沖縄の基地問題 9
2015年6月14日 寺岡克哉
いま現在、沖縄では、
アメリカ軍の普天間基地を、辺野古に移設するという計画が進められ
ています。
そんな状況のなか、沖縄県の翁長知事は、
アメリカ政府や、アメリカの議員にたいして、移設計画の撤回を要請
するために、
5月27日から6月5日までの、10日間の日程で、アメリカを訪問して
いました。
この期間中に、翁長知事はハワイにおいて、
メイジー・ヒロノ上院議員、
トゥルシー・ガバッド下院議員、
ブライアン・シャーツ上院議員、
デービッド・イゲ州知事
と会談し、また、アメリカの首都ワシントンでは、
上院軍事委員会のジョン・マケイン委員長、 ジャック・リード筆頭理事、
上院歳出委員会のタッド・コクラン委員長、
下院歳出委員会軍事施設建設小委員会のスタンフォード・ビショップ
副委員長、
同軍事施設建設・退役軍人・関連組織小委員会のチャールズ・デッド
委員長、
国務省のジョセフ・ヤング日本部長、
国防総省のキャラ・アバクロンビー副次官補代行、
米外交問題評議会(CFR)シーラ・スミス上級研究員、
戦略国際問題研究所(CSIS)マイケル・グリーン上級副所長、
新アメリカ安全保障センター(CNAS)パトリック・クローニン上級顧問
と、じつに多くの相手と会談をしました。
* * * * *
しかしながら・・・
国防総省のキャラ・アバクロンビー副次官補代行は、
辺野古移設の現行計画が「唯一の解決策」という立場を崩すことは
なく、
翁長知事との議論は「平行線」に終わってしまいました。
また、アメリカ国務省では、
ジョセフ・ヤング日本部長が、翁長知事と会談した後に、
「普天間飛行場の辺野古への移設は唯一の解決策だ」とする声明が
発表されました。
そのとき、現場で取材を終えた記者を追いかけて、発表文を手渡す
ほどの、念の入れようだったといいます。
このように、
国防総省や国務省などの「アメリカ政府側」は、翁長知事の訪問に
たいして、
とても「歓迎するムード」ではなく、あくまでも「冷たい態度」しか示さ
なかったのです。
このことに関して、帰国した翁長知事は、
「かたくななワシントンDCの状況を聞いてきた」
「厳しい内容も、私からすると想定内だ」
「一人一人と私の議論が浮かび上がる」
「議論そのものは大変沖縄の言い分を理解した」
という感想を語っています。
また、翁長知事は、
訪問したハワイとワシントンで、アメリカの議員や政府関係者との
会談を振りかえり、
「国と国との関係なので ”分かりました” とはいかない」
「結論的にはいい形にならなかったが、これだけ話をしたのは大変
大きな結果だ」
と述べて、沖縄の民意や状況を、多くの場で伝えられたことに意義が
あったと総括しました。
さらに翁長知事は、
「10日間の訪米で心境に変化があったか」という記者の質問にたい
して、
「多くの方々と会談し、理解という意味ではいただいた」
「ワシントンDCにきて、手を挙げてタクシーに乗った時に沖縄の知事
だと言ったら、良く知っていた。ニュースで見た。基地の問題でしょ。
尖閣も問題なのといった質問があった」
「一般の人々にも反応が出ている。一部マスコミで報道があったこと
を含めると影響力の大きさがすごい」
と、語っています。
* * * * *
以上、ここまで見てきて、私は思うのですが・・・
4月28日に、ワシントンで行われた日米首脳会談で、
安倍首相とオバマ大統領が、「辺野古移設の推進」を確認した
後でもあり、
アメリカ政府側が、翁長知事にたいして「冷たい態度」を取らざるを
得なかったのは、
知事自身も言っているように、「想定内」だったのでしょう。
しかしながら、
アメリカのマスコミが、翁長知事の訪問を取り上げたことで、
アメリカ国民の人々にも、沖縄基地問題の「存在」が知られる
ようになったのは、
ものすごく画期的だったと思います!
そして、翁長知事は名前を出しませんでしたが、
アメリカ議会内にも、「沖縄に行って調査したい」という議員が、
居たそうです。
たしかに、
日本とアメリカの「政府レベル」では、辺野古移設の推進で、
話が「ガチガチ」に固まっています。
ところが!
日本でもアメリカでも、「市民レベル」や「議員レベル」では、
決して、そんなことになっていないのです。
ここのところに、
沖縄基地問題の現状を変えていく希望と可能性が、
まだまだ残されているように思えるのです。
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