「食」についての思い出
                           2015年11月8日 寺岡克哉


 近ごろ、

 「食」というものついて、考えさせられることが、多くなってきました。



 というのは、

 私の身内に、末期の癌(がん)を患(わずら)っている者がいて、

 今年の1月から8月まで、八ヶ月間の入院生活を送っていましたが、

 その後、退院して「自宅療養」という形になり、

 栄養剤を飲ませつつ、柔らかくて食べやすい料理を作るために、

 食材の選び方や、調理方法について、日々頭を悩ませるようになっ
たからです。



 何とか少しでも食べてもらえるように、いろいろ苦心して料理を作る
のですが、

 癌のために体調が悪くなり、熱が出たり、お腹が痛くなったりして、

 ほとんど食べることが出来ない時もあります。

 そんなときは、とても心配になり、ほんとうに困ってしまいます・・・ 


            * * * * *


 このように私は、いま現在、

 病人を目の前にして、「食」というものについて、いろいろ考えさせ
られる毎日ですが、

 そんな状況の中にいると、

 昔に聞いたことがある、ある一つの話を、何度も思い出すように
なりました。

 それは、

 かつて私がラーメン店で働いていたときに、調理指導の先生から
聞いた話です。



 その先生は、日本料理が専門で、

 かつては高級料亭で腕を揮(ふる)っていたこともあるそうです。

 それなのに、なぜ、

 ラーメンという「大衆料理」に関(かか)わるようになったのか、
私はすこし疑問に感じました。

 それで、そのことについて質問してみたのです。



 そうすると、その調理指導の先生が言うには、

 あるとき、ある病院からの要請があって、

 入院患者の食事をつくる「調理場を点検」して、改善する必要が
ある部分を、チェックしてほしいと頼まれたそうです。



 その病院での仕事の折(おり)に

 年老いた入院患者さんたちが、いったい何を食べているのかを
見学したら、

 なんと驚いたことに、どんな食材でもミキサーにかけて、すべて
「流動食」にして食べさせていたそうです。



 「これでは、あまりにも可哀そうだ!」と思った調理指導の先生
は、

 病院の栄養士さんと相談して、いつもの流動食と栄養の成分が
同じになるように食材(ネタ)を選び、

 「寿司」を握って、患者さんたちに食べさせたそうです。



 そうしたら、

 年老いた患者さんたちは、「こんな美味しい物は食べたこと
がない!」


 と言って、涙をポロポロ流しながら、寿司を食べたそうです。



 そのとき調理指導の先生は、

 「”食” というのは一体なんだろう」と、改めて考えさせられたと
言います。

 そんなことがあって、

 「これからは ”大衆料理” にも、目を向けて行かなければなら
ない」と、思うようになったと言うのです。


            * * * * *


 年老いた患者さんたちが、「こんな美味しい物は食べたことがな
い!」と言って、涙をポロポロ流しながら寿司を食べた・・・ 

 私は近ごろ、何回も何回も、この話を思い出してしまうのです。



 やはり「食事」というのは、

 必要な栄養分を、ただ無理矢理に、口から流し込めば良いという
ものではないのでしょう。



 おそらく、

 「美味しいものを食べる」という楽しみは、

 「生きようとする力」を生み出すための、大切な要素の1つになっ
ていることは、

 絶対に間違いないと思います。



 なので私は、

 なるべく、本人が「食べたい!」と思えるような料理をつくること。

 そしてまた、家族みんなが一緒になって、できるだけ同じ料理を
食べること。

 そんなことを目標にしながら、毎日の食事を作っている次第です。



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