自己への執着について   2003年3月2日 寺岡克哉


 私は、「自己否定」を生じさせる根底には、「自己への執着」があるのではな
いかと考えています。

 「自己否定」とは、自分が生きることを否定し、自己の存在を否定してしまうことで
す。つまり、自己を放棄してしまうことです。
 だから一見すると、自己放棄とは反対の「自己執着」が、自己否定の原因になる
などとはとても思えません。
 しかし自己否定の心の奥底には、自己放棄などではなく、むしろ大変に強い「自己
執着」が潜んでいるように私は思うのです。というのは、私もそうなのですが、自己
否定に陥りやすい人は、
 「全てに負けたくない!」
 「全ての人間から好かれたい!」
 「誰からも嫌われたくない!」
 「自分のなりたいものに、絶対になりたい!」
 「全てを自分の思い通りにしたい!」
 「常に自分は完全でありたい!」
 というような、絶対に実現不可能なほどの高い理想を、実現できて当たり前と思っ
ている所はないでしょうか?
 そのような非現実的な高い理想を常に抱え込んでいるから、それを実現できない
自分に幻滅し、自己否定に陥るのではないでしょうか?
 また、
 「自分は絶対にこうあるべきだ!」とか、
 「自分はこういう人間なのだ!」
 と、非常に強く思い込んでいる所はないでしょうか? これらはみな、「自己執着」
から来ていると思うのです。

 しかしながら、適度な自己執着は、非常に大切なものです。なぜならそれは、自己
を鍛錬し、自分を高めるために必要なものだからです。適度な自己執着は、努力を
して自己実現を達成させるための原動力なのです。
 それにもし、「自己執着」というものが全く存在しなければ、人間は生物として生き
ることが不可能になってしまいます。自分が生きるための執着、自分の生命に対す
る自己執着が全く存在しなければ、自分の生命を維持することが出来ないからです。
 だから「自己執着は全て悪い!」と、いう訳ではないのです。
 しかし強すぎる自己執着は、返って自己否定を招いてしまうことが多々あるので、
気をつけなければならないのです。

                * * * * *

 ところで・・・ 現代は、とても不確実な時代になって来たと思います。
 10年後や20年後の自分の将来がどうなるのか、なかなか分かりにくい世の中に
なって来ました。
 例えば、20年ほど前の私が学生だったころは、人生のお決まりのパターンみた
いなものが存在していました。
 大学に入るまでは一生懸命に受験勉強をし、大学を卒業したら企業に入社し、30
才ぐらいまでに結婚して家のローンを組み、定年まで働いたら、あとは老後の年金
暮らし・・・ と、まあこんな感じです。
 今から思えば贅沢なことに、「レールの上を歩く人生なんかつまらない!」などと嘆
かれていた、大変に幸せな時代でした。

 しかしながら、今はそれが一変してしまいました。
 一生懸命に受験勉強をして大学に入っても、会社で終身雇用される保証が無くな
って来たからです。つまり、大学を卒業して企業に入りさえすれば、一生が保証され
る世の中ではなくなってしまったのです。
 せっかく大学を出て、会社で一生懸命に働いて来たのに、会社が倒産してしまっ
たり、リストラされてしうことが、ごく当たり前のように起こって来ました。
 これが昔の時代ならば、いったん入社すれば、あとは可もなく不可もなく、重大な
過失や犯罪などを犯さなければ、まずまず平穏無事な一生が保証されていたので
す。転職などは珍しいことでした。

 今の時代は、「一定不変の人生のモデル」など、存在しない世の中になってきたと
思います。そしてこれからの時代は、ますますそのような傾向が強くなって行くように
思います。
 だから、「自分の人生は絶対にこうあるべきだ!」などという、「自己執着」に強く取
り憑かれてしまうと、正常な精神が保てなくなる恐れがあります。それほどまでに、こ
れからの時代は不確実になって行くように思うのです。

 また、他人の目を気にするあまり、引きこもりがちになってしまったり、リストラをさ
れると必要以上に苦しんでしまうのも、「過度の自己執着」が心の奥底に潜んでいる
からではないかと、私には思えるのです。
 「自分は皆から嫌われる人間なのだ!」とか、
 「自分は会社で努めているべき人間なのだ!」
と、いうような、「自分で作り上げてしまった自分」に執着し、縛りつけられているの
ではないでしょうか?
 このように「過度の自己執着」は、悲劇の根源のように私には思えるのです。(こ
れもひとえに、私も自己執着の強い人間だから、そう思えるのです。)

                * * * * *

 自己を肯定し、生命を肯定するためには、「過度の自己執着」を捨て去らなければ
なりません。
 しかし自己執着を捨てることを、自己放棄や自己否定のように感じてしまうかも知
れません。そして自己執着を捨てることに、恐れや不安を感じるかも知れません。
(以前の私がそうでしたから・・・)
 しかしながら、これは自己否定ではないのです。過度の自己執着を捨て去ること
は、「自分勝手な思い込みによって、がんじがらめに縛られた自分」から解放される
ための、「自由の翼」なのです。
 「自分はこうあるべき人間なのだ」という呪縛から、自分を解放するのです!

 そしてまた、現在の自分は、いつまでも現在のままではありません。自分は常に、
刻々と変化しています。「一定不変の固定された自己」などというものは、存在しない
のが事実と思います。
 だから良い方向に努力をすれば、例えどんなに小さな変化であっても、必ず自分
は良い方向に変化して行きます。
 しかし、「固定された自己」に執着してしまうと、自分を変化させることが出来なくな
ってしまうのです。

 しかしながら一方で、自分は今現在の自分以外の、何者でもありません。だから、
今のあるがままの自分を素直に受け入れ、認めなければなりません。
 例えば、
 「今の自分はこれで良いのだ!」
 「今の自分はよくやっている!」
と、常に思うようにするのです。そして、くれぐれも、
 「自分は、こんなはずではない!」とか、
 「今の自分は自分ではない!」
と、いうような考え方をしてはいけません。それは、自己否定の行為そのものだから
です。
 「現在の自分」を常に認めなければなりませんが、しかし、「現在の自分」というもの
を固定してしまい、それに執着してもいけないのです。
 常に、あるがままの自分を肯定しながら、しかもそれに執着することなく、少しずつ
自分を良い方向へ変化させて行くようにするのです。

 過度の自己執着は、生命の肯定を妨げてしまいます。
 過度の自己執着を捨て去ることは、自己否定ではありません。真の自己愛
を持ち、生命を肯定するために必要なことなのです。




                    目次にもどる