人間のクローン実験」で
成長した卵細胞を胎児の段階で殺した場合、この実験は倫理的に何の問題も
ないはずである。それを倫理的に問題があると主張するならば、やはり胎児は
人間である。人間のクローン実験を八分割の卵細胞で止めても倫理的に問題
があると主張するならば、八分割の受精卵も人間である。人工妊娠中絶やク
ローン実験が倫理的に問題になるのは、未熟児や、さらには一個の受精卵から
でさえ、科学技術の力で「人間」にまで成長させることが可能になって来たから
である。そのため、それまで人間と認識されていなかった胎児や受精卵が、
人間として認識されるようになって来たのである。そしてこれは「人間の生命」
の認識範囲が広くなっていく愛の進化の過程なのである。

 ところで、もしも胎児を人間だと認めるならば、現代の妊娠中絶の状況は正気
を失うほど悲劇的である。日本の人工妊娠中絶は一九九八年の統計で三三万
三〇〇〇件であった(注114)。恐るべきことに性的快楽を得るというだけの
理由で、毎年約三〇万人もの生まれてくるべき子供たちが殺戮されているので
ある。(これなら胎児の段階で殺すクローン実験の方が、学術研究や医療の進
歩に貢献する分、まだましである。)妊娠中絶の件数は二十五年前に比べると
半減しているが、しかしそれにしても大きすぎる数である。少なくとも正常な理性
を持つ人間ならば、この罪の大きさを十分に自覚出来るはずであり、それだけの
良心の大きさも備わっているはずである。

 しかしながら生態系のバランスの制限から、地球上に人類を無制限に増やす
ことは出来ない。これを無制限にすると、ある時、突然に生態系の限界が来て
人類は絶滅する。人類を守るためには、人類自らの手で人口を調節しなければ
ならない。そのため妊娠中絶が必要とされる。しかし人間には理性というものが
存在する。理性による性欲の制御は可能であり、多くの人間によってそれは実践
され証明されている。しかしそこまで厳しいことを言わなくても、現代では避妊技
術が発達しているのだから、これを十分に活用すれば良いと思う。また、ただ単
に性欲を処理するだけならば、異性との性行為が必ずしも必要なわけでもない。
私は生命尊重に関するいちばん身近な問題として、交通事故と妊娠中絶は殺人
を犯しているという自覚があまりにもなさすぎるように思っている。「妊娠中絶は
殺人である。」この認識がほんの少しでもあれば(特に男性に!)、避妊の意識が
相当に高まるはずである。さらに進んで、避妊すらも生命尊重に抵触するという
非常に厳しい考えもある。禁欲生活の聖職者は現にそれを実行しており、これは
人間に不可能なことではない。そしてこれは愛の進化の立場からすれば、人類
の理想の人口調節方法である。しかし普通の人間にとって、それはかなり厳しい
ことであろう。だから生命尊重の立場から考えて、最低でも避妊は心がけるべき
なのである。

 そしてもしも、間違いを犯して妊娠中絶を行った場合は、女性は自己否定に
陥ることなくよく反省し、二度と間違いを犯さないようにと私は祈るばかりである。
妊娠中絶をした女性が心の傷を負って自己否定に取りつかれた場合、その苦し
さは男性の想像を絶すると私は思う。もし私が女性だったら、とても耐え難い
苦悩(場合によっては本当に耐えられずに自殺するかも知れない)が、一生付き
まとうことが容易に想像される。人ひとりを殺してしまうのだから、会社でリストラ
をくらうショックよりも、よほど大きな苦悩である。この女性側の苦しみが、単なる
性欲の処理の代償としてはあまりにも大きすぎることを、男性はそろそろ理解し
なければならない。

 誤解のないように断ると、私は生命の尊厳を尊重する立場から人間のクローン
実験には反対である。また、雌雄が結合する有性生殖は、生物が多様化する
ために大生命が取った戦略であり、これは何億年も続いて来た非常に安定した
システムである。全ての高等生物は、有性生殖を行うことにより発展して来た。
だからこれに逆行するクローン技術は、長い目で見れば生命の多様化を妨げて
衰退させる方向に必ず働く。この見地から、動物を含めたクローン実験全般に
対しても私は反対である。



 以上この章で述べて来たように、生命の高等進化に連動して、愛も高度なもの
になって来た。より高等に進化した生物がより善い生物だと言えるのは、より高度
な愛を持っているからに他ならない。人類が生命進化の最高傑作であり、最も
善い生物だと主張できる根拠があるとすれば、それは人類が最高度の愛を認識
し、実践しているということ以外にはない。なぜなら、人類が高度な知識や知能、
または高度な技術を持っているだけでは、人類が高等生物だとは言えるかも知れ
ないが、善い生物であるとは決して言えないからである。人類がその高度な知的
能力を悪用して、地球の生命を破滅させる可能性もあるからである。

 もしも人類から高度な愛が欠落し、殺戮や破壊のみに高い知的能力を用い、
人類のみならず生態系まで消滅させることになれば、人類は生命史上、最低
最悪の生物に成り下がるであろう。人類の知的能力は地球上で最高のものであ
るが、最高の能力を悪に使えば最悪になる。だから、人類を最高の生物に位置
づけているのは、最高の知的能力などではない。最高度の愛なのである。

 ゆえに人類の真の使命は、より一層の愛の進化を達成し、愛をさらに高度な
ものに発展させ、それを実践し普及させていくことにある。また、それが大生命
の意志であり、人類に与えられた生命の仕事である。そして、それが正しい人類
進化の方向であり、さらには正しい生命進化の方向なのである。



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注112:
 本書を執筆していた当時は、まだヨハネ・パウロ2世(2005年没)が存命
していました。


注113:
 この段落で書いたことは、いま現在でも、全くその通りだと思っています。
 しかしながら、(胎児を人間と認めて)「妊娠中絶に殺人罪を適用すること」
は、大きな社会的混乱と反発を招くことが確実なので、現実問題として無理
でしょう。
 私も、妊娠中絶に殺人罪を適用するべきとは考えていません。しかし、この
節で後述しているように、「妊娠中絶は殺人である」という認識を持つことは、
「避妊の大切さ」を理解する上で必要ではないかと考えています。


注114:
 近年のデータとして厚生労働省によると、2014年の人工妊娠中絶は18万
1905件となっています。
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 申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。



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