沖縄の基地問題 8
                             2015年5月17日 寺岡克哉


 前回に引きつづき、

 沖縄の人々が、「アメリカ軍への敵対心」を増大させた原因について、

 見て行きたいと思います。


             * * * * *


 さて、

 沖縄県内には、アメリカ軍の関連施設が33ヶ所(アメリカ軍専用は
32ヶ所)もあり、

 沖縄県の面積が、日本全体の面積にたいして、たったの0.6%しか
ないにもかかわらず、

 日本にあるアメリカ軍専用施設の面積全体の、およそ74%が沖縄
に集中しています(注1)



 このように、

 アメリカ軍の基地が、沖縄県に集中しすぎていることも、

 いま現在においては、沖縄の人々が「アメリカ軍への敵対心」を増大
させている、最も主要な原因となっています。



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注1:

 インターネットを見ると、「アメリカ軍基地の74%が沖縄に集中して
いるのはウソで、じつは23%にすぎない」

 というような言論を、吹聴する人々が少なくありません。

 しかし、この23%というのは、アメリカ軍専用施設ではなく、「有事
の場合の一時利用地」も含めた場合です。



 たとえば私が住む北海道の場合は、「有事の場合の一時利用地」
を含めると、

 日本にあるアメリカ軍基地の33%が、北海道に存在することになり
ます。

 ところが、アメリカ軍専用施設となると、じつは1.4%しか存在して
いません。

 だから北海道では、「アメリカ軍基地の問題」など、まったく聞いた
ことがないのです。



 戦闘機の事故や爆音、アメリカ兵による住民とのトラブルなど、「アメ
リカ軍基地の問題」を考えるためには、

 ふだんアメリカ兵がまったく存在しない、「有事の場合の一時利用地」
ではなく、

 常にアメリカ兵が存在している、「アメリカ軍専用施設」について考え
るのが当然です。

 だから、「アメリカ軍基地の74%が沖縄に集中している」とするのは、
ものすごく妥当な見解なのです。



 しばしばインターネットで目にする、

 「アメリカ軍基地の74%が沖縄に集中しているのはウソで、じつは
23%にすぎない」

 という類(たぐい)言論に騙されないよう、ここで注意を促(うなが)し
たいと思います。
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             * * * * *


 ここで、

 沖縄にアメリカ軍基地が集中していった「経緯」について、

 すこし見て行くことにしましょう。



 まず1945年の6月に、「沖縄戦」で勝利したアメリカ軍は、

 日本本土を攻撃するための巨大な軍事基地を、沖縄に作り始め
ます。

 しかし、同年の8月に日本が降伏して、太平洋戦争そのものが
終わってしまいました。

 本来なら、この時点で、アメリカ軍が沖縄に造った基地の役割は、
終わったことになります。



 ところが、第2次世界大戦(太平洋戦争)が終わると、

 今度は、ソ連や中国などの共産主義国と、アメリカなどの資本主義
国との対立が、

 どんどん激しくなって行きました(冷戦)。



 このような背景(冷戦状態)のなかで、「沖縄」というのは、

 東アジアの各地域に対して、グアムやサイパンなどよりも距離的に
近く、

 東アジアで「なにか緊急の事態」が発生したときに、迅速な対応が
できるという、戦略上とても有利な場所に位置していました。

 そのためアメリカは、沖縄を戦略上「太平洋の要石(かなめいし):
Key Stone of the Pacific)」と位置づけて、重要視するようになります。

 そして実際に、

 1950~1953年の朝鮮戦争や、1960~1975年のベトナム戦争
では、沖縄のアメリカ軍基地が重要な役割を果たしました。



 しかしながら、

 アメリカのこうした戦略は、沖縄にアメリカ軍の施設を集中させて
しまい、

 ものすごく大きな負担を、沖縄の人々に負わせることに、なってし
まったのです。



 たとえば1957年に、

 岸・首相と会談したアイゼンハワー大統領は、「日本から、アメリカ軍
の地上戦部隊を撤退させる」と表明しました。

 しかし、このとき、まだ沖縄は返還されておらず、「日本」に含まれて
いません。

 そのため、本土から撤退したアメリカ軍部隊の多くは、沖縄に移駐
することになりました。



 また、1972年に沖縄が返還された後になっても、

 本土のアメリカ軍基地は、その約60%が日本に返還されて、大幅
に縮小が進んだにもかかわらず、

 沖縄の基地は、およそ16%しか日本に返還されておらず、「ほとん
ど縮小が進んでいない」という現状になっています。


             * * * * *


 以上のような経緯で、

 沖縄県の面積が、ものすごく狭いにもかかわらず(日本全土にたい
して0.6%)、

 アメリカ軍専用施設の面積全体の、およそ74%が集中してしまい
ました。

 そのため沖縄本島では、島の面積全体の20%近くが、アメリカ軍に
占有されている状況です。



 このように、とても狭い場所に基地が集中しているため、

 戦闘機の騒音や、墜落事故、実弾演習による山林火災、アメリカ
軍人による犯罪事件など(注2)、

 沖縄住民とのトラブルが近年になっても絶えず、「アメリカ軍への
敵対心」を増大させているわけです。



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注2: 1972年(沖縄返還の年)~2010年までの間に起こった、


 アメリカ軍による航空機事故は、墜落43件、不時着367件、その
他96件


 実弾演習による原野火災が520件。

 アメリカ軍人等による犯罪検挙数は、凶悪犯(殺人、強盗、放火、
強姦など)564件
、粗暴犯1037件、窃盗犯2859件、知能犯235件、
風俗犯66件、その他944件。

(出典:沖縄の米軍基地の現状と課題 沖縄県知事公室基地対策課)
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 以上ここまで、前々回の「エッセイ689」から、

 沖縄の人々が、「アメリカ軍への敵対心」を増大させた原因について、
見てきました。

 それらをまとめると、以下のようになります。



● 「沖縄戦」のときに、爆撃だけでなく、毒ガス、火炎放射器、銃殺など、
 「殺す側の人間が直接見える形」で、たくさんの「一般住民」の人々が
 殺されたこと。

● ものすごく多くの「一般住民」の人々が、強制的に収容所へ送り込まれ
 たこと。

● アメリカ兵による、拉致、暴行、強姦、強盗、虐殺などが横行し、その
 ような「アメリカ兵による犯罪」が、沖縄が返還された後、近年においても
 発生していること。

●アメリカ軍が「銃剣とブルドーザー」によって、一般住民の人々から土地
 の「強制接収」を行ったこと。

●キャラウェイ高等弁務官の「自治神話論」に代表されるように、沖縄住民
 による自治が認められず、人権や言論の自由が軽視され、まるで「植民
 地支配」と同じような扱いを受けたこと。

●「プライス勧告」が発表され、アメリカ側にたいして「島ぐるみ闘争」を行わ
 なければ、住民の土地の「所有権」でさえ、奪われかねない状況になっ
 たこと。

●国土全体に対して0.6%の面積という、とても狭い沖縄県に、アメリカ軍
 専用施設の面積全体の、およそ74%が集中している現状。



 このように、いろいろ調べてみて、私は思ったのですが・・・ 



 沖縄の人々が、アメリカ軍から、これほどの「仕打ち」を受け続けてきた
のならば・・・ 

 そして、

 アメリカ側にたいして、抗議活動を続けて行かなければ、住民の権利が
侵害される恐れが、つねに存在するのならば・・・ 

 さらには、

 日本全体で負うべきである、アメリカ軍基地の問題を、これほど沖縄に
「しわ寄せ」をさせているのならば・・・



 こんな状況では、

 沖縄の人々が、「アメリカ軍基地への反対運動」を続けているのも、
すごく尤(もっと)もなことです。

 つまり、

 「平和ボケ」とも言われるほど、平和を謳歌(おうか)してきた日本の本土
とは違って、

 いま現在でも、沖縄における「戦後の苦しみ」は、けっして終わって
いないのです!




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