「良い心」の重要性 2003年4月13日 寺岡克哉
「良い心」や「正しい心」を育て、それを大切に守ろう!
今の時代にこんなことを言えば、陳腐な印象を受ける人がいるかも知れません。
「戦前の昔ならいざ知らず、今の時代には、古臭い道徳など無用!」と思う人も、
結構いるのではないでしょうか?
現代社会では、高度な「知識」や「思考能力」は評価されますが、「良い心」や「正
しい心」というのは、軽視されがちのような気がします。
しかしながら、「良い心」や「正しい心」(良識、良心、モラル)というのは、人類社会
の根幹を支える非常に大切なものなのです。
確かに、景気の良かった昔の時代、つまり終身雇用と定期昇給が当たり前だった
時代においては、「モラル(良識)」が多少希薄になっていても、大した問題は起こら
なかったと思います。
しかし景気が低迷している現在では、「良い心」や「正しい心」の重要性が増してき
たと思うのです。
かつての高度経済成長期の日本人は、諸外国から「エコノミックアニマル」とまで言
われていました。つまり、「人間性」や「人情」、「心の豊かさ」といったものを犠牲にし
てまで、経済の発展(金儲け)を追求したのです。
そして現在、「アニマル(動物)」とまで言われるほど「人間性」や「人情」が希薄にな
った人間が、景気が悪くなって金が取れなくなるとどうなるか?
結果は、金を取るために、手段を選ばずに何でもやってしまう。と、いうことになりか
ねないと思うのです。
「偽装牛肉」などの企業の不正や、無慈悲なリストラ、法外な利息を取る「闇金融」
などの問題をみていると、まさにそれを象徴しているように思えてなりません。
また、社会全体のモラル、つまり社会を構成する一人一人のモラルが希薄になれ
ば、少しでも生活が苦しくなったり、少しでも社会に対する不満がつのったりすると、
すぐに犯罪が増加してしまいます。
餓死するほど困窮している訳でもないのに、2万円や3万円程度の小額の金欲しさ
に、殺人まで犯してしまうことにもなりかねません。
また、社会に対するちょっとした不満にも耐え切れずに、突然にキレて暴力を振る
ったり、傷害や殺害などの犯罪を犯すことにもなりかねません。
確かに、景気の低迷や社会の不満を、モラルの向上でカバーしようとするのは問
題かも知れません。
しかし、あまりにもモラルが低下するのも問題です。モラルがあまりにも低下すれ
ば、社会を安定させるために、警察力と刑罰を強化するしか方法がなくなってしま
うからです。その方がより問題だと私は思います。そして今の世の中は、少しずつ
その方向にむかっているような気もします。
さらにまた、「モラルの欠如」は、経済の発展そのものの足も引っ張っているので
す。それは、最近の企業の不祥事を見れば分かります。
善良な人々がいくら一生懸命に働いても、上に立つ人間のモラルが欠如していれ
ば、会社の不祥事が起きます。そして消費者の信用を失い、業績が悪化してリストラ
や倒産が起こってしまうのです。
どんなに良い製品を開発しても、どんなに需要が伸びても、会社の上の者が不正
を働けば全て台無しになってしまうのです。
せっかく経済の回復の兆しが見えそうになっても、企業の不祥事が足を引っ張って
いるような気がしてなりません。
(さらには、テロや戦争も経済の低迷に追い打ちをかけていますが、これも人間の
「モラルの欠如」のなせる業です。)
* * * * *
「良い心」や「正しい心」は、人類の幸福にとって一番大切なものです。
なぜなら、いくら高度な「知識」や「思考能力」があっても、それを「良い心」や「正
しい心」の下で使わなければ、人類は幸福になれないからです。テロや戦争の存
在が、それを一番よく表しています。
そしてまた、いくら科学や経済が発達しても、いくら優れた社会システムを作って
も、いくら宗教や道徳の「正しい教え」を広めても、それらを「良い心」や「正しい心」
の下で使わなければ、人類は絶対に幸福になれないのです。
例えば、科学技術を「良い心」や「正しい心」の下で使わなければ、大量破壊兵
器の開発などに悪用されてしまいます。兵器に無縁の善良な科学者が、人類の幸
福のために生涯をかけて一生懸命に研究をしても、それを悪用されれば人殺しの
道具作りに転用されてしまうのです。
経済の発展も、「良い心」や「正しい心」の下で行わなければ、貧富の差が拡大し
たり、際限のない自然破壊や環境汚染を行ったり、戦争の原因になったりしてしま
います。
社会のシステムも、「良い心」や「正しい心」の下で運営しなければ、権力中枢の
腐敗を招いて人々が苦しみ、内乱や紛争、戦争が起こったりします。
宗教や道徳も、「良い心」や「正しい心」の下で広めなければ、金儲け主義に走っ
たり、戦争の道具に使われたりします。宗教や道徳は、人間の「良い心」や「正しい
心」を育成し、それを人類に浸透させることが本来の目的なだけに、その悪用には
赦しがたいものがあります。
ところで、「21世紀は心の世紀だ!」と言われていますが、正にその通りだと思い
ます。
人類は、もっと幸福になれる能力を既に持っているのに、それが十分に生かしきれ
ていないからです。それは、人間の「悪い心」が邪魔をして、人類同士がお互いに足
を引っ張っているからです。
科学も経済も政治も宗教も・・・ おそらく人類が行う全ての活動が、「良い心」で行
われるのか「悪い心」で行われるかによって、今後の人類が幸福になるのか不幸に
なるのかが決まるのだと思います。
人類が今後さらに幸福になるためには、「良い心」や「正しい心」の育成と普及が、
どうしても必要なのです。いじめや差別、不正、汚職、犯罪、テロ、戦争などの、「悪
い心」による足の引っ張り合いを続けていては、人類の幸福など望むべくもないから
です。
現代社会では、「高度な知的能力」は重要視されていますが、「善良な心」は
軽視されているように思います。
その結果、「頭は良いが、心の腐った人間」が増えて、新手の不正や犯罪を
どんどん生み出しています。そしてそれが、社会の不安をつのらせ、人類の幸
福の足を引っ張っています。
「良い心」や「正しい心」の育成と普及は、今後の人類の幸福にとって、最も
重要な課題なのです。
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