2012年を振り返って
                          2012年12月30日 寺岡克哉


 今回は、2012年の1年間を、私なりに振り返ってみたいと思います。


               * * * * *


 まず第一に、今年は「国際関係」が、ものすごく緊張した年でした。


 昨年(2011年)の12月27日に、イランが「ホルムズ海峡を封鎖する」
と警告し、

 核開発を続けるイランを制裁するために、昨年の12月31日にアメリカ
「国防権限法」を成立させたので、

 今年の始めから、国際関係は、ものすごい緊張状態に突入したのです。


 もしもホルムズ海峡が封鎖されたら、日本が輸入している原油の「8割」
がストップしてしまいます。

 また、もしも日本が、アメリカ国防権限法の制裁対象に指定されたら、
日本とアメリカとの、外国為替や貿易がストップしてしまうのです。


 日本は、アメリカの制裁対象から逃れるために、イラン産原油の輸入
を削減しなければならず、その代わりの輸入先を、早急に確保しなけれ
ばなりませんでした。

 日本の削減努力がアメリカに認められ、3月20日にアメリカ国防権限
法の制裁対象から日本が除外されるまで、本当にひやひやする毎日が
続きました。



 「ホルムズ海峡封鎖」と「国防権限法」の緊張が、完全には解消しない
までも、すこし落ち着いたと思ったら

 つぎは尖閣諸島をめぐって、「日中関係」が最悪の状態になって
しまいました。


 事の発端は、8月15日に香港の活動家らが、尖閣諸島の魚釣島に
上陸したことですが、

 さらに本質的な原因は、当時の石原都知事が、尖閣諸島を東京都で
購入する動きを見せたため、

 それを阻止するのに、当時の野田政権が「尖閣諸島を国有化」した
ことでした。


 尖閣諸島が国有化されたのは9月11日ですが、

 その後の9月15日には、中国の各地で暴動が起こり、日系のスーパー
から商品が略奪されたり、日系の企業が放火されたりしました。

 中国政府は、日本を痛烈に批判し、尖閣諸島周辺海域において、中国
公船による領海侵犯を連日のように行ないました。

 そして現在でも、中国公船による領海侵犯がたびたび行なわれており、
日中間の厳しい対立が続いています。



 このように今年は、イラン問題と日中関係で、ほんとうに日本外交が
大変な年だったと思います。


              * * * * *


 また今年は、全国各地で「反原発運動」が盛り上がった年でした。


 6月16日に当時の野田首相が、大飯原発の3号機と4号機を
かなり強引に「再稼動」させたため、

 多くの国民の反感を買ったことが、反原発運動の盛り上がった理由
だと思います。


 とくに6月22日には、首相官邸前で約4万5000人(注1)の大規模
なデモが行なわれ、

 さらに6月29日には、首相官邸前で20万人(注2)もの大規模な
デモ
が行なわれました。


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(注1) デモの主催者側の発表で約4万5000人、警視庁によると
     1万1000人。

(注2) 主催者側の発表で20万人、警察庁によると2万人弱。
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 原発問題で、このような大規模なデモが行なわれたのは、日本の
歴史上で初めてのことだと思います。


              * * * * *


 ところで今年も、世界各地で「異常気象」が発生しました。


 たとえば日本では、9月の平均気温が、平年よりも1.92℃高くなり、
1898年に統計を開始して以来の、過去115年で最高の値となりま
した。

 また、北極海の海氷面積が、9月16日に349万kmにまで縮小し、
観測史上の最小記録を更新しました。

 10月には、ハリケーン「サンディ」がニューヨークを襲い、大都市での
洪水被害などは、2005年にアメリカ南部を襲ったハリケーン「カトリー
ナ」を上回ったといいます。

 そして12月には、台風24号がフィリピンを直撃し、死者が1000人を
超えています。


 毎年のことながら、地球温暖化による影響が、だんだん大きくなって
いるように感じてなりません。


              * * * * *


 最後に、私事になりますが・・・ 

 今年は、私の使用していたモデムとパソコンが相次いで故障し、ちょっ
と残念な年だったように感じます。


 しかしながら、モデムとパソコンを新しいものに替えたので、インター
ネットの環境がとても良くなり、情報収集がスムーズに行なえるように
なりました。

 以前は、インターネットの1つのページをダウンロードするのに数分も
かかっていたのが、現在では10秒ていどで済んでしまいます。

 それだけ、たくさんの幅広い情報を収集して、比較検討が行なえるよう
になりました。


 そういう意味では、私にとって2012年は新旧交代の年であり、けっこう
有意義で、良い年だったのかも知れません。



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