5歳児の餓死事件
2015年11月1日 寺岡克哉
先日、
とても痛ましい事件について、マスコミが報道していました。
自分の子供に食事を与えず、その子を「餓死」させて殺した
父親に、
懲役19年の判決が出されたということです。
* * * * *
昨年の5月・・・
神奈川県・厚木市のアパートで、当時5歳だった斉藤理玖(りく)
君の、「白骨遺体」が見つかるという事件が起こりました。
その後、この事件については、
父親の斉藤幸裕・被告が「殺人罪」などに問われた、裁判員裁判
が行われていました。
そして、先日の10月22日。
横浜地方裁判所が、懲役19年(求刑懲役20年)の判決を言い
渡したのです。
判決によると、
斉藤被告は妻が家出した2004年秋から2人暮らしになったが、
2006年秋ごろから理玖君の面倒を見るのが嫌になり、十分な
食事を与えず、
栄養失調の状態にさせて、2007年1月中旬に殺害(餓死)した
としています。
遺体の状況から、
理玖君は死亡する1ヶ月前には相当にやせ、体が動かせないほど
衰弱していたと判断されました。
誰でも死の危険性を理解できる状態であり、「医師の診療も受けさ
せずに放置しており、殺人罪が成立する」としています。
また公判では、
電気・ガス・水道が止められたアパートの6畳の和室に、
外側から引き戸に粘着テープをはり、雨戸を閉めるなどして理玖君
を閉じ込めた状況にも言及しました。
「生命をあまりに軽視する自己中心的な動機」
「(理玖君は)唯一すがるべき存在の父親から食事を与えられず、
ごみに埋もれた不快で異常な環境に放置され、死亡した経緯は涙を
禁じ得ない」
と、量刑理由が述べられています。
* * * * *
ところで裁判では、
理玖君に与えた「食事の回数」が、「争点」になったといいます。
判決によると、
2006年ごろから、食事の回数が2日か3日に1回となり、
さらに死亡する直前においては、1週間に、たったの1回程度
だったとしています。
しかし一方、斉藤・被告は、
「毎日2食」、「週の半々」などと証言が変遷しており、
「虚偽の供述」を繰り返していたのです。
さらに、斉藤・被告は法廷で、
理玖君の死を「事故のようなもの」と言ったり、
理玖君が死亡した状況について、「覚えていない」などという発言
を繰り返しており、
まったく反省の色を見せませんでした。
伊名波・裁判長は、判決を言い渡した後の説諭で、
「(法廷で)理玖君の死を ”事故のようなもの” と言った被告の
発言には耳を疑った」
「真摯(しんし)に向き合って供養してほしい」
と、始終うつむいたままの斉藤・被告に反省を求めました。
また法廷では、男性裁判員の1人が、
「大切なわが子の最後をなぜ覚えていないのか!」
と、厳しい口調で問い掛ける場面もあったといいます。
* * * * *
以上、ここまで見てきましたが・・・
なんと悲惨で、憤りの込み上げてくる事件でしょう!
近ごろ私は、
このような事件にたいして、とくに過敏になっているような気が
します。
というのは、
私の身内に、末期の癌(がん)を患(わずら)っている者がいて、
栄養剤を飲ませつつ、柔らかくて食べやすい料理を作るために、
食材の選び方や、調理方法について、日々頭を悩ませている
からです。
「何とか少しでも食べてもらおう」と、いろいろ苦心して作った
料理でも、
癌のために熱が出ていて、ほとんど食べることが出来ない時が
あり、
ものすごく心配になってしまいます。
このように、何とかして「食べてもらうこと」に日々苦心している
私にとって、
斉藤・被告のような者は、言葉は悪いですが、とても人間である
とは思えません。
理玖君は、どれだけ「ひもじい」思いをして苦しみ、死んだことで
しょう。
ほんとうに、心の底から憤りが込み上げてきて、どうしようもない
事件です。
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