原発について思うこと 2
2012年4月22日 寺岡克哉
いま現在、政府は、
ものすごく躍起(やっき)になって、原発を再稼動させようとしています。
それに対して私は、ものすごく強烈な違和感というか、胸が悪くなる
ような非合理さというか、
ある種の、とても強い憤り(いきどおり)を、どうしても感じてしまうの
です。
それがどうしてなのか、何だか漠然として、はっきりせず、モヤモヤ
していて、イライラするので、
ここで少し、その理由を掘り下げて、はっきりさせたいと思いました。
* * * * *
ところで、なぜ私が、「強烈な違和感」や「とても強い憤り」を感じるの
かといえば、
それは、「原発」というものに対する私の認識。つまり原発に対する、
私なりの考え方や感じ方と、
いま政府がやろうとしていることとが、私の心の中で、はげしく衝突
しているからだと思いました。
なので私は、
これまで原発に対して、どんな考え方を持っていて、どんな感じ方を
していたのか、まず探ってみることにしました。
そうすると・・・
今から5年ほど前に書いた「エッセイ275」に、私の原発に対する考え
方や感じ方を、けっこう的確に表現している文章がありました。
この「エッセイ275」は、地球温暖化対策のために、温室効果ガスの
排出を減らさなければならないと言うことで、
世界的に原発推進の流れが強くなり、危機感を覚えたときに書いた
ものですが、以下はその抜粋です。
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(2007年5月27日付 エッセイ275より抜粋)
近ごろ、原子力発電所を増やそうとする動きが、どんどん活発になっ
ているように感じます。
しかもそれは、日本だけでなく、中国やインドでも原発を大規模に導入
しそうですし、またヨーロッパでも、原発化への動きが活発になっている
みたいです。
だからそれは、「世界的な動き」になりつつあり、このままでは原発に
押しきられそうな勢いです。
しかも今後さらに、その勢いが増して行くのは間違いありません!
私は何とかして、原発をこれ以上増やさなくても、「何とかなるよう
な状況」にするべきだと考えています。
なぜなら、使用済み核燃料などの「高レベル放射性廃棄物」が、世界
中でどんどん増えて行くからです。
それらは少なくとも、数千年の保存管理が必要なのです!
一体、そんな何千年も、もつような「容器」が存在するのでしょうか?
いまの人類が知っている物で、1000年以上もった容器は、せいぜい
「陶磁器」ぐらいです。しかしそれは、衝撃にとても弱い(すぐに割れて
しまう)ので、放射性廃棄物の容器としては使えないでしょう。
そしてまた、いったい誰が、その管理を維持すると言うのでしょう?
今で考えれば、「縄文時代」からずっと現代まで、維持管理を続けて
来ることに相当します。たとえ「国家」でさえ、そんなに長続きした例が
ないでしょう。
さらに原発は、放射性廃棄物の問題のほかに、「大事故」の起こる
心配がどうしても付きまといます。
たしかに、科学技術的には、だんだん安全性が増しているのだと
思います。
しかし、原発を運用する「人間」の側に問題があれば、科学技術
ではどうにもならないのです!
たとえば・・・
定期点検を怠ったり・・・
交換するべき部品を、交換しなかったり・・・
事故の発生を隠したり・・・
警報装置のスイッチを切ったり・・・
壊れた警報装置をそのままにしていたり・・・
人員をあまりにも削減したり・・・
少ない人員に、過酷な労働を強いたり・・・
経験不足な人員(アルバイトやパート)を現場に投入したり・・・
もしもそんなことが、将来いつかの時点から常態化して行われたら、
「大事故」が必ず起こってしまうでしょう。
そしてまた原発は、「テロの標的」や「軍事的な標的」にされる
心配もあります。
これらの問題は、いくら科学技術が発達しても、どうにもならないの
です!
それらを総合して考えると、まだ日本では大部分の人(原発を推進し
ている政財界の上層部でさえも)が、「原発の安全性」を十分に信頼
していないと思います。
その証拠に、たとえば東京などの大都市には、絶対に原発を作ろう
としないでしょう。
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上の、私が5年ほど前に持っていた考えを、今いちど確認してみて、
まず最初に気がついたことがありました。
それは、いまの今まで、ほとんど意識していなかったのですが、じつ
は私は、「驚き」を感じていたということです。
その驚きとは、「原発がゼロになっても、こんなに影響が無いと
は思わなかった!」というものです。
たとえば5年ほど前は、「原発をこれ以上増やさなくても、何とかなる
ような状況にする」というのが、「死守するべきライン」だと考えていま
した。
耐用年数が経ち、寿命となった原発から、順次廃炉にして、だんだん
と原発を減らしていくこと。
その一方で、太陽光発電などの再生可能エネルギーを大々的に普及
させて行くのが、現実的な路線だと思っていました。
いくらなんでも、いきなり原発をゼロにするのは非現実的で、とても
不可能だと考えていたのです。
ところが!
いま現在の状況は、日本全国すべての原発のなかで、北海道の泊
(とまり)原発3号機の、たった1基だけが稼動しているという有様(あり
さま)で、
首都圏や太平洋ベルト地帯など、日本の経済や産業の主要部に
とっては、すでに事実上、「ゼロ原発」の状態になっています。
しかし、それでも、
日本の経済や産業が「壊滅状態」になっているわけでも、「極度の
衰退」をしているわけでもなく、
日本国民は、いたって平穏無事に、日々の生活を送っています。
「原発がゼロになっても、こんなに影響が無いとは思わなかっ
た!」
5年前の状況下で私が思っていたことと、いまの現実を比べてみて、
そのような「驚き」が、私の心の中にあったという確認ができたのです。
このように、
日本は原発がゼロになっても、とりあえず何とかやって行ける
ことは、すでに「証明済み」になっています!
それなのに政府は、「電力不足」を理由にして、原発の再稼動を
急ごうとしているのです。
私が、政府のやり方に「強烈な違和感」を感じている、いちばん
大きな理由は、「これだ!」と思いました。
* * * * *
政府が躍起(やっき)になって主張する「電力不足」について、
再稼動を急いでいる大飯(おおい)原発がある、関西電力管内
の場合を例にとって、
もうすこし具体的に見ていきましょう。
4月9日。
政府は、関西電力管内のすべての原発が停止したままで、
2010年なみの猛暑になった場合、電力の供給不足が、最大で
19.6%に達するという試算結果をまとめました。
昨年なみに節電が行われて、電力の需要が抑えられたとしても、
7.6%の不足になるといいます。
(※4月13日の政府による再試算では、中部電力から夜間電力の
融通増加が見込まれることなどから、2010年なみの電力需要
になった場合は18.4%の不足、昨年なみでは5.5%の不足と、
下方修正しています。)
ところが!
4月12日付けの共同通信では、以下のような報道がされている
のです。
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(4月12日付け共同通信、「【電力不足は計58時間】 今夏全体の
2.8% 関電 原発ゼロ時」 という記事からの抜粋)
関西電力の全原発停止が続いた場合、電力需要が昨年並みだと、
今夏に電力が足りなくなるのは計58時間で全体の2.8%となり、
ほとんどの時間は電力不足を回避できる可能性があることが関電の
公表データから11日分かった。
関電は今夏の需要見通しで、原発ゼロの場合の供給力は2574万
キロワットとしている。昨夏の電力使用量が最大だった8月9日午後
2時の2784万キロワットに対し、210万キロワット不足すると主張し
ているが、夏の間、ずっと不足するわけではない。
そこで関電が公表している昨夏(6月30日〜9月22日の85日間)
の1時間ごとの電力使用実績データ(速報値)から電力不足となる
時間を調べた。
2574万キロワットを超えたのは12日間で計58時間。85日間
(2040時間)の2.8%に当たる。8月9日は1日のうち2574万キロ
ワットを超えたのは10時間、翌10日は8時間、他の10日間は1日
3〜5時間。それ以外の全体の97%以上の時間は、下回っていた。
2574万キロワットを上回っていたのは昼ごろから夕方が中心だが、
午後0〜1時は使用量が減り余裕がある日があった。操業時間の
工夫などで需要を抑える余地があることがうかがえる。
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電力不足になるのは、1年間(8760時間)のうちで、たった
の58時間!
つまり工場など、電力の大口需要先の、操業時間や夏季休業など
を工夫して、その58時間だけ、何とかやりすごせば良いのです。
たしかに、2010年のような猛暑になったら、電力不足になる時間
が、もう少し増えるかも知れません。
しかしながら、夏の間ずっと、電力不足になる訳では、決して
ありません!
ところが政府は、
電力不足になるのは、1年間の全体からすれば、ほんの少し
の時間だという「事実」を、
まったくと言っていいほど、国民に説明していません。
これも、政府のやり方にたいして、違和感を覚えることの一つです。
こんなことなら・・・
「エッセイ275」で提言したとき、つまり5年前から、着々と太陽光
発電を普及させていれば、
べつに大規模な太陽光発電所(メガソーラー)でなくても、一般家屋
や、ビルや工場の屋根に太陽電池を取りつけて行くだけで、
現在すでに、原発が無くても、けっこう余裕のある状況に、恐らく
なっていたかも知れません。
とくに太陽電池は、昼間のカンカン照りのとき(つまり電力需要
がピークのとき)にこそ、よく発電をして威力を発揮するのです。
しかし、今からでも、決して遅くはありません!
これから着々と、太陽光発電を増やして行けば、その分だけ確実に、
電力供給に「ゆとり」が出来ていくことでしょう。
* * * * *
今回ここで、お話したことの他にも、
原発にたいする政府のやり方に、いろいろと違和感を覚えることが、
多々あります。
それらについては、また後の機会にでも、お話したいと思います。
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