700回目に思うこと
2015年7月19日 寺岡克哉
本サイトのエッセイも、このたびで700回目となりました。
今まで読んで下さった方々には、たいへん感謝しております。
* * * * *
ところで私は、
ずっと以前(本サイトでエッセイを書き始めた頃)から、
「700回目ぐらいまで連載を続けることができたら、私の書く文章
も、何とか ”物になる” のではないか」と、
(心の中で密かにですが)自分で勝手に思っていました。
というのは、
かつて私が、大学の研究室に所属して、物理学の実験研究に
従事していたとき、
700回目の実験を数える頃(700個ぐらいの実験サンプルが得ら
れた頃)に、
「この研究も何とか物になりそうだ!」と、確信を持つことができる
ようになったからです。
つまり、べつに何の根拠もないのですが、
「700回目」というものに、むかしの「成功体験」を重ね合わせて、
ただ単に、「験(げん)を担(かつ)いでいた」わけです。
* * * * *
ちなみに、大学で研究を行っていたとき、
最初の実験サンプルが得られたのは、1991年の3月で、
700個目のサンプルが得られたのは、1994年の5月です。
だから、この間に3年と2ヶ月の、年月が経っていたことになり
ます。
そして一方、本サイトにおいて、
第1回目のエッセイを掲載したのは、2002年の3月で、
このたび700回目のエッセイを掲載したのが、2015年の7月
です。
なんと、13年と4ヶ月もの、年月が経ってしまいました。
こうして比べてみると、
自分の実感としては、あまり長く感じていませんでしたが、
「エッセイの連載」も、ずいぶん長く続いていることが分かります。
* * * * *
その結果、どうだったかと言えば・・・
つまり、10年以上の歳月をかけ、700回目のエッセイを数える
にあたって、
「私の文章も、少しは物になったのか?」 といえば・・・
ものすごく残念ですが、
ぜんぜん、「物なった」という気持ちには、なることが出来ません。
と、言いますのは、
私の書くエッセイは、「人の心」というものを、一貫したテーマにして
いますが、
たとえば、
生きることに辛さを感じて「自殺」をしてしまうのは、「人の心」の成せ
る業(わざ)です。
そして、
いじめや暴力、殺人、テロや戦争を行ってしまうのも、「人の心」が
原因です。
さらには、
地球規模の環境破壊をして、地球の生命全体の存続をも危うくさせ
ている根本の原因が、まさに「人の心」なのです。
私は、
この「人の心」というものを、少しでも「良い方向」へと変えて行ける
ような
そんな文章が、何とか書けるようになりたいと日々思っています。
しかしながら、
それは、なかなか難しいと言いますか、
そもそも「人の心を変える」なんて、とても「大それたこと」だと
いうか、
現実問題として、ものすごく「無謀なこと」でした。
そのことが、
痛烈に、完膚(かんぷ)なきまでに、心の底まで思い知らされて
いると言うのが、
いま現在の、私の率直な心境なのです。
しかし、ここで諦(あきら)める訳にもいきません。
無謀なことだと重々に承知していますが、これからも懸命に精進して
まいりますので、
私がエッセイを書き続けている間は、どうか今後もお付き合い頂きた
いと、
心からお願いする次第です。
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