イスラム国 2 2014年8月31日 寺岡克哉
私は、高校の社会科の授業で「世界史」を選択したのですが、
この科目は、世界中のあちこちの場所で、さまざまな国が新しく出来た
り、また滅んだりするので、暗記が苦手な私はそれを覚えるのに必死で
した。
そんな暗記だけの勉強しか、やってこなかったので、なぜ新しい国が
できたり、滅んだりするのか、その因果関係がまったく理解できませんで
した。
だから私は「世界史」というものに対して、突然に新しい国ができたり、
また突然に国が滅んだりというのを、繰り返しているという印象しか持てな
かったのです。
しかし当然ですが、「新しい国」が出来るからには、それなりの理由や、
それまでに至った経緯が、必ずあるはずです。
ここで取り上げている「イスラム国」も、とつぜんに樹立宣言をしたわけ
ではなく、それまでに至った経緯が、必ずあるはずなのです。
高校の世界史が理解できなかった経験から、私はそのような「経緯」が、
とても気になります。
それで今回は、「イスラム国」の樹立宣言に至ったまでの経緯について、
調べてみようと思いました。
* * * * *
まず事の始まりは、今から14年ほど前の2000年ごろ。
ヨルダン生まれのイスラム主義活動家、アブ・ムサブ・ザルカウィが、
反ユダヤと、ヨルダンにおけるイスラム国家の樹立を目指して、
「タウヒードとジハード集団」という、イスラム過激派組織を立ち上げた
ことでした。
この組織は当初、アフガニスタンにあった、テロリストの養成キャンプを
ベースにしていましたが、
アフガン戦争後はイラクに接近し、2003年のイラク戦争後は、イラク
の国内でさまざまなテロ活動を行いました。
そして2004年になると、国際テロ組織のアルカイダと合流して、「イラク
のアルカイダ組織」と改名しましたが、
この組織と、それを率いるザルカウィの名が、日本にも知れ渡ったのは、
2004年の10月27日に、日本人青年(当時24歳)を人質にしたという
犯行声明を出し、
日本政府が48時間以内に、イラクからの自衛隊撤退に応じなければ、
人質を殺害すると脅迫してきたときです。
当時の小泉政権は、「テロリストとは交渉しない」という立場から、自衛隊
の撤退を拒否したため、
人質の青年は、ナイフによって首を切断されて殺害されました。
ところで、「イラクのアルカイダ組織」は、外国人の義勇兵を中心にして
いたため、イラクの人民兵とは、しばしば衝突をしていました。
そのため2006年の1月には、イラク人民兵の主流派と対立したのを
きっかけに、
「ムジャヒディン諮問評議会」と改名し、スンニー派の武装組織と合流
しました。
しかしながら、ザルカウィは2006年の6月。
本人の潜伏先を標的にした、アメリカ軍のF16戦闘機による爆撃を受け
て死亡します。
爆撃後に、現地に入ったイラク軍の特殊部隊によってザルカウィが発見
され、指紋採取などにより本人であることが確認されています。
ザルカウイの死後、2006年の10月に「ムジャヒディン諮問評議会」は
解散し、ほかの組織と合流して「イラクのイスラム国」と改名しました。
この「イラクのイスラム国」は、2009年の10月と12月に、イラクの首都
バクダットで自爆テロを実行し、両方のテロを合わせて死者282人、負傷
者1169人を出しています。
しかしながら2010年の4月。「イラクのイスラム国」の首長だったアブ・
ウマル・バグダディは、ティクリート近郊で行われたアメリカ軍とイラク軍の
合同作戦によって死亡しました。
その後継者となったのが、アブ・バクル・バグダディです。
その後「イラクのイスラム国」は、2013年の4月に「ヌスラ戦線(注1)」
と合併して、「イラクとシリアのイスラム国」と改名し、シリアへの関与を
強めて行きます。
ところが2013年の7月。検問所での通行許可をめぐって、口論になっ
た「自由シリア軍(注2)」の司令官を殺害してしまいました。
これが契機となり、シリアの反アサド政権側で一致していた「イラクとシリ
アのイスラム国」と「自由シリア軍」が、戦い合うことになります。
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注1 ヌスラ戦線:
シリアで活動する反政府武装組織の1つで、アルカイダの下部組織。
国連、アメリカ、オーストラリア、イギリス、トルコから「テロ組織」と認定
されています。
注2 自由シリア軍
シリアで活動する反政府武装組織の1つ。2011年の7月に、政府軍
の一部が離反して結成されました。
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ところで、「イラクとシリアのイスラム国」は、アルカイダと関連のある
組織でしたが、
2013年の5月に、ザワヒリ(アルカイダの作戦および戦略責任者)が
出した解散命令を無視して、シリアでの活動を続けるなど、
「アルカイダ」や「ヌスラ戦線」との不和が、だんだんと表面化していき
ます。
そして2014年の2月には、アルカイダ側が「イラクとシリアのイスラム
国とは無関係である」という声明を出すまでに至りました。
ちなみに、この不和の原因には、
「イラクとシリアのイスラム国」の残虐行為が挙げられており、アルカイダ
だけでなく、ほかの反政府派とも衝突しています。
たとえばシリアの反体制活動家らは、「イラクとシリアのイスラム国」に
たいして、「アサド大統領よりも酷(ひど)い悪事を働いている」と語って
いるほどです。
とは言うものの、「イラクとシリアのイスラム国」は2014年に入ると、
シリアの反アサド政権組織から、武器の提供や、戦闘員の増員などを
受けたため、急速に軍事力を強化しました。
そして、その拡大した軍事力を、「イラク」にも向けて行くことになります。
2014年の6月10日には、イラク第2の都市であるモスルを陥落させ、
政府庁舎や警察署、軍事基地、空港などを制圧しました。
2014年の6月17日には、イラクの首都バクダットの北東約60キロに
ある、バクーバまで進撃しています。
そしてついに、2014年の6月29日。
「イラクとシリアのイスラム国」は、同組織のアブ・バクル・バグダディが
「カリフ」であり、あらゆる場所のイスラム教徒の指導者であるとして、
イスラム国家であるカリフ統治領を、イラクとシリアの両国にまたがる
制圧地域に樹立すると宣言したのです。
また同時に、組織名から「イラクとシリア」を削除して、「イスラム国」と
改名することも発表しました。
* * * * *
以上、ここまで見てきましたように、「イスラム国」の樹立宣言に至る
までには、
タウヒードとジハード集団 ⇒ イラクのアルカイダ組織 ⇒ ムジャヒ
ディン諮問評議会 ⇒ イラクのイスラム国 ⇒ イラクとシリアのイスラ
ム国 ⇒ イスラム国
という変遷をたどっています。一方、指導者の方は、
アブ・ムサブ・ザルカウィ ⇒ アブ・ウマル・バグダディ ⇒ アブ・
バクル・バグダディ
という変遷をたどっているのです。
ところで「イスラム国」は8月19日に、米国人ジャーナリストの首を切断
して処刑した映像を、インターネット上で公開しましたが、
この残虐性は、2004年に日本人青年の首を切断した、ザルカウィの
流れをくむ組織だからに他なりません。
いま現在、日本人の男性が「イスラム国」に拘束されていますが、その
安否がとても懸念されます。
ちなみに、
ザルカウィの残虐非道な行為にたいしては、イラク人は元より、親族さえ
も心を痛めたほどで、
2005年の11月には、兄弟や親族一同が、ザルカウィに絶縁状を叩き
付けています。
とにかく「イスラム国」は、
あの「アルカイダ」さえも、尻込みするほどの残虐な組織であり、
その勢いが、いま現在でも衰えていないのは、世界的な悲劇だといえ
ます。
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