人生の不平等さ
                             2015年3月1日 寺岡克哉


 先日・・・ 

 かつて私が、大学の山岳部に所属していたときの、顧問の先生が
亡くなられたという連絡がありました。

 享年90歳とのことです。心から、ご冥福をお祈りいたします。



 その先生は、物理学が専門で、

 私が在学中のころ(30年ほど前)は、教養部の部長を務めており
ました。

 私は、山岳部の現役を引退した後、物理学の研究者になることを
目指したのですが、

 そのとき先生から、「研究者になるのならば、”やりたい研究”をしな
ければならない」という言葉を頂きました。

 残念ながら、私は研究者になることが出来ませんでしたが、今でも
その言葉を覚えています。



 とにかく、

 大学の要職を務め上げ、90歳の天寿を全うできたなんて、

 ほんとうに素晴らしい人生だったのではないかと、私は思います。


            * * * * *


 ところで一方・・・ 

 いま現在、ものすごく凄惨(せいさん)な事件が起こって、世間を
騒がせています。

 それは、川崎市の多摩川河川敷で、中学校1年生(13歳)の男子
生徒が殺害され、全裸遺体で発見された事件です。



 これまでの報道を総合してみると、おそらく被害者の男の子は、

 全裸にされた上に、手足を縛られ、はげしい暴行を受けたあげく、

 鋭利な刃物で、顔や腕を何回も切られたほか、首も何回も刺され
たり切られたりして、殺されたものと思われます。

 司法解剖の結果によると、

 死因は、首を刃物で傷つけられたことによる「出血性ショック」で
あることが判明しています。



 なんという、理不尽(りふじん)で、凄惨(せいさん)な事件で
しょう!


 被害者の男の子は、とても寒かっただろうし、痛かっただろう
し、苦しかったに違いありません。


 心の底から、悲しみと怒りが込み上げてきて、どうしようもない
事件です。



 被害に遭(あ)われた男の子には、心からお悔やみ申し上げま
す・・・ 


             * * * * *


 いま現在、

 私の心の中で、これら2つの訃報(ふほう)が、印象深く交錯(こ
うさく)しています。


 つまり、

 私の恩師は、すばらしい仕事を成し遂げて、90歳の天寿を全う
されましたが、

 しかし一方、

 被害者の男の子は、人生の可能性にさえ挑戦できず、13歳の
若さで理不尽に惨殺(ざんざつ)されたのです。



 何という「不平等さ」でしょう!

 「人生」というのは、こんなにも不平等なのです。

 どんなに嘆いても、悲しんでも、それが厳然(げんぜん)たる
事実です。

 そのことを、心の底から思い知らされました。


           * * * * *


 ところが、しかし!

 人生は、もともと不平等なのが当たり前であり、それが厳然たる
事実だとしても、

 強い者がやりたい放題にやり、弱い者を虐(しいた)げて良い
わけでは、決してありません。




 それが、

 人間社会におけるコンセンサス(大多数による合意)であり、

 これを否定することは、絶対にできません。



 男女の差、年齢(年代)の差、生まれた国の差、民族の差・・・ 

 たしかに、

 人生は、本質的に不平等です。



 しかし、だからこそ、

 社会制度や法制度においては、できる限り「平等さ」を実現し、

 それを保障して行かなければならないのです。



 「社会的な平等」が、どれぐらい実現されているかによって、

 その社会における「進歩のレベル」が判断されると言っても、

 けっして過言ではないでしょう。



 私の恩師と、13歳の男の子から、そのことを改めて教わったよう
な気がしてなりません。



      目次へ        トップページへ