生命の実感 2003年3月30日 寺岡克哉
私は最近、「生命」というものを、心の底から実感するようになって来ました。
「生命力」というか、生命のエネルギーが、心にも体にも満ち満ちているような感じ
がするのです。
とにかく、以前の私には「生命」というものが存在していなかったのではないか?
と疑いたくなるほどの、心境の変化が起こったのです。
今回は、そのことについてお話したいと思います。これは、私の個人的かつ感覚
的な話なので、皆さんにとって参考になるかどうかは分かりません。しかしとりあえ
ず、「このような心境を感じる人間がいるのも事実なのだろう」と、いう気持ちで読ん
でみて下さい。
以前の私は、座禅を組んで思考を停止させると、理由の分からない漠然とした不
安や焦燥、つまり「根源的な苦」を感じていました。(根源的な苦についてはエッセイ
16を参照して下さい。)
そしてさらに瞑想を深め、「根源的な苦」をも滅却してしまうと、確かに「安らぎ」を
感じることは出来ました。しかしこの「安らぎ」は、何か生命のエネルギーを失った、
生きているのか死んでいるのか分からない、虚ろな「安らぎ」だったのです。
だから私は、「根源的な苦」は生命の原動力であると考え、「根源的な苦」をも滅
却してしまうような自己滅却は、「生命の肯定」に反すると思っていたのです。
しかし最近は、これとは全く違う心境になって来ました。
座禅を組んで思考を停止させると、何か訳の分からないエネルギーに、心と体が
満たされる感じがするのです。
頭に心地の良い「うずき」を感じ、胸が暖かくなり、心が喜びに満ちるのです。そし
て体中にも、ジンジンとした感じの「生命のエネルギー」が満ちるのです。
とにかく理由もなく嬉しく、「自分が今ここに、あるがままに存在している」というだ
けで、心が嬉しさでいっぱいになってしまいます。
「根源的な苦」とは全く対照的な、「根源的な喜び」といえるようなものを感じるの
です。
さらに瞑想が深まると、ことさらに意識して精神を集中させなくても、自動的に精
神が「ギューッ」と集中するようになります。そして、精神の状態がどんどんと高まっ
て行きます。
つまり、精神が高揚してある種の「絶頂感」を感じるのです。しかし性的な快楽の
絶頂感とは異なり、心の状態は穏やかで安らかです。
しかしながら、性的な絶頂感とは比べものにならない程の、高いレベルの絶頂感
なのです。
しかしそれでいて、性的な快楽が全く存在せず、心が静かに安定しているのです。
本当に不思議な感覚です。
(はじめのうちは、このような高揚した精神状態に驚き、カーッと頭に血が上って
心臓がドキドキしていたのですが、慣れてくれば、精神の状態が高まっても心は落
ち着くようになりました。)
これは、今まで私が経験した中で最高の精神状態です。心にぴったりとした、心
に矛盾のない、完璧で完全とさえ思えるような心の状態です。
「悪い心を捨て去り、心をさらに善くしよう!」と、いう気持ちが無くなってしまいま
す。「これで良し!」、「全て良し!」という感じです。
とにかく、「自分の脳の構造が変わってしまったのではないか?」と、疑いたくなる
ほどの心境です。
このように、精神が高揚して心が落ち着いた状態では、「愛の心を生じさせよう!」
と、ことさらに意識をしなくても、自然に愛の心が湧いて来ます。
わざわざ意識して肯定的な思考をしなくても、自然に肯定的な思考ばかりをする
ようになります。
また、意識して否定的な思考をやめなくても、否定的な思考などする気が起きなく
なります。これは、「自己否定」に取り憑かれていたときの、少しでも気をゆるめれば
否定的な思考ばかりをしてしまうのとは全く正反対です。
私は、これが「生命」というものに違いない! という、確信にも似たものを持つよ
うになりました。
今までの私は、「本当の生命」を持っていなかったのではないか? と、思ってし
まうほどです。
心の中に「生命」が生まれれば、生命を肯定しようと躍起にならなくても、自動的
に生命が肯定されるのです。そして自然に元気が出て来るのです。これは、生命に
は、「生命を肯定する性質」が自然に備わっているからだと思います。
「生命の否定」に取り憑かれるのは、実は、生命を喪失しているからだと思うよう
になりました。
ここで言う「生命」とは、「肉体が生きていて意識が存在する状態」のことではあり
ません。何というか、心の底と体の芯から湧き起こって来る生命力、生きる力の根
源みたいなものです。全身が生きる喜びに満ちるような、生命の根源的な喜びで
す。
この「生命」の正体とは、いったい何なのでしょうか?
私は、生命の肯定(自己肯定)の努力(エッセイ28)を毎日続けていると、生命の
肯定が深層心理で自動的に行われるようになるのだと思います。
顕在意識で「生命の肯定」のことばかり毎日考えていると、それが深層心理に浸
透し、定着するのだと思います。そして、顕在意識でとくに意識をしなくても、深層
心理が自動的に生命を肯定するようになるのだと思います。
逆に、「生命の否定」に取り憑かれていた時は、深層心理が自動的に生命を否
定するように働いていたのだと思います。だから少しでも気をゆるめると、否定的
な思考ばかりが自動的に生じてしまうのだと思います。
つまり、深層心理に存在する「根源的な苦」が、「根源的な喜び」に置き換えられ
たことが、「生命の実感」の正体なのだと思います。
生命肯定の努力は決して無駄ではありません。生命の肯定は、一日一日と大
きく強くなり、深層心理に確実に定着して行くのです。
そして誰でもいつしか、不動の生命の肯定、つまり「生命」を得ることが出来る
のです。
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