生命の「肯定」 11
2016年1月24日 寺岡克哉
前回は、拙書 ”生命の「肯定」” の、第1部第5章2節まで紹介しました。
今回は、その続きです。
* * * * *
5-3 無限の欲望を生命の仕事に向ける
既に大生命の生命観を知った我々には、第2章7節で述べた根源的な苦に
よって生じる無限の欲望は、「現状維持で満足するな、無限に発展せよ!」と
いう、大生命から人類に与えられたメッセージであることが理解できる。人類は、
無限の欲望を持つことにより、他の動物には及びもつかない大発展を遂げる
ことが出来た。動物には無限の欲望がないので、食欲等の生存の条件が満た
されれば他に何もしない。動物には文化や芸術や技術の発達など不可能で
ある。人類だけに存在する無限の欲望は、人類の無限の発展を可能にする
原動力なのである。だから、無限の欲望が悪いのではない。そうではなく、
無限の欲望を悪にしているのは「欲望の方向」である。つまり、無限の欲望を
私利私欲に向ければ、苦悩と悪になるが、無限の欲望を生命の仕事に向けれ
ば、幸福と善になるからである。
例えば、無限の欲望を富や権力または快楽の追求に向け、エゴイズムを
むき出しにして闘争を激化させ、殺人や戦争に発展して大勢の人を苦しめる
ことは、苦悩と悪である。そして、これが無限の欲望によってなされるのだから、
それこそ留まることを知らない。その行き着く先は無限に続く闘争と殺戮であり、
これこそ本当の無限地獄である。
逆に、平和の実現や救援活動、教育や福祉の充実、豊かな情操の育成、
学問、芸術、医療など、その他諸々の生命の仕事に無限の欲求を向けてこれ
を行うことは、幸福の増大と善である。また、このような生命の仕事を行うこと
で、その人も生きがいと幸福を確かに感じることが出来る。これは理屈では
ない。経験により実感する事実である。そして、無限の欲求のほしいままに
生命の仕事に打ち込むことは、その人間にとって最大の幸福と善である
(注71)。ただしこれらの活動も、富や権力が絡んで無限の欲望をエゴイズム
に向ければ、苦悩と悪になる。
ところで人間の理性は、この無限の欲望を生命の仕事に向けるために存在
すると言える。なぜなら人間の理性は、本能や欲望や感情をコントロール出来
る強い力を持っており、この理性を正しく使えば、無限の欲望を生命の仕事に
向けることが可能だからである。しかしながら、人間の理性は私利私欲などに
誤って使われることも多い。もしも理性が殺人や犯罪、戦争などの悪に使われ
るならば、人類は、動物以下の最低最悪の生物になり下がってしまう。なぜな
ら動物は、同種間の殺し合いなど皆無だし、たとえ肉食動物であっても、獲物
は必要な分しか殺さないからである。そもそも理性を持たない動物には、戦争
など思いつかない。理性をもつ人間だからこそ、戦争による大量殺戮が可能
なのである。また、スポーツハンティングやスポーツフイッシングなどといった、
生命の維持に不必要な殺生を娯楽として楽しむことが出来るのも、人間に
理性が存在するからである。
人間だけに存在する無限の欲望を正しくコントロール出来るのは、これも
また、人間だけに存在する理性だけである。この理性を正しく使いこなすこと
は、大生命に対する人類の責任と義務である。なぜなら理性を誤って使用し、
全面核戦争や大規模な地球環境破壊を起こせば、大生命が壊滅するからで
ある。人間の理性は、それほどまでに巨大な力を持つに至った。だからこそ
人間の理性は、正常に保たなければならない。そして、正常な理性によって
コントロールされた無限の欲望は決して悪いものではなく、むしろ非常に良い
ものである。それは、人類の無限の発展の原動力そのものだからである。
さらにまた、人類の無限の欲望は、生命全体の発展の原動力でもある。
なぜなら、今のところ物質的であれ精神的であれ、「生命」そのものを進歩
発展させる能力を持っているのは、人類だけだからである。生態系の存在を
認識して研究し、生命全体のことを考えて心配することが出来るのは、人類
だけである。宇宙に進出できる可能性を持っているのも人類だけである。
生命の存在意義を考え、それを高めようとしているのも、人類だけである。
人類が出現してはじめて、地球の生命は「理性」を獲得するに至った。生命
が理性を獲得したことは、大生命の発展戦略である。全ての人間は理性を
正しく使い、無限の欲求を生命の仕事、つまり大生命の維持、強化、高等化、
永続に貢献する生命活動に向けなければならない。それが理性の所有を任さ
れた人類の使命と責任である。またそのことにより、人間は生きがいと幸福を
確かに感じることが出来る。なぜなら大生命によって(つまり生命進化によっ
て)、人間がそう作られているからである。
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注71:
私利私欲に惑わされないで、純粋に一生懸命に仕事に打ち込んでいる人々。
たとえば本物の芸術家や研究者などが、そのような幸福な人々なのだと思い
ます。
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5-4 個体の死も生命の仕事(注72)
生きられるだけ生き、出来得る限りの生命の仕事をやり遂げたならば、死ぬ
こともまた、生命の仕事である。なぜなら、一つの生物個体が永久に死ななけ
れば、生命の進化も多様化も不可能だからである。同じ生物個体が永久に生き
続ければ、地球上がその生物でいっぱいになってしまう。そしてこの時点で、
新しい生命の生まれる余地がなくなり、進化が途絶えてしまう。生命が進化を
続けていくためには、常に新しい生命が生まれるようにしなければならない。
それには世代交代が必要であり、そのためには、古い世代の死がどうしても
必要である。つまり、個体の死による世代交代がなければ、生命の進化も多様
化も不可能であり、地球環境のちょっとした変化で、生命は消滅したであろう。
また、人間のような高等生物の出現も、不可能であったと考えられる。個体の
死は、大生命の成長と発展にとってどうしても必要なのである。大生命は「個体
の死」という戦略を取ることにより、生命の無限の進化と発展を可能にしたので
ある。
以上の理由により、死ぬこともまた生命の仕事である。しかし、それは生きら
れるだけ生きた後のことであって、まず、自己の生命を最大限に生かすことが
大切である。そして、生きている間に出来る限りの生命の仕事をやりとげること
が、命を与えられた者の任務である。
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注72:
この節で書いたことは、今でも正しいと思っています。
そしてこれは生命の進化に限らず、人類社会の発展を見ても、古い世代が
いつまでも新しい世代に席を譲らなければ、国家や企業などの組織の刷新が
はかられず、時代遅れになって取り残され、その国家や企業は衰退してしまう
でしょう。
しかしながら!
高齢化社会が問題になっている昨今において、上で述べた話が悪用されれ
ば、「老人に対する、社会的な排斥や抹殺」に利用される危険性が無くもあり
ません。
そのため、この節の最後で述べているように、「生きられるだけ生きて、自己
の生命を最大限に生かすこと」が、ものすごく重要になって来るのです。
当然ですが老人には、老人ならではの「生命の生かし方」というのが、必ず
存在するはずです。つまり若者ではなく、老人にしかできない「生命の仕事」
が、必ず存在するはずなのです。
それは恐らく、長い人生経験によって得られた知識や知恵、長い時間を
かけて為された人格の陶冶(とうや)などが、絶対的に必要となるような
「生命の仕事」です。
そのような、「老人にしかできない生命の仕事」を積極的に探求して行くこと
が、すでに高齢化が進んだ現代社会にとって、ものすごく重要な課題になって
いるように思います。
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申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。
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