生命の「肯定」 15
2016年2月21日 寺岡克哉
前回は、拙書 ”生命の「肯定」” の、第2部の第2章1節まで紹介しました。
今回は、その続きです。
* * * * *
2-2 自己愛を可能にするのは大愛である
正しい自己愛を持つためには、その前にまず、自分が誰かから十分に愛さ
れ、受け入れられていることが必要である。なぜなら、人間は自分が他から
愛されていることを実感してはじめて、自分を本当に愛せるようになるからで
ある。誰からも愛されない人間は自己否定に陥ってしまい、自分を愛すること
が出来ない。自分に相当な自信のある人なら、自分を受け入れてくれる存在
がなくても自己愛が持てるかも知れない。しかし、普通の人間にはとても無理
である。もし、他からの愛を必要とせずに自己愛を持てるという人間がいると
すれば、それは超人的に精神力の強い人間(例えば釈迦(しゃか)やキリスト
など)か、もしくはエゴイズムやナルシシズム等の間違った自己愛を持った人間
かのどちらかである。ごく普通の人間や、特に自己否定や罪の意識にさいなま
れている人間は、自分が「何か他の存在」から完全に愛され、受け入れられ、
赦(ゆる)され、歓迎されていることを実感できてはじめて、自分を本当に愛する
ことが可能になる。
ところが自分を完全に愛し受け入れてくれる存在を、他の人間の中に求めて
も、見つけることは不可能である。なぜなら、あなたを完全に理解し、愛し、受け
入れることの出来る人間など、この世に一人も存在しないからである。人間は、
そんなに完全には出来ていない。逆にあなたは他の人間を完全に理解し、
愛し、受け入れることが出来るだろうか? とても出来ないであろう。私もそうで
ある。人間はそれが当然なのである。釈迦やキリストのような、ごくまれに超人
的に他の人間を受け入れ、愛することの出来る人物は過去に実在している。
しかしそのような人間は、何千年に一人という割合でしか現れない。だから現在
生きている身近な人間の中に、このような人物を期待するのは非現実的である。
せいぜい現代の「偽預言者」に騙されるのが落ちであろう。
ところで、宗教(特にキリスト教)における「神」もまた、全ての人間を無条件に
愛し、赦し、受け入れてくれる存在であった。人類は、生きる上でこのような存在
を切実に必要としていた。ゆえに神を発明したのである(注75)。確かに「神」
は人類にとってすばらしい発明であった。そのため中世のヨーロッパでは、
神の権威は軍事や経済にも勝る絶大な威力を発揮した。ところが宗教はその
絶大な威力のため、ひとたび間違いを犯すと大きな悲劇も生んだ。例えば宗教
戦争や魔女狩りなどである。しかしながら、その犠牲者の何千倍もの大多数の
人間は、神を信じることにより、幸福で平和な人生を送ることが出来たのである。
しかしながら、神は観念上のもので実在しない(物体として存在しない)もので
あるから、みんなが信仰をやめると、神の威力は失われてしまう。そして現代人
は、科学文明の名の下に神の信仰をやめてしまい、神を無力化してしまった。
神の信仰の力を現代風に説明すると、例えば、信用貨幣(お金)や約束手形、
または株(注76)のようなものである。これらは実は、ただの紙切れであり、
実際の価値の存在しない観念上のものである。しかし、便宜的に決めた架空の
価値をみんな信用し、取引上の約束を確実に守るので、その威力を発揮する。
現代人は、この経済上の信仰を文字通り命をかけて守っている。なぜなら、借金
や不渡手形、株の暴落などで自殺する人間がいるほどだからである。そして
経済もまた、その絶大な影響力のために大きな悲劇を生む。経済の力は政治
を動かし、戦争も起こす。例えば植民地戦争、侵略戦争、階級闘争、資本主義
国家と社会主義国家の対立、軍事産業の維持のための局地戦争などがそれ
である。また、戦争以外の悲劇では、会社の倒産や破産による自殺、リストラに
よる自殺、お金を得るための殺人、水俣病などの公害による病気、交通事故、
原子力発電所の事故など、数え上げればきりがない。
以上のように、経済の理由で殺された人間は何億人にも達するであろう。しか
し人類のほとんど全部が経済活動に頼って生きているのである。中世の神も
同じように、人類に対して絶大な力を発揮していた。しかしながら、観念と信仰
によって作り出した価値は不安定なものである。それは現代における神の無力
化や、国家経済の破綻時における信用貨幣の失墜(第一次大戦後のドイツ
(注77)やソ連崩壊後のロシアでのインフレ)、または世界恐慌やバブル崩壊
時における株の大暴落の例を見れば明らかであろう。
ところで、科学文明が神を凌駕(りょうが)しえた理由は、科学技術の実在性
にある。実在するものは信仰の有無に関係なく存在するからである。神は信仰
のない者にとっては存在しないが、テレビや飛行機は科学技術を信じる者、
信じない者の両者にとって存在する。この「実在する」ということが非常に大切
なのである。なぜなら、例えば中世の人間にテレビや飛行機の話だけをしても、
実物を見るまでは絶対に信用しないからである。しかし中世の人間であっても、
テレビや飛行機を実際に見せれば一瞬にしてそれを信じる。神と科学文明の
差はここにある。
話が少しそれてしまったが、あなたが自己愛を持つために必要な、あなたを
完全に愛し、受け入れてくれる存在で、しかも「実在するもの」は、地球の生態
系、つまり大生命である。あなたを含めた全ての人類は、地球の生態系に組み
込まれて生きている。つまりあなたは、大生命の細胞の一つとして、完全に
受け入れられている。そして大生命は、大愛によってあなたを完全に愛して
くれている。大愛とは、食物連鎖や酸素の供給などの、大生命が地球上の全て
の生命を育んでいる機能のことである。だからこの大愛も「実在するもの」で
ある。大愛の存在しない場所、例えば宇宙空間では、あなたは一瞬たりとも
生きることが出来ない。あなたは大愛によって愛されているから、生きることが
出来るのである。
あなたは大生命によって完全に受け入れられ、大愛によって完全に愛され
ている。そして、生きることを赦され、守られている。あなたは大愛を実感する
ことにより、正しく自分を愛することが出来るようになる。そして、生きるための
意欲と勇気が湧くようになり、生きがいや生きる喜びを知るようになる。さらに
は、隣人や他の生命をも愛することが出来るようになり、生命を肯定し、いき
いきと生きられるようになる。
ところで、もしも大愛の存在を疑問に思ったり、大愛を感じることが出来なく
なった時は、大きく一回、深呼吸をしてみるとよい。大気中に酸素があるのは、
太陽光と植物のおかげである。これは大生命の生命維持機能、つまり大愛
の働きである。あなたの呼吸を可能にしているのは大愛である。生物が生き
ている場所には必ず大愛が存在する。逆に、もし大愛が存在しなければ、生物
は一瞬たりとも生きられない。それは、宇宙空間のことを思い出せばすぐに
分かる。宇宙空間は真空で、酸素も食糧も存在せず、さらには生命に有害な
紫外線や宇宙放射線が飛びかっている。つまり宇宙空間は、生命の存在を
否定する死の世界であり、大愛の全く存在しない場所である。このような大愛
の存在しない場所で、生命は一瞬たりとも生きることが出来ない。大事なこと
なので何度も言うけれど、酸素があって、オゾン層があって、食物がある地球
環境そのものが大愛なのである。そして生命の住めるような地球環境を作り
上げているのは、地球上の生物全体の働き、つまり大生命の働きなのである。
このように大愛は常に存在している。だから、どんなに落ち込んで生きる意欲
を失った時でも、大きく深呼吸をたった一回するだけで、たちまち大愛を実感
することが出来る。我々は、自分一人で勝手に生きているのではない。我々は、
生まれた瞬間から既に大生命の一部であり、大生命に受け入れられ、大愛に
よって生かされている。この生命の真理を、どんなに生きることが辛くなった時
にも忘れてはならない。
---------------------------------
注75:
神を「発明した」というのは、宗教を信仰する人たちに対して、すこし不適切
な表現だったように思います。
神の「認識に至(いた)った」とする方が、今の私には、より適切な表現で
あるように感じます。
注76:
本書を出版した当時は、まだ「株券」という「紙の印刷物」が存在していま
した。しかし2009年から株が電子情報化され、いわゆる「株券」というもの
は無くなってしまいました。
さらに最近では、「電子マネー」というのが普及しつつあり、将来的には
紙幣も無くなって行くのではないかと思います。こうなると、いよいよお金も、
「紙切れ」さえ存在しない「実在しないもの」、つまり物体として存在しない
ものになってしまうでしょう。
注77:
第1次世界大戦後のドイツでは、物価が1兆倍も上昇しました。つまり1兆円
の金が、1円の価値しかなくなってしまったのです。こうなっては紙幣も、ただの
紙切れ同然です。
---------------------------------
申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。
目次へ トップページへ