専門家は知っていた!
2011年7月31日 寺岡克哉
前回のエッセイでも、すこし触れましたが・・・
福島第1原発の事故では、
1号機、2号機、3号機のすべてで、メルトダウン(炉心溶融)
が起こり、
とくに、いちばん早く、それが起こった1号機は、
東日本大震災が発生してから、たったの5時間後に、
メルトダウンしていました。
しかしながら、そのような分析結果を、
経済産業省の原子力・安全保安院が発表したのは、
6月6日のことです。
つまり、
東日本大震災が発生したのは3月11日なので、
その後、3ヶ月近くも経ってから、
震災直後にメルトダウンしていたことを、公表したわけです。
私たち国民、とくに福島第1原発の周辺に住む人々は、
そのような、ものすごく深刻な事態になっていた事実を、
まったく知らされることがありませんでした。
もしも、
メルトダウンにともなって、大爆発が起こっていたら・・・
原発の周辺に住む人々は、なにも知らないまま、
大量の放射線を被曝したかも知れないのです。
このことについて、
私はつねづね、疑惑を感じていることがあります。
つまり、震災が発生した直後において、
メルトダウンが起こる可能性が、十分に考えられたにも
拘(かか)わらず、
わざと、それを隠蔽(いんぺい)していたのではないか?
と、いうような疑惑です。
* * * * *
最近、
この疑惑に対する、1つの解答に出会いました。
それは、
「原発はいらない (幻冬舎ルネッサンス新書 小出裕章 著)」
という本です。
この本の、36〜37ページには、次のように書かれていました。
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3月12日に枝野幸男官房長官が記者会見で、「1号機の原子炉
圧力容器の水位が下がった」と述べました。
専門家なら、誰でもこれが危険な兆候であると判断して当然です。
にもかかわらず、そのあとNHKのニュースで東大の関村直人
教授が、「原子炉は停止したが、冷却されているので安全は確保
できる」といった意味のことを発言したのです。
これに対し、(元京都大学原子炉実験所助教授)の海老沢徹さん
は、次のように反論しています。
「関村さんの発言には唖然(あぜん)としましたよ。」
「炉の冷却ができなくなってから100分くらい経つと水位が低下し
はじめ、その後20分くらいで燃料棒を覆う被覆菅が融けて燃料が
顔を出す。」
「やがて炉心溶融に向かうのは、スリーマイルの事故報告書を
見ればはっきりと書いてある。」
「研究者なら当然知っているはずなんですよ。」
「関村さんの話を聞いて、『この段階で何を言っているのか』と思い
ました。
※ 原発はいらない(幻冬舎ルネッサンス新書 小出裕章 著)より
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この記事をみて、
やはり、専門家は知っていたのだ!
と、私は思いました。
原発の推進に否定的な、反体制の科学者だけでなく、
原発を推進させるための「御用学者」でさえも、
原子炉の冷却機能が停止すれば、直ちにメルトダウンが起こる
可能性があることを、
「スリーマイル原発事故」という、実際にあった過去の経験から、
十二分に認識していたはずなのです。
それなのに、
原発推進派の学者たちは、それを「隠蔽」していたわけです。
* * * * *
ところで6月6日の、原子力安全・保安院の発表によると、
1号機の場合、
炉心の露出が開始したのは、3月11日の16時40分ころ。
炉心の損傷が開始した(メルトダウンが開始した)のは、同日の
18時ころ。
圧力容器に破損が生じた(つまり完全にメルトダウンした)のは、
同日の20時ころです。
しかし一方、3月11日の19時03分に、
政府が「原子力緊急事態宣言」を発令しましたが、
このとき官房長官は、「避難の必要はない」としていました。
ところが、
その時点ですでに、メルトダウンが進行していた!
わけです。
もしも、
政府側近の原発研究者が、「正しい提言」を行っていたら、
もっと早い段階で、避難指示を出すことが、できたはずです。
(政府が、福島第1原発の3キロ圏内に避難指示を出した
のは、3月11日の21時23分。)
そうすれば、
原発周辺に住む人々を、このような危険な目に、
合わさずに済んだはずなのです。
この意味で、
原子炉の冷却機能が喪失してしまったら、
直ちにメルトダウンの起こる可能性があることを隠蔽
した、
原発推進派の御用学者たちには、
「大きな過失責任がある」と、言わざるをえません!
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