生命の「肯定」 8
2016年1月3日 寺岡克哉
年が明けて2016年になりました。
皆さんにとって良い年になりますよう、心から願っております。
さて前回では、拙書 ”生命の「肯定」” の、第1部第4章4節まで紹介しました。
今回は、その続きです。
* * * * *
4-5 大生命の意志 (注65)
「大生命が意志を持っている」などと言えば不信に思うかも知れない。しかし、
細菌のような簡単な生物でさえ、「生命として生きる意志」は既に持っている。
と、いうのは、細菌は栄養の摂取や増殖などの自発的な生命活動を行うから
である。この自発的に生命活動を行う意志が「生命として生きる意志」である。
「生命として生きる意志」の存在しない普通の物体、例えば精密工作機械など
は、それがどんなに複雑な構造をしていようとも、またどんなに活発に活動して
いても、どんなに大量の製品を生み出しても、それを生命とは言わない。だか
ら「生命として生きる意志」とは、生命の定義のようなものである。
ところで大生命は、地球上の全ての生物を養う生命維持システムである。
だから大生命は、全ての生物を育もうとする「自発的な意志」を持っている。
これが「大生命の意志」である。つまり大生命の意志とは、この地球上で生命
全体が協力して生きていこうとする意志である。
そしてまた、生命の進化が下等な生物から高等な生物へと進んでいるの
も、大生命の意志が働いているからである。このことを主張するには、
一、生命進化が高等化の方向へ進むのかどうか。(高等進化の有無)
二、生命の高等進化が自発的な意志の力によって行われているかどうか。
この二つについて、考察しなければならない。
一つ目の高等進化の存在については、進化の歴史的事実である「化石」に
よって示されている。化石の研究による各種生物の出現した年代は、大まか
に言うと次の通りである。
細菌類 三五億年前
無脊椎動物 六億年前
魚類 四億年前
両生類 三億年前
爬虫類 二億年前
哺乳類 六五〇〇万年前
人類 三〇〇万年前
これは、生物が下等なものから高等なものへ進化していることを明確に示し
ている
しかしながら、進化に方向性があることは、実験的にはまだ確認されていな
い。そのため高等進化の有無は、専門家の間では、まだ論争中の問題である。
しかし「実験で確認されなければ何事も認めることが出来ない」という立場が
絶対に正しいわけではない。なぜなら、実験によって生命を作り出すことはまだ
出来ないが、生命は現実に存在しているからである。高等進化の存在も、実験
ではまだ確認されていない。しかし、化石とい生命進化の歴史的事実が存在
する以上、それを謙虚に認めるのが自然な態度である。
二つ目の、高等進化が自発的な意志の力によるものだと言える理由は、以下
の考察による。例えば、自動車や飛行機などの機械、国家などの組織、政治、
軍事、経済、医療、学問など、あらゆる物事の進歩を見てみる。そうすると、下等
で単純なものから高等で複雑なものへの進歩が、無意識的、無目的に行われる
ことなどないのが分かる。物事が進歩して高等化するためには、強い動機と
意志、及び絶え間ない努力が必要である。細菌類などの単純な生物から、人類
のような高等生物への進化など、たとえ意志を持っておこなっても、そう簡単に
出来るものではない。無意識であれば、なおさら不可能であろう。だから、生命
の高等進化は、何らかの自発的な意志の力が働いて行われると考えるのが
自然である。
しかし、「人類のような高等生物は、偶然に生物を変化させる突然変異が長い
間に積み重なって生まれたもので、別に高等進化の目的があったわけではな
い」と反論する人がいるかも知れない。しかしその可能性は、ほとんどないと考え
るのが妥当である。なぜなら、突然変異は無目的で方向性がなく、しかも全く
乱雑に起こる現象であり、生物を高等にする変化も、下等にする変化も、同じく
起こるからである。だから、突然変異を何万回くり返そうとも、人類のような高等
生物の生まれる保証は全くない。突然変異で高等進化を説明するためには、
一、下等化の突然変異に比べ、高等化の突然変異が起こりやすくなっている。
そしてそのようになる何らかの隠れたメカニズムが存在しているのだが、研究
でそれがまだ解明されていない。
二、下等化の突然変異を起こした生物の生き残る確率に比べ、高等化のそれ
の生き残る確率が高くなっている。つまり自然淘汰が働いていて、高等化の
突然変異をした生物だけが生き残っていく。
この二つの、どちらかであるとしなければならない。両者は、いずれも実験的
にはまだ確認されていないのだが、もし、高等化の突然変異を起こりやすくする
何らかのメカニズムが存在していれば、それは、取りも直さず高等進化の意志
の現れである。また、自然淘汰が存在する場合であっても、自然淘汰は生命
全体の生態系のバランスの下で行われる現象だから、大生命の意志によって
行なわれているのである。以上から、いずれにしても大生命は、生物を高等化
する意志を持つと言える。また、そのように解釈しなければ、生命進化の歴史的
事実が説明できない。
さらに生命進化の歴史を考察していくと、大生命は色々な意志を持っている
ことが分かる。例えば、種の多様化や生態系の強化、寒冷地や乾燥地など
色々な地球環境への適応などである。大生命の意志を列挙すると、生命の
維持、繁殖、生物個体の強靭化、種の多様化、生物の高等化、生態系の複雑
化、生態系の強化、色々な地球環境への適応(淡水、陸上、砂漠、寒冷地等)、
生命現象の永続などが挙げられる。そしてこれらは、大生命の維持、大生命の
強化、大生命の高等化、大生命の永続としてまとめられる。
個の生命観という狭い視野では、個々の生物間の盲目的な生存競争しか
見ることが出来なかった。しかし、大生命という広い視野から見ると、生命全体
としての意志、つまり大生命の意志が、確かに見えて来るのである。また、大生
命の起源は一つの原始生命体であるから、大生命の意志とは、元々この原始
生命体の「生きたい!」という意志であり、それが進化し発展したものである。
だから我々個々の人間が持っている意志も、結局はこの原始生命体の意志を
受け継いで発展したものだから、大生命の意志の一部だと言える。
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注65:
この節で述べている「大生命の意志」とは、人間の自我意識から発生する、
いわゆる一般的な意味の意志ではなく、
自我意識が無くても行われる、「自発的に生きようとする生命活動」のこと
です。
しかしながら自我意識がなくても、「自発的に生きようとしている」のであれ
ば、やはり「意志」と表現するのが妥当のように思います。
なぜなら例えば植物は、おそらく自我意識を持っていないと思われますが、
成長や繁殖しようとする「意志」が確かに見て取れるからです。
この節の最後で「人間の意志」に触れていますが、これはもちろん個々
の人間の「自我意識」から発生する意志です。
だから「大生命が自我意識を持っているか?」という問いに対しては、
「大生命の一部として、自我意識が複数存在している」という回答が、いち
おう可能でしょう。
しかしながら大生命が、あたかも一個の人間のように、「一個の生物として
自己認識をしている、自我意識を持っているか?」という問いに対しては、
「大生命は、そのような自我意識を持っていない」とするのが、現在の私の
立場です。
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申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。
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