生命の「肯定」 3
2015年11月29日 寺岡克哉
前回では、拙書 ”生命の「肯定」” の、第1部第2章2節まで紹介しました。
今回は、その続きをご紹介したいと思います。
* * * * *
2-3 金や地位
金や地位などを得ることも、一般的には人生の幸福であると考えられている。
金や地位は公正な手段で獲得し、しかも質素な生活に十分な程度の金や地位
で満足することが出来れば、それは確かに幸福な状態であると言えよう。しかし
大部分の人間はそれで満足することが出来ないので、金や地位の追及は、苦悩
や苦痛を解消しないばかりか、かえって増加させることになってしまう (注17)。
なぜなら、多額の金や高い地位の獲得には、闘争が常につきまとうからであ
る。そしてまた、金や地位は獲得すればするほど、さらに多額の金や地位が欲し
くなる性質があり、この渇望の苦しみも、さらに強くなっていくからである。そして
この苦しみを解消するために、さらに多額の金や地位を求め、競合相手との闘
争がますます激しくなっていく。この闘争の激化によっても、苦悩や苦痛はさら
に増加していく。つまり、渇望の苦しみと闘争の苦しみが増幅循環し、苦しみが
限りなく増大していくのである。
さらに現代では、自由競争の名の下に、競争意識を過度に煽り立てる風潮が
あり(注18)、受験競争やエリート教育などで、子供の時から競争意識を過剰に
植えつけられる(注19)。これでは金や地位の獲得競争が激化するのは当然
であろう。
たとえ死にもの狂いの努力により、やっとのことである程度の金や地位が得ら
れたとしても、今度はこれらを失うことの心配や不安がやがて恐怖となってつき
まとう。しかもこの恐怖は、しばしば死の恐怖をも凌駕する場合があり、金や地
位を失って自殺する者は後を断たない。
また、人をだましたり、殺人などの犯罪を犯してまで金や地位を得ようとする
人間がいつの時代にも必ずいて(注20)、これによる不幸も、人類史が始まっ
て以来、なくなることはないのである。
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注17:
近年では、非正規雇用のために賃金が低く、いくら質素な生活をしていても、
お金が不足している人が多いのではないでしょうか。そのような人々にとって、
お金を得ることがとても大切なのは当然であり、ここで否定するものではありま
せん。
注18:
現在では「経済のグローバル化」によって、世界規模の自由競争が起こって
います。さらに今後、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)が導入されれば、
これまで「関税」によって守られていた農業なども、世界的な自由競争にさらさ
れて行くことになるでしょう。
注19:
近年では「少子化」により、受験競争は昔よりも緩和されてきたように思いま
す。また「ゆとり教育」の導入により、競争意識を過剰に植えつけるという教育
方針にも反省が求められました。
しかし日本経済の低迷や、学力低下の指摘などによって、「ゆとり教育」に
対する批判が起こるようになり、ふたたび「詰め込み教育」と「競争意識を煽り
立てる教育」へと、逆戻りするような動きもあるように感じます。
注20:
昨今では、「オレオレ詐欺」や「架空請求詐欺」などの特殊詐欺が横行してい
ます。
また食品偽装や、製品のデータ捏造(ねつぞう)、ブラック企業やブラックバイ
トなども、「人をだましたり、犯罪を犯してまで金を手に入れる」という部類に入る
でしょう。
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2-4 肉体的快楽
食欲や性欲などの欲求を満たすことも、一般的には人生の幸福であると考え
られている。肉体の欲求はつつましく必要な程度で満足し、それ以上のものを
求めなければ確かに幸福であろう。例えば、人間以外の動物は、肉体の欲求
を生命の維持や種族の維持に必要な程度で満足するので、いたって平穏無事
である(注21)。ところが人間は違う。人間は肉体の快楽を際限なく求めようと
するので、さまざまな苦悩や苦痛を招くのである。
そもそも、食欲や性欲には生物としての限界があり、その限界を越えて求め
ても快楽は得られず、かえって苦痛に逆転する。私がよくやることでは、食べ
過ぎによる胃腸障害や酒の飲みすぎによる二日酔いなどである。さらに、限度
を越えて無分別に食欲を追及すると、肥満が原因の糖尿病や心臓疾患になる。
また、無分別に酒を飲むと、アルコール中毒になる。
そして病的に性的快楽を追及した場合は、自分だけでなく周りの者にも多大
な不幸をもたらすのである。不倫による家庭崩壊、さらには少女買春や強姦な
どの性犯罪がそれである。性欲の病的な追及で生じる苦悩や苦痛は、人間を
自殺や心中に追いやったり、殺人を犯させたりすることもしばしばである
(注22)。
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注21:
野生動物は、つねに弱肉強食の生存競争に晒(さら)されており、また繁殖期
にはメスを得るためにオス同士が争うので、「いたって平穏無事である」と言い
切ってしまうことには語弊がありました。
しかし野生動物は、十分に満腹しているときは狩りなどやらなし、繁殖期以外
のときはメスを得るための争いもしません。読者の方には分かってもらえると
思いますが、ここでは、そのことを言いたかったのでした。
注22:
性病を移(うつ)されたり移したり、望まずに生まれてしまった子供を、育てる
ことができずに殺してしまうことなども、「性欲が原因の不幸」のなかに数えられ
るかと思います。
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2-5 結婚と家族
異性を愛して結婚し、子供を産み育てることも、一般的には人生の幸福である
と考えられている。しかし、これこそがまさに苦悩と苦痛の拡大再生産である。
はじめから人間として生まれてこなければ、苦悩や苦痛、及び死の恐怖を感じ
なくて済んだからである。親は、自分たちの勝手な都合で子供を作ってしまう。
親の方も、人生が苦悩と苦痛の連続であることは知っている。それなのに親は
子供を、強制的に、苦悩と苦痛の世界に放り出すのである。子供の意志で生ま
れることを拒否するのは、当然ながら不可能である。そして、子供だけでなく親
もまた、子供が病気になったり、子供が犯罪を犯したり、または不慮の事故で
子供が死んだりした時などは、大変な悲しみと苦しみに見舞われる(注23)。
以上の理由が全てではないとしても、結婚や子供が無条件に人生の幸福に
ならないのは確かであろう。それを証明するかのように、結婚や子育ての環境
が充実している先進諸国において、結婚しない人や子供を作らない人が増え
ている。これは、先進国では結婚以外にも人生の価値観が多様化しており、
また、乳児死亡率が低く国家の総人口も安定しているので、「結婚して子供を
産み育てることだけが人生の目的ではない!」と考える人が多くなっているから
だと思う(注24)。
以上、この章でこれまで見て来たように、一見するとどんなに幸福そうな状態
であっても、その中に必ず苦悩や苦痛が存在している。それは「人間の存在」
そのものが苦しみの原因だからである。人間はいつも何かに苦しんでいる。
苦しみの全くない人間などこの世に一人も存在しないのである。
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注23:
ここで述べたことの具体的な例として、「いじめによる子供の自殺」を、私は
念頭(ねんとう)においていました。
いじめに遭(あ)った子供は、「なんで親は、この世に自分を産んだんだ!」
と、ものすごく苦しんだことでしょう。そして、いじめを苦に自殺してしまったら、
今度はその親が、大変な悲しみと苦しみに見舞われるのです。
注24:
現在の日本でも「少子化」が大きな問題になっていますが、これは「経済的
な問題」とか、「子育て環境の問題」というよりは、ここで述べたような「価値観
の問題」ではないかと私は感じています。
なぜなら「経済の状態」や「子育ての環境」が、先進国に比べれば全く不十
分な「発展途上国」において、人口の増加が問題になっているからです。
このような意味で、いまの日本政府がやっている「少子化対策」は、すこし
「的外れ」のような気がします。
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2-6 生命維持の苦
生命維持の苦は、人間だけでなく生物一般に存在する苦しみである。全ての
生物は、生命を維持するために、色々と「苦労」をしなければならない。そのた
めに、生命維持の苦が存在する。もしも苦しみがなければ、生物は、わざわざ
苦労をして生命を維持しようとしないからである。
例えば、生物が生命を維持するためには、周囲から、食糧や水などの色々な
物質を体に取り込まなければならない。しかし食糧や水は、だまっていても自動
的には集まっては来ない。だから生命を維持するためには、苦労をして食糧や
水を集めなければならない。そのために、飢えや渇きの苦しみが存在する。ま
た、生命維持のためには、呼吸をして酸素も取り込まなければならない。呼吸
などは大した苦労ではないと思うかもしれないが、4000メートル以上の高山に
いる時(注25)や、怪我や病気で呼吸困難の時(注26)、または水に溺れて
いる時などは、体に酸素を取り込むのも大変な苦労が必要である。この大変な
苦労を強制的にさせられるために、窒息の苦しみは非常に大きい。寒さや暑さ
の苦しみも、体を適当な温度に保たないと生命が維持できないから存在してい
る。
また、病気や怪我などの苦痛は、傷んだ体を治すために存在している。病気
や怪我をした時に、少しも苦痛を感じなければ、それを治そうという気持ちも起き
なくなり、死んでしまうからである(注27)。
ところで、年頃になっても結婚できなかったり、結婚しても子供を授からなかっ
たりしても苦しむが、これは種族を維持するための苦しみである。また、子供や
家族、親しい仲間などが死んでも苦しむが、これも同様である。
つまり、生物が個体や種族を維持していくためには、色々と「苦労」をしなけれ
ばならない。しかしその一方で、苦しみが存在しなければ、生物は生きるための
努力を怠ってしまう。だから苦しみが存在するのである。
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注25:
私は昔に、ヨーロッパアルプスのモン・ブラン山系にあるミディ展望台(標高
3777メートル)に行ったことがあります。そのときロープーウェイの駅にある
階段を上ったら、ものすごく呼吸が荒くなりましたが、いくら一生懸命に呼吸
をしても、ぜんぜん呼吸が楽にならなかったことを覚えています。
注26:
私は、「呼吸」についてかなり意識している(つまり、こだわっている)人間だと
思います。私がそのような人間になったのは、おそらく病気がちだった子供の
頃の体験が関係しているのでしょう。
私が子供の頃はとても病気がちで、ちょっとした風邪を引くとすぐに39度以上
の高熱を出し、鼻と咽を詰まらせて「呼吸に苦労した覚え」があります。小学校
の2、3年生の頃は、毎月のようにこのような風邪に悩まされました。
注27:
このように頭では分かっていても、末期がんで治る見込みのない身内の介護
をしていると、「生きるために必要な苦しみだったとは言え、あまりにも無慈悲
だ」と、泣き言の1つも言いたくなってしいます。
しかし考えてみると、「がん」が末期まで進行してしまったのは、がんの初期
のうちは「痛み」をあまり感じないからでした。
もしも、がんの初期のうちに「激しい痛み」を感じるならば、がんの早期発見
がもっと簡単になるはずです。
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申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。
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