大飯原発の再稼動を認めず
                              2014年6月1日 寺岡克哉


 福井地方裁判所は5月21日。

 福井県の住民189人が、「大飯原発の運転差し止め」を求めた訴訟に
たいして、

 「大飯原発3、4号機を運転してはならない」という判決を出しました。

 このような、

 「原発の運転差し止めを認める判決」が出たのは、福島第1原発の
事故後として初めてのことです。



 福井地裁の判決は、

 日本各地で行なわれている「原発再稼動反対」の動きにたいして、たいへん
大きな力を与えたことでしょう。

 その一方、

 「重要なベースロード電源」と位置づけて、原発を推進している安倍政権に
とっては、「冷や水」を浴びる形となりました。



 しかしながら、

 被告の「関西電力」は、控訴(こうそ)する構(かま)えをとっており、

 政府内部には、福井地裁の判決が「上級審で覆(くつがえ)される」という
見方もあります。

 しかし、それでも、

 このたびの「原発の運転差し止め判決」を無視して、強引に再稼動を推進
させれば、

 国民世論の「きびしい批判」を受けてしまうことは、まず間違いないでしょう。


               * * * * *


 ところで、私は前回の「エッセイ640」において、

 安全よりも、目先の金儲けを優先させるという、「病的な社会構造」
について言及しました。

 もちろん「原発問題」の場合でも、それが背景にあるのは、おそらく間違い
ないのですが、

 このたびの福井地裁の判決は、

 その「病的な社会構造」にたいして、「司法の判断を下した」ことが、

 ものすごく画期的だったと私は思いました。



 以下に、「判決文の要旨」から、そのような部分を抜粋してみます。


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 福井地方裁判所 大飯原発運転差し止め訴訟判決(要旨) からの抜粋


<主文>

 大飯原発3、4号機を運転してはならない。


<求められる安全性>

 原発の稼動は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に
属し、憲法上は人格権(注1)の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。

 自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に奪われる事態
を招く可能性があるのは原発事故以外に想定しにくい。

 具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ。


<国富の喪失>

 被告(関西電力)は再稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながる
と主張するが、
 多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を
並べて論じるような議論に加わり、議論の当否を判断すること自体、法的に
は許されない。

 原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろ
して生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが
国富の喪失だ。



注1 人格権: 

 人格権とは、「個人の生命や生活、精神的自由を脅かされない権利」の
ことで、憲法13条の幸福追求権と、憲法25条の生存権に由来します。

 ある行為が人格権侵害の具体的危険があると判断されれば、その行為を
「差し止めることが出来る」とされており、

 原発の運転差し止め訴訟や、基地騒音訴訟など多くの住民訴訟において、
主要な争点となっています。
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 上の要点を、私なりの表現で分かりやすくまとめると、次のようになるで
しょう。

・「原発」は電気を作る手段の1つにすぎないから、「人の命」や「生活」の
 方が優先されるべき。

・万が一でも危険性があれば、「原発の差し止め」が認められるのは当然。

・「多くの人の命」と「電気代の高い安い」を同列に扱うこと自体が、法的に
 許されない。

・原発の停止で貿易赤字が出るとしても、人が住めない「死の土地」を作っ
 てしまうことこそが「国富の喪失」である。



 まさに、

 原発の推進者にたいして、私が主張したいと思っていた「そのこと」が、

 福井地裁の判決で言い渡されているのです。


             * * * * *


 ところでまた、このたびの福井地裁の判決では、

 「原発から250キロ圏内は、人格権が侵害される危険がある」

 と認めていますが、これも画期的だと私は思いました。



 以下に、「判決文の要旨」から、その部分を抜粋します。

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 福井地方裁判所 大飯原発運転差し止め訴訟判決(要旨) からの抜粋


<福島原発事故>

 原子力委員会委員長は福島第1原発から250キロ圏内に居住する住民
に避難を勧告する可能性を検討し、チェルノブイリ事故でも同様の規模に
及んだ。

 250キロは緊急時に想定された数字だが過大と判断できない。


<結論>

 原告のうち、大飯原発から250キロ圏内の住民は、直接的に人格権が
侵害される具体的な危険があると認められる。
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 ところで、この250キロの「根拠」となったのは、

 原子力委員会の委員長だった近藤駿介氏がまとめた、「最悪シナリオ
(不測事態シナリオ)」と呼ばれる資料です。

 この資料は、当時の菅直人首相の指示で、近藤氏が2011年3月25日
に作成したものです。



 その「最悪シナリオ」とは・・・ 

@発生のリスクが比較的高い1号機の原子炉容器内あるいは格納容器
 内で水素爆発が発生し、放射性物質を放出。1号機は注水不能となり、
 格納容器の破損に進展。

A放射線量の上昇により、作業員が総退避。

B2号機と3号機の、原子炉への注水・冷却が不能。4号機使用済燃料
 プールへの注水が不能。

C4号機使用済燃料プールの燃料が露出し、燃料が破損・溶融。その後、
 溶融した燃料とコンクリートの相互反応(MFCI)に至り、放射性物質が
 放出。

D2号機と3号機の格納容器が破損し、放射性物質を放出。

E1,2,3号機の使用済燃料プールの燃料が破損・溶融。その後、MFCI
 (溶融燃料コンクリート相互作用)に至り、放射性物質が放出。

 というように、

 つぎつぎと「連鎖的」に事故が発生して、大量の放射性物質が放出
されるという想定
になっています。

 さらに、その結果として、

強制移転をもとめるべき地域が170km以遠にも生じる可能性や、
 年間線量が自然放射線レベルを大幅に超えることをもって移転を希望
 する
場合認めるべき地域が250km以遠にも発生することになる
 可能性がある。

・これらの範囲は、時間の経過とともに小さくなるが、自然(環境)減衰に
 のみ任せておくならば、上の170km、250kmという地点で数十年を
 要する。

 と、結論しています。

(出典:福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描 平成23年3月
 25日 近藤駿介)



 ところが!

 この「最悪シナリオ」は、「過度な、必要ない心配をさせる可能性があった」
として、

 2011年の3月当時には、政府内部でも菅直人首相らの、ごく一部にしか
知らされていませんでした。

 その後、2012年の1月になってようやく、当時の細野豪志・原発事故担当
相が、その存在を公表したのです。


 つまり、

 「最悪シナリオ」は、1年近くも「隠蔽(いんぺい)」されていたわけです!


               * * * * *


 話をもどしますが、福井地裁の判決によると、

 「250キロ圏内」というのは、緊急時に想定された範囲だけれど、過大で
あるとは判断できず、

 「直接的に人格権が侵害される具体的な危険がある」と認めています。



 ところで私も、ちょっと違う観点から、

 「250キロ圏内」というのは、決して過大評価ではないと思っています。



 というのは、いま現在、

 安倍政権は「集団的自衛権」が行使できるようにと、強力に押し進めてい
ますが、

 もしも日本が、戦争に巻き込まれるようなことに、なってしまったら・・・ 

 少なくても日本が、(外交だけでなく)軍事的にもアメリカ側の陣営であると、
アメリカの敵対勢力が認識してしまったら・・・ 



 もしも、そうなったら、

 (停止状態ではなく)「稼働中の原発」が、「テロ攻撃」や「軍事攻撃」を
受ける可能性も、決して否定できないでしょう。


 さらにもしも、そんなことになったら、

 放射能汚染の範囲が広大になり、「250キロ圏内」という数字も、決して
過大評価ではないように思えるのです。



 ちなみに、

 原子力規制委員会による、原発の再稼動に向けた審査は、

 おもに「地震」や「津波」の対策、あるいは「活断層」の有無などに限られ
ています。



 が、しかし・・・

 もはや「原発の危険性」は、それらだけではなく、

 「テロ」や「軍事攻撃」を受ける可能性も視野に入れなければ、

 ならないように思えてなりません!




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