原発について思うこと 3
2012年5月6日 寺岡克哉
5月5日に、北海道の泊(とまり)原発3号機が、定期点検のために
停止しました。これで、日本で稼動している原発がゼロになります。
しかし、前々回のエッセイ531でお話しましたように、首都圏や太平
洋ベルト地帯など、日本の経済や産業の主要部においては、その前
からすでに、事実上「ゼロ原発状態」だったのです。
だから日本の主要部にとっては、泊原発が止まっても、まったく関係
ないのですが、
しかしテレビなどのマスコミは、「泊原発の停止によって、日本で稼動
している原発がゼロになる」と、ずいぶん大げさに騒いでいます。
たしかに、国内のすべての原発が停止するというのは、ものすごく
異例の事態であり、日本にとって「歴史的な出来事」なのでしょう。
しかしながら、私は思ったのですが・・・
マスコミが、こんなにも「ゼロ原発」を騒ぎ立てるのは、もしかしたら、
「日本で稼動している原発がゼロになったので、電力不足が心配
だ!」
というように、国民の不安感を煽(あお)り立てて、「原発再稼動への
世論誘導」をしているのでは、ないでしょうか。
何となく、そんな気がしてなりません。
* * * * *
さて、前々回のエッセイ531に引きつづいて
原発について私が5年前に思っていたことと、いまの原発の状況を、
比べてみるという作業をやって行きます。
それによって、福島第1原発の事故が起こったことにより、原発という
ものの認識が、一体どれだけ変わったのかや、
原発をめぐる政府の動きについての不信な点などを、明確にして行き
たいと考えています。
まず、以下に、
原発にたいして、私が5年前にもっていた、おおよその認識を挙げて
おきます。
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(2007年5月27日付 エッセイ275より抜粋)
近ごろ、原子力発電所を増やそうとする動きが、どんどん活発になっ
ているように感じます。
しかもそれは、日本だけでなく、中国やインドでも原発を大規模に導入
しそうですし、またヨーロッパでも、原発化への動きが活発になっている
みたいです。
だからそれは、「世界的な動き」になりつつあり、このままでは原発に
押しきられそうな勢いです。
しかも今後さらに、その勢いが増して行くのは間違いありません!
私は何とかして、原発をこれ以上増やさなくても、「何とかなるよう
な状況」にするべきだと考えています。
なぜなら、使用済み核燃料などの「高レベル放射性廃棄物」が、世界
中でどんどん増えて行くからです。
それらは少なくとも、数千年の保存管理が必要なのです!
一体、そんな何千年も、もつような「容器」が存在するのでしょうか?
いまの人類が知っている物で、1000年以上もった容器は、せいぜい
「陶磁器」ぐらいです。しかしそれは、衝撃にとても弱い(すぐに割れて
しまう)ので、放射性廃棄物の容器としては使えないでしょう。
そしてまた、いったい誰が、その管理を維持すると言うのでしょう?
今で考えれば、「縄文時代」からずっと現代まで、維持管理を続けて
来ることに相当します。たとえ「国家」でさえ、そんなに長続きした例が
ないでしょう。
さらに原発は、放射性廃棄物の問題のほかに、「大事故」の起こる
心配がどうしても付きまといます。
たしかに、科学技術的には、だんだん安全性が増しているのだと
思います。
しかし、原発を運用する「人間」の側に問題があれば、科学技術
ではどうにもならないのです!
たとえば・・・
定期点検を怠ったり・・・
交換するべき部品を、交換しなかったり・・・
事故の発生を隠したり・・・
警報装置のスイッチを切ったり・・・
壊れた警報装置をそのままにしていたり・・・
人員をあまりにも削減したり・・・
少ない人員に、過酷な労働を強いたり・・・
経験不足な人員(アルバイトやパート)を現場に投入したり・・・
もしもそんなことが、将来いつかの時点から常態化して行われたら、
「大事故」が必ず起こってしまうでしょう。
そしてまた原発は、「テロの標的」や「軍事的な標的」にされる
心配もあります。
これらの問題は、いくら科学技術が発達しても、どうにもならないの
です!
それらを総合して考えると、まだ日本では大部分の人(原発を推進し
ている政財界の上層部でさえも)が、「原発の安全性」を十分に信頼
していないと思います。
その証拠に、たとえば東京などの大都市には、絶対に原発を作ろう
としないでしょう。
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前々回のエッセイ531では、上に挙げた内で、
5年前には、いきなり原発をゼロにするのは、とうてい無理だと思って
いたのに、
いざ実際に、原発がゼロになってみると、それほど大きな影響が出な
かったことについて、お話しました。
つぎに今回は、
使用済み核燃料などの「高レベル放射性廃棄物」が、
少なくとも、数千年の保存管理が必要なことについて、考えたいと思い
ます。
今でこそ・・・
「高レベル放射性廃棄物の放射能が、安全なレベルに下がるまで
には、10万年の時間がかかる」
と、マスコミなどで報道されるようになり、一般的に知られる所となりま
した。
しかし5年前では、
「高レベル放射性廃棄物を、いったい何年の間、保存しなければならな
いのか?」
と、いうことについて、調べようと思っても、まったくと言っていいほど情報
が無かったのです。
原子力関係の本(けっこう専門的なもの)を見ても書いておらず、イン
ターネットで調べても、なかなか見つりませんでした。
5年前にエッセイ275を書いたとき、「数千年の保管が必要」という記述
を、インターネットで見つけるまでに、かなり苦労した覚えがあります。
それほど、この問題はオープンに語られておらず、ものすごく強い、何ら
かの意思が働いて、たくみに隠蔽されてきたのだと思います。
ところが!
福島第1原発の事故が起こったことにより、
「高レベル放射性廃棄物の放射能が、安全なレベルに下がるまでに
は、10万年の時間がかかる」
ということが、ひろく一般に知られるようになったのです。
これも、福島原発の事故前と事故後における、ものすごく大きな「変化」
だと思います。
ところで、5年前に書いたエッセイ275では、「数千年の保存管理」と
いうのを、現在から過去へ投影してみると、
「縄文時代から、ずっと現代まで、維持管理を続けて来ることに相当
する」という、例え話をしました。
これと良く似た、例え話を使った記事が、私の地元紙の北海道新聞
に載っていましたので、ちょっと紹介したいと思います。
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(2012年4月10日付け、北海道新聞の第2面に載っていた図から
抜粋。ただし、年数の表記や説明文を、分かり安くするために一部
変更した。)
100000年前 ネアンデルタール人の時代
10000年前 縄文時代
1000年前 平安時代
100年前 レントゲンが放射線(エックス線)を発見
50年前 日本国内で原子力発電開始
現在
25年後 高レベル放射性廃棄物を地下300メートル以深
に埋める処分開始(予定)
100年後 地下処分場を閉鎖(予定)
1000年後 高レベル放射性廃棄物の放射能が3千分の1に
10000年後 高レベル後者製廃棄物の放射能が1万分の1に
(元のウラン鉱石と同じレベル)
100000年後 高レベル放射性廃棄物の放射能が3万分の1に
(安全とされるレベル)
(※年数は、おおよその目安です。)
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上の表をみると、10万年前といえば、現在では絶滅してしまった
ネアンデルタール人が生きていた時代です。
このことから類推すると、今から10万年後には、私たち現生人類
も絶滅しているかもしれません。
つまり、高レベル放射性廃棄物の問題とは、人類が責任を負える
問題ではないのです。
というよりは、むしろ、
人類が存在している間には、おそらく解消することが出来ないので、
「人類にとっては、未来永久に付きまとう問題だ」と、言うことができ
るでしょう。
そんな、人類の手に負えない「高レベル放射性廃棄物」を、
原発を稼動することによって、これからも増やし続けるというのは、
やはり、ものすごく大きな問題だと思います。
* * * * *
ところで!
福島第1原発の事故によって、「メルトダウンした核燃料」や、高レベ
ル汚染水をろ過した「使用済みフィルター」などの、
「高レベル放射性廃棄物」が大量に発生しました。
そのため、「高レベル放射性廃棄物」の保管問題が、けっして
先延ばしのできない、さしせまった「現実問題」となってきました。
福島の原発事故が起こる前には、
高レベル放射性廃棄物を、10万年にも渡って保管しなければなら
ないという、
「最終処分場」の問題については、リアルな現実として、実感する
ことが出来ませんでした。
しかし今後は、
「最終処分場をどこに作るのか?」とか、「最終処分場の安全性は
どうなのか?」という問題を、
とてもリアルに、非常に多くの人々が、実感するようになって行くで
しょう。
そうなれば、
「やはり、これ以上、高レベル放射性廃棄物を増やすことは
出来ない!」
「そのためには、やはり”脱原発”を目指すしかないのだ!」
ということが、大多数の人々に理解され、支持されるようになって
行くだろうと思います。
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