生命の「肯定」 22
                              2016年4月17日 寺岡克哉


 九州地方に大きな地震が発生して、たくさんの人々が避難生活を余儀なく
されています。一日でも早い復旧を願ってやみません。

 それにしても、鹿児島県の川内(せんだい)原発が稼働中ですが、まだ連続
的に地震が発生している中で、原発を停止させないで本当に大丈夫なので
しょうか・・・ 

 とても心配でなりません。



 さて前回は、

 拙書 ”生命の「肯定」”の、第2部・第3章の終わりまで紹介しました。

 今回は、第2部の第4章から紹介していきます。


             * * * * * * *


第4章 愛の進化

4-1 愛も進化する
 この節では、生命が進化するのと同じように、愛も進化することについて述べ
たい。

 大生命はその誕生以来、生命を進化させて来たが、それに連動して愛も進化
させて来たと言える。なぜなら、生命が進化して高等になるに従い、愛も進化し
て高度になって来たからである。例えば、哺乳類は爬虫類に比べてかなり愛情
が豊かである。と、いうのは、爬虫類は卵を産みっぱなしで放っておくものが多い
が、哺乳類は生まれたばかりの子供に母親が乳を与えるからである。そして、
子供が一人前になるまで子育てをするからである。つまり、爬虫類には親子の
愛が存在しないが、哺乳類には親子の愛が存在している。また例えば、爬虫類
の場合は生存のための自己愛や、交尾のための求愛が認められる程度である。
しかし哺乳類になると、家族の愛や、同じ群れの仲間同士の愛(友愛のめばえ)
などが存在する。逆に、群れで暮らす爬虫類や単独で暮らす哺乳類もいるが、
しかしこの場合でも、生態をよく観察すれば哺乳類の方が一般的に愛情が豊か
である。このように哺乳類が爬虫類よりも高度な愛を持っているのは、哺乳類の
方が高等な動物だからである。だから同じ哺乳類でも下等なネズミなどよりは
高等なサル(ゴリラやチンパンジーなどの類人猿)の方が高度な愛を持っている。
同様の考察を広げていくと、昆虫、魚類、両生類や爬虫類、鳥類や下等な哺乳
類、高等な哺乳類、人間の順に従い、高度で多様な愛を持っていることが分かる。
このように大生命は、生物を進化させるに伴って、愛も進化させて来た。以上の
考察から「大生命の意志は愛の高等進化を志向する」と言える。

 ところで、人類が高度な愛を持っているのは、高度な知的能力を持っているか
らである。だからいちばん進化の進んだ最高度の愛とは、高度な知的能力によっ
て生み出される愛である。なぜなら、人類以外の動物にも原始的な愛ならば存在
しているからである。例えば、生存のための自己愛や生殖のための求愛、子供を
守り育てるための母性愛などがそれである。これらの愛は本能的な愛であり、
高度な知的能力がなくても自然に生じる愛である。この本能的な愛は、生命の
維持や種の保存にとって非常に大切なものであり、断じて軽視することは出来な
い。しかしながら、これらのものは原始的な愛であり、動物にも備わっている愛で
ある。人間だけが持っている最高度の愛とは、高度な知的能力の「理性」によって
生み出される愛である。本能的な愛を超えた理性的な愛である。理性の力は本能
よりも強いから、理性的な愛は本能的な愛を凌駕する。そのことは、自分の命を
犠牲にして愛を貫き通した多くの人々により、証明されている。ところで、人間の
理性は、四〇億年の生命進化によって獲得したものであり、地球の生物で最高の
知的能力である。ゆえに理性によって生じる愛は、最も進化の進んだ最高度の愛
だと言える。この理性的な愛とは、強い意志や精神力、豊富な経験と知識によっ
て生じる愛である。例えば、自己完成のための正しい自己愛や、隣人愛、人類愛
などである。また大愛や植物の愛なども、大自然への豊富な経験と知識があって
はじめて、その理解や認識ができる非常に高度な愛の概念である。

 もしこれらの高度な愛が人間に存在しなかったら、人類は動物以下の存在に
成り下がってしまう。なぜなら、「高度な愛を無視した人間」のやっていることといえ
ば、戦争、殺人、犯罪、自然環境破壊、際限のない欲望や快楽の追及など、動物
以下の行為ばかりだからである。残念ながらこれら人類の行う「悪」も、高度な
知的能力のために起こっている。高度な知的能力を持たない他の動物は、ただ
自然の摂理に従って生きているだけであり「悪」の概念など存在しない。だから、
人類が高度な知的能力を持つというだけでは、人類が善い生物であるとは絶対
に言えない。人類が他の動物に比べて優れていると言える根拠、そして、人類の
存在が善であると言える根拠の全ては、人類に「高度な愛」が存在すること以外
にはないのである。

 ところで人類は、その高度な知的能力を駆使し、かなり以前から言語や文字
を使用していた。(言語は五〇万年前の北京原人が既に使用しており、文字は
約五〇〇〇年前にメソポタミアで発明された。)何千年も前の出来事や、既に
死んだ人間の思考や経験を現在でも知ることが出来るのは、言い伝えや文書
によってそれらが伝承されたからである。

 そして高度な愛の概念もまた、他の多くの人間や、後世の人間に広く伝える
ことが可能となった。キリストの隣人愛、釈迦の慈悲、孔子の仁など、彼らが
生涯をかけて言い伝えた高度な愛の概念は文書に記録されて残り、現在も多く
の人々に受け継がれている。彼らの高度な愛の概念は当人達が死んでもなお
数千年も生き続け、広く後世の人類に影響を与え続けている。つまり、言語や
文字の発明により、高度な愛の概念は個体の死によらない永遠の命を得たと
言える。ここで誤解を招かないように少し断ると、キリストや釈迦、孔子などの
思想や感性、生き様などといったもの、つまり、彼らの「人格」は確かに現代でも
生き続けている。しかしこれは、彼らが永遠の「個の生命」を持っているからなど
ではない。そうではなく、彼らの考え方や感じ方、または彼らの行った行動など
の「情報」が文書として記録され、現在も残っているからである。そこには経典
を書き、編纂(へんさん)した人々の生命の仕事があり、また命を懸けてそれを
伝道した多くの人々の生命の仕事がある。そして現在においてもその教えを
学び、その愛を実践しようと努力している数多くの人々がいる。だからこそ、キリ
ストや釈迦、孔子の人格が現在でも生きている。彼らの人格を現代まで生かし
続けているのは我々である。しかしながら、高度な愛を貫き通した彼らの生命の
仕事によって、逆に我々も生かされている。つまり永遠に生き続けるのは彼らの
「個の生命」ではなく、彼らの行った生命の仕事の「波及効果」なのである。しか
しながらこの「波及効果」は、彼らの「個の生命」以上に偉大で価値のあるもので
ある。言わば彼らの「個の生命」は地上に蒔かれた種のようなもので、「波及効
果」の方は、その種が成長した大木なのである。

 前述のような生命の仕事、つまり、高度な愛の発見と認識及びその実践と普及
は、人類にとって最も重要な生命の仕事である。なぜなら、この生命の仕事が
人類を人類たらしめ、人類を動物以下の存在から救い上げるからである。しかも、
これは人類だけでなく、大生命(生命全体)にとっても、最も重要な生命の仕事
なのである。なぜなら、高度な愛の力によって人間の理性を善い方向にコントロー
ルしなければ、人類もろとも大生命を壊滅させかねないからである。人間の理性
は、大生命を発展させもするし破壊もする両刃の剣である。高度な愛とは、理性
の暴走を食い止め、理性を善い方向(大生命を発展させる方向)に向けるための、
理性による理性の自己制御機能なのである。もしも人類にこの高度な愛が存在
していなかったら、人類はお互いに殺し合ってとっくに絶滅したことだろう。また、
核戦争や無制限な自然破壊により、大生命を壊滅させていたに違いない。

 ところで、人類の真の進歩とは、人類がさらに「善い生命体」になることである。
そして「善い生命体」とは、大生命を健全に発展させ、生命を肯定し、「生命」その
ものの存在意義を高めていく生命体である。だから人類の真の進歩とは、知的
能力の向上や科学技術の発達、または経済の発展などにあるのではない。これ
ら文明の進歩を通して愛の概念をさらに高度にし、それを実践し普及させていく
こと、つまり愛を進化させていくことに人類の真の進歩がある。

 例えば、農業技術が未熟で灌漑設備も不十分、そして化学肥料なども存在し
ていなかった昔の時代には、しばしば大飢饉が発生して多くの人間が餓死した。
このような状況では自分の命を守るのが精一杯であり、とても高度な愛が認識
され、広く普及できる状況などではなかった。食糧の増産、科学技術や医療の
発達、政治や経済、思想や教育、芸術などが進歩してはじめて、高度な愛の実現
が可能となったのである。人類はあらゆる分野で発展を遂げて来たが、その真の
目的は、全て愛の進化にあると言える。

 また例えば、昔は「奴隷制度」が公然と認められており、人間を家畜のように
売買し使役していた。その当時、奴隷は機械と同じ動力源であり、品物と同じ財
産であった。奴隷は決して人間などではなく、それが正常な常識とされていた。
しかし文明が進歩すると「奴隷も人間である」と正しく認識され、奴隷制度は廃止
された。現在は奴隷制度の廃止が正常な常識になっており、この常識の進歩が
愛の進化なのである。奴隷制度の廃止には科学の発達による機械力の出現や、
人権尊重などの思想の進歩が関係している。このように、人類のあらゆる進歩
は愛の進化に行き着く。さらに人類が進歩して愛が進化すれば、戦争の根絶、
身分制度や男女差別の根絶、人種差別の根絶、あるいは困っている国への
援助などが常識的になされていくであろう。そしてこれらは現在進化中の愛なの
である。以下に、高度な愛の色々な例について見ていきたい。


               * * * * *


 申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。



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