「生命の肯定」と「神」 2003年7月20日 寺岡克哉
生きることを愛し、生きることを肯定すること。
生命を愛し、生命を肯定すること。
私はもう随分前から、上のような「生命の肯定」を深く追求しようとすれば、どうし
ても「神に対する考察」を避けて通れないような気がしていました。
というのは、
生命は、最終的に何を求めているのか?
生命は、最終的に何を目ざしているのか?
生命にとっての「真の幸福」とは何か?
このような問題に対して、人類が2千年以上もの長い時間をかけて考え続けてき
たことが、「神に対する考察」だからです。
ところで、ここで言う「生命」とは、ただ単に肉体が生物として生きているという「生
存」のことではありません。エッセイ8でお話しましたような、人間の理性的な精神
としての生命、つまり「ゾーエー」のことです。(詳しくは、もう一度エッセイ8を見て頂
けると助かります。)
人類が今まで行ってきた「神に対する考察」には、「生命の肯定」に関する有益な
示唆が数多くあります。
しかし現代の日本には、「宗教」や「神」に対するアレルギーが依然として根強くあ
るようにも感じています。だから私は今まで、「神に対する考察」を前面に出すのを
控えていました。
しかしながら、「生命にとっての根源的な真の幸福」を考える場合に、「神に対する
考察」を避けて議論しようとすれば、どうしても「痒いところに手が届かない!」という
感が否めませんでした。だからもうそろそろ、「神に対する考察」に真正面から取り
組まなければならない潮時のような気がしているのです。
ところで私が言う「神」とは、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、神道
などの、特定の宗教で扱われている神のことではありません。もっと広く一般的で
普遍的な神です。
例えば、
「宇宙万物の根底を支えるもの」
「人間の理性が求めてやまない究極の真理」
「自然の摂理」
「生命の摂理」
「人間の良心、良識、理性、愛などのよって来たる根源」
と、いうようなものです。
だから例えば、仏教思想は「無神論」とされていますが、その思想の中にある
「空」 (全てのものは原因と結果の因果関係、つまり「縁起」によって成り立って
おり、実体として存在している訳ではないと言う悟り。例えば一人の「人間」は多数
の細胞から成り立っており、「人間」という実体があるわけではありません。さらに
一つの細胞は多数の分子から成り立っており、細胞という実体があるわけではあ
りません。さらに分子は原子から、原子は原子核と電子から、原子核は陽子と中
性子から、陽子や中性子はクォークとグルーオンから・・・と、どこまで行っても原因
と結果の因果関係(縁起)が無限に続くだけで、どれ一つとして、そのものが実体と
して存在している訳ではないという考え方。だから仏教思想には「創造神」の概念が
ありません。)
「涅槃」 (ニルヴァーナ。「安らぎの境地」のことで、死後の世界のことではありま
せん。)
「仏陀の境地」 (最高の悟りの境地。)
これらの概念も、私の言う「神の概念」に含まれます。
また、
老荘思想の「道」 (自然万物の根底に存在する真理。)
孔子の思想(論語)の「天」 (人間に道徳心を生じさせる根源。または、人間の運
命を左右し決定するもの。)
そして、自然科学で言うところの「宇宙観」、「世界観」、「自然観」、「生命観」なども、
私の言う「神の概念」に含まれます。
(ところで、これらを表すのに「神」の他にもっと良い言葉がないものかと考えてみ
ましが、適当な言葉がなかなか見当たりませんでした。それで「神」という言葉を使う
ことにしました。)
ところで・・・
「神は、唯一絶対に正しいものである!」とか、
「神は理性を超越したものであり、理解するものではなく、信仰するものなのだ!」
という考え方があります。
確かに、「神の究極的な表現」としてはそれで正しいのだと思います。しかしこの考
え方こそが、人類を大きな悲劇に導き、さらには現代人を神から遠ざけている元凶
のようにも思うのです。
確かに神は、最終的には「理解するもの」ではなくて「信仰するもの」だと思います。
なぜなら、神は「人知を超えた存在」だからです。つまり神は、今まで人類の得た知
識や認識の全てを超えた、さらにその先に存在するものだからです。
しかし神を信仰するのは、「理性による吟味」を十分に行った後でなければ
なりません!
理性による認識、判断、分析、考察などを注意深く十分に行った後の信仰、
つまり「理性を介した確信」でなければならないのです。
私は、「神は進化するもの」だと考えています。
宇宙、世界、自然、生命、人間などに対する人類の認識が進歩すれば、神の概
念もそれに対応しなければならないと考えるからです。
例えば、自然科学に対する人類の認識が深まれば、それに対応して神の概念も
進化しなければなりません。地動説や進化論を否定していた神から、科学的な事実
を認める神へと進化しなければならないのです。
そしてまた、戦争やテロリズムが「人類の理性的な良識」に照らし合わせて「悪い
ことだ!」と判断されたならば、戦争やテロリズムを煽り立てるような神は「間違っ
た神」としなければなりません。
人類が考え出した「神の概念」には、「正しい概念」もあれば「間違った概念」もあり
ます。また、「古い概念」もあれば「新しい概念」もあるのです。
ただひたすら盲目的な信仰を強要するだけの、「古くて幼稚で間違った神の概念」
を払拭しきれていないことが、現代人の多くを神から遠ざけ、現代社会における「神
の不在」を助長しているように思えてなりません。
私はこれから、「生命を肯定する理性的で正しい神」を慎重に注意深く考えて
行きたいと思っています。
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