生命の「肯定」 7
2015年12月27日 寺岡克哉
前回では、拙書 ”生命の「肯定」” の、第1部第3章4節まで紹介しました。
今回は、その続きです。
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3-5 新しい生命観の必要性
以上のように、個の生命観を受け入れてしまったら、生命の否定は解消できな
い。そこで、本書は「大生命」という新しい生命観を提唱することにした。これは
「自分(個の生命)が死んでも、生命全体(大生命)は生き続ける」というもので
ある。今までの個の生命観では、「自分だけが全て」であり、自分が死ねば、
自分にとっては他の生命全体までも無に帰すことになる。これは、自分(個の
生命)にとっては正しい認識である(注59)。しかし、大生命の生命観も正しい
認識である。なぜなら、今までたくさんの個の生命が死んでいるが、生命全体が
消えて無くなることはないからである。人間の理性は、個の生命観でも、大生命
の生命観でも、どちらでも選択が可能である。両方とも、論理的に正しいからで
ある(注60)。しかし、個の生命観から脱却して生命の否定を解消し、積極的に
生命を肯定するためには、大生命の生命観を選択しなければならない。
大生命の生命観では、「自分の生命の意義は、自分が死んでも大生命の中で
永遠に生き続ける」となる。それは、大生命の生命観では「自分の生命の意義」
が他の生命との関わり合いによって生まれるからである。そして他の生命は、
自分の死後にも自分の生命の意義を永遠に伝えてくれるからである。
大生命の生命観は、生命進化や地球の生態系など、時間的、空間的に、非常
に幅広い生命同士の関わり合いの中で、自分の生きる意義を捉えるものである。
大生命の生命観は、物質文明によって生じた人類の精神的な貧困と閉塞を打開
し、さらなる人類の発展を可能にする一つの指針となるであろう。
大生命の生命観については次章から追々と述べていく。
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注59:
言うまでもありませんが、個の生命観で「死ねば全てが無に帰す」のは、
天国や地獄など「死後の世界」の存在を認めない、本書のような立場の
場合です。
注60:
「個の生命観」と、「大生命の生命観」という、相反する2つの生命観を、
「両方とも、論理的に正しい」とするのは、一見すると論理的に矛盾している
ように感じます。
しかし本文で述べているように、それぞれの生命観の立場に立つならば、
その生命観の内において、論理的な矛盾はないのです。
つまり「個の生命観の立場」に立つならば、個の生命観は論理的に正しく、
「大生命の生命観の立場」に立つならば、大生命の生命観は論理的に正しい
ということです。
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第4章 大生命
4-1 大生命の定義
この章では、「大生命」の生命観について述べる。大生命とは「個の生命観」
と対照をなすものであり、生命の否定の解消、及び生命の肯定を可能にする
生命観である。大生命は「生命」の概念を地球の生態系にまで広く拡張したの
で、荒唐無稽な感じがするかも知れない。しかし、これと類似の、他の生命同士
との関わり合いに着目した生命観は、既にインドの仏教思想や、中国の老荘
思想などに見られる。大生命の生命観は、それらをヒントにし、さらに現代の新し
い知識を取り入れて、構築したものである。最近は、地球環境や生態系(エコロ
ジー)の議論が世界中で活発にされているから、大生命の生命観は多くの人
にとって馴染みやすいものであると思う。また、本書を参考にしてテレビの自然
番組を見たり、動物や植物の生態系の本を読んだり、あるいは野外に出て実際
の自然を観察したりすれば、大生命の存在がさらに実感できるようになると思う。
ではここで、いよいよ大生命の定義を述べよう。
大生命を「地球上の全生物、及びそれらの諸関係の総体」として定義する。
大生命は、ウイルス、細菌類、プランクトン、植物、昆虫、無脊椎動物、魚類、
両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類及び人類の、地球上の全生物によって構成され
る。そしてこれらの生物は、食物連鎖や共生関係、または植物と動物とで行わ
れる酸素と二酸化炭素のガス交換など、色々な関係で結びついている。
このように色々な関係で有機的に結ばれた「地球の生物全体」が大生命で
ある。
4-2 大生命は一つの生命維持システム
大生命は、太陽エネルギーをエネルギー源にした、一つの生命維持システム
である。だから全ての生物は、必ず何らかの関係で一つにつながっている。
以下、その例をいくつか見てみよう。
例えば、植物と動物は、酸素と二酸化炭素の関係でつながっている。植物は、
太陽エネルギーと二酸化炭素から酸素を作り、一方、動物は逆に酸素を吸って
二酸化炭素を出す。そして、動物の出した二酸化炭素は、再び植物に使われる。
別の例では、食物連鎖がある。植物は太陽エネルギーと二酸化炭素と水で
育つ。そして植物は草食動物に食われ、草食動物は肉食動物に喰われる。
一方、動物の糞や死骸は、細菌類によって分解され、植物の栄養素になる。
海での食物連鎖は、植物性プランクトンが太陽エネルギーで育ち、これを動物
性プランクトンが食べ、小魚、大きな魚、さらにはアザラシやクジラなどの海洋
哺乳類へと続く。
さらには、海と陸の生物も結びついている。例えば、陸の動物が出した二酸化
炭素や、山火事で発生した二酸化炭素は、海の水に溶け込み、植物性プランク
トンや海草に使われる。そして、植物性プランクトンや海草の作った酸素は、
大気中に放出され、陸の動物にも使われる。一方、陸の植物が作った酸素も、
海に溶け込み、海洋動物に使われる。このように酸素や二酸化炭素は、海と陸
を問わずに、地球の生物全体を循環している。
また、海と陸の生物が結びついている別の例としては、陸の河川から海に
流れ出した有機物が海の生物の栄養となったり、海岸に打ち上げられた海の
魚や、川を上ったサケなどが、陸の動物の食物となることなどがある。
その他の生物同士の関係としては、昆虫が花から密をもらい、そのかわりに
昆虫が花粉を運ぶこと、また別の例では、果実を種ごと飲み込んだ動物が移動
した先で糞と一緒に種を出すことにより、植物の分布が広がる・・・ などがある。
このように、生物同士は色々な関係で結ばれている。この他にも生物間には
色々な関係がたくさん存在しているであろう。生物学者や生態学者ならば、もっ
と複雑で面白い生物同士の関係をたくさん知っているに違いない。
以上のように、地球の全ての生物は、何らかの関係で必ず一つにつながって
いる。これは、「地球」という限られた場所と環境の中で出来る限りの多種多様
な生物を育もうとするからである。全生物が生きるためのエネルギーは、結局は、
植物が受けている太陽エネルギーが全てである(注61)。このエネルギーを、
全生物で、少しの無駄もなく分けあって生きている。だから全ての生物は、何らか
の関係で一つにつながっているのである。このように大生命は、太陽エネルギー
をエネルギー源として地球の全生物を養う、高度で複雑な、一つの生命維持シス
テムとなっている。
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注61:
厳密に言うと、一部の細菌類は、海底などで「火山のエネルギー」を利用
して生きています。しかしそれは、地球の生物全体に比べれば、ごく少数に
すぎません。
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4-3 大生命の起源は一つ
大生命の起源、つまり地球の全生物の起源は、四〇億年前に誕生した原始
の生命体である。地球で最初に生まれた生命体は、非常に単純なものである。
しかし単純だとは言っても、普通の物質に比べるとずいぶん複雑である。地球
で最初の生命体は、ごくたまにしか起こらない化学反応が何千回、何万回と
なくくり返されて、やっとのことで生まれたのだと思う。
ところが、化学反応には生命体を作る反応だけでなく、分解する反応も当然
ある。だから、もう一歩の所で生命体が出来そうになっても、生命体を壊す化学
反応が起これば、それはたちまち分解してしまったであろう。そして、やっとの
ことで生まれた生命体も、自己複製を遂げる前に、その生命体を分解する化学
反応がたった1回でも起これば、たちまち死んでしまう。しかし、分解よりも自己
複製の速度が勝っている生命体が、たとえ一つでも生まれたならば、その生命
体は、どんどん増えていったであろう。
だから、幸運にも現在まで「生命」を継続することに成功した生命体、つまり
大生命の起源になり得た生命体は、一つであったと考えられる。それにもし、
たくさんの生命体が同時に発生するほど、簡単に生命が誕生するものならば、
有機化学の実験でも、生命が簡単に作れるはずであろう。以上の考察より、
大生命は、四〇億年前に一つの原始生命体として生まれた・・・と考えるのが
自然である。
そして、生まれたばかりの大生命は、生命を存続させるために繁殖を開始
したが、それと同時に進化の道も歩み始めた。原始の大生命は進化を続け、
長い時間をかけて多様化し、複雑化し、高等化した。そして現在、大生命は
人間を含む3000万種以上(注62)の生物による複雑で強力な生態系に成長
した。
地球の全生物の共通の祖先、つまり大生命の起源は一つの原始生命体で
ある。これは「DNAが全ての生物に存在する」という全生物の共通性により、
科学的にも証明されていると言えよう。
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注62:
近年の研究では、最大で1億種に上るという推定もあります。
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4-4 大生命は一つの生命体
大生命に「多細胞生物」の概念をあてはめれば、大生命は、広義の意味で
一つの生命体と考えることが出来る。多細胞生物とは、ごく一般の動物や植物
のことであり、これらは多数の「細胞」というものから出来ている。そして、生物
を構成している一つ一つの細胞もまた、ある意味では独立した生命体だと言え
る。と、いうのは、細胞は分裂によって増殖し、病気や怪我をすればそれを治し、
寿命が来れば死ぬからである。このように一個の細胞は独立した生命活動を
行なっている。
例えば、人間は死んでも頭皮に栄養のあるうちは髪の毛が伸びるそうである。
これは、髪の毛の細胞が独立した生命体であることを示している。また、脳や
心臓の機能が停止しても、人工心肺を使えば各細胞は生き続けることが出来
る。このように個々の細胞は、栄養や酸素などの条件を整えてやれば独立して
生きることが出来る。そして、一人の人間は約60兆個ほどの「細胞」という独立
した生命体で構成されている(ところでこれは余談だが、一個の細胞の中には
ミトコンドリアというものが数千個含まれている。これらのミトコンドリアは、太古
の昔には独立した生命体のバクテリアであったと言われている。つまり、一個
の細胞でさえも、実は多数の生命体から成り立っていると考えることができる)。
この多細胞生物の概念を大生命に拡張すると、大生命は一個の「多生物生命
体」と言える。大生命を一個の生命体と考えると、個々の生物は大生命の細胞
のようなものである。大生命においての、一つの大腸菌、一匹のとんぼ、一本の
桜の木、一頭の牛などといった個々の生物は、多細胞生物(例えば人間)に
おいての、一個の筋肉細胞、一個の脳細胞、一個の表皮細胞、一個の肝細胞
などの個々の細胞に相当している。
ところで、もしも一人の人間を細胞の視点から見たならば、たとえ細胞に考え
る能力があったとしても、個々の細胞は、人間の存在を認識できないであろう。
そして、栄養素や老廃物のやり取りなどの細胞同士の関係も、ごく近傍の細胞
同士でしか認識できない。細胞同士が遠く離れている場合、例えば、足の爪の
細胞と髪の毛の細胞とではどんな関係も見出せず、お互いにその存在すら知り
得ないであろう。しかし、これら二つの細胞は、「人間」という一つの生命維持
システムの一部を担っている(注63)。
大生命の場合も同様に考えることが出来る。動物や植物などの個々の生物
は、大生命の存在を認識することが出来ない。また、個々の生物同士の関係
についても、同じ種族、同じ群れ。同じ家族などのごく近い関係や、もしくは
食うか食われるかといった直接的な関係でしか認識することが出来ない。生息
地も種も遠い生物同士、例えばアフリカの像と南極のペンギンとでは、何らの
関係も見出せず、お互いにその存在すら知り得ないであろう。しかしながら、
これら二つの生物は「大生命」という一つの生命維持システムの一部を確かに
担っている。このように、多細胞生物と個々の細胞、及び大生命と個々の生物
の関係はよく一致している。
また例えば、人間の生まれる始まりは受精卵という一つの細胞である。それ
が細胞分裂をくり返して数が増え、それらが手や足や脳といった体の各部位に
分化する。そして、それらの細胞が全部集まって、一個の人間を構成している。
大生命の場合も、生まれる始まりは一つの単純な原始生命体であった。それ
が繁殖をくり返して数を増し、進化によって多様化し、植物や動物や昆虫など
種々の生物に分化した。そして、それらの生物が全部集まって、一個の大生命
を構成している。これなども、多細胞生物と個々の細胞、及び大生命と個々の
生物との関係が、よく一致している。このように、多細胞生物の概念を大生命に
拡張して考えれば、大生命は一つの生命体と言えるのである(注64)。
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注63:
「一個の人間」は、空腹になれば食物を食べ、喉(のど)が渇(かわ)けば
水を飲み、呼吸によって酸素を取り入れ、寒ければ衣服を着たり暖房を取り、
老廃物が出れば糞尿として排泄し、疲労すれば睡眠を取って、生命を維持
しようとします。
つまり「一個の人間」は、60兆個の細胞で構成された「一つの生命維持
システム」となっているのです。
注64:
「大生命は一つの生命体である」という主張は、何とも大胆で、ともすれば
「新興宗教」のように思われてしまうのではないでしょうか。
しかしながら、いまの私がこの節を読み返してみても、多細胞生物と細胞
の関係は、大生命と個々の生物の関係と、じつに良く一致しているように感じ
ます。
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申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。
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