ソフトウエアの大切さ 2003年1月26日
生命の「ハードウエア」と「ソフトウエア」とでは、どちらが生命にとって大切でしょう
か?
確かに、これらは両方とも大切です。この二つがそろわなければ、生命は成り立
たないからです。
しかし、人間の生命の場合は、「ソフトウエア」の方が圧倒的に大切だと、私
は考えています。
もちろん、ハードウエア(肉体)が機能しなければ、生命は成り立ちません。まず、
肉体が生きて活動できる状態になければ、どのような生命活動も行えないからで
す。
だから、衣食住の物資が不足して餓死や凍死の危機を招いている場合は、まず
第一に、ハードウエアの維持が最優先課題になります。
事実、今までの人類史では、大半がそのような状況でした。現在においても発展
途上国の一部では、そのような状況がまだ続いています。だから人類は、ハードウ
エアを維持すること、つまり生活物資の充足や、医療技術の発展に心血を注いで
来たのです。
今まで人類の多くは、生命のハードウエアさえ充足させれば、幸福が得られて平
和に生きられると考えて来ました。「衣食足りて礼節を知る」という言葉を、信じて
疑わなかったのです。
昔のように、争いや殺し合いをしなければ食料が手に入らない状況がたびたび起
これば、「衣食さえ足りれば皆が幸福になれるのに!」と、考えるのも無理はありま
せん。
人類は、そのような考え方の延長として、科学技術と商業経済を大きく発展させて
来ました。つまり科学技術によって商品を大量に生産し、商業経済によってそれを
大量に流通させたのです。そしてつい最近までは、そのやり方が非常によく成功し
ていました。
だから現代では、「人間の生命の幸福とは、ハードウエアの充足である」と、いう
考え方が、勢力を占めています。簡単に言えば、「金と物と健康を多く手に入れれ
ば、幸福が実現する!」と、いう考え方が、人類の多くを支配しているのです。
お金を儲けることに狂奔したり、色々な健康食品や健康法がブームになるのも、
それを象徴しているように思います。
つまり今はまだ、「ソフトウエアより、ハードウエアの方が大切だ!」という
考え方が、人類の大半を占めているのです。
しかし一方で現代は、昔のような飢餓や病気に対する恐怖がなくなり、「ハードウ
エアの充足によって、無条件に幸福が得られる訳ではない!」と、いうことに、多く
の人が気づきはじめています。
衣食住が十分で、体の健康が保たれている状態。つまりハードウエアとしては何
の問題がない状態であっても、「ソフトウエア」に問題があれば、人間は生きること
が出来ないのです。
例えば、いじめを苦にしての自殺や、自己否定に取り憑かれて自殺をしてしまう
のが、その典型的な例です。これらの人たちは、ハードウエアの維持に何の支障
がないにも拘らず、生命を維持することが出来ないのです。
また、会社の倒産やリストラ、借金を苦にしての自殺の場合であっても同様です。
これらの人たちは、お金がなくて生活物資が不足し、ハードウエアの維持が出来
ないから死ぬのではありません。なぜなら、これらによって餓死や凍死をする人
は皆無だからです。だからこれらの人たちも、ハードウエアとしては何も問題が無
いのに、生命を維持することが出来ないのです。
また、幼児虐待による暴行死や、親から食事を与えられないことによる餓死、理
由の分からない通り魔殺人など、これらの心の荒廃も、物質的に豊かで衣食住の
心配のいらない、現代の日本で起こっているのです。
以上のように、ハードウエアの維持に十分な条件が整っていても、人間の場合は
死者が出るのです。これは、人間以外の動物では考えられない現象です。
だから、物質的に豊かな先進国に住む人間においては、「生命のソフトウエアが
正常であるかどうか」が、生命を維持できるかどうかの根本問題になっている
のです。
もっと視野を広げると、戦争や大量殺戮の問題があります。農民一揆などの内乱
を除けば、「このままでは餓死するから」という理由の戦争は、ほとんど見あたりま
せん。それどころか、国力が増大すると返って軍備が強化され、他国を侵略する向
きさえあります。
つまりハードウエアが充実することによって、返って大量の死者を出すのです。だ
からこれは、明らかにソフトウエアの問題です。
そして現代では、原子爆弾などの大量破壊兵器が実用化され、まさに「人類のソ
フトウエア」の良し悪しが、人類全体の存続を決定するようになってしまいました。
ところで、発展途上国で餓死者が出たりするのも、「人類のソフトウエア」に問題
があるからです。これは、食料などの生活物資が不足しているのだから、一見す
るとハードウエアの問題に思えます。
しかし、人類の能力を本当に駆使すれば、最低限に必要な生活物資は全人類
に行き渡るはずです。地球レベルで富が偏っていたり、地域紛争を起こしたり、正
しい教育や良識が、先進諸国も含めて全人類に浸透していなかったりするために、
この問題は起こっているのです。だからやはり、これも「ソフトウエア」の問題なの
です。
また、大規模な地球環境の破壊も、「人類のソフトウエア」に問題があるから起こっ
ています。
これも一見すると、ブルドーザーやタワーシャベル、クレーン、ダンプカー、トレー
ラーなどの、機械力の増大が原因のように思えます。確かに、これらの機械力が存
在しなければ、大規模な開発を行うことは出来ません。
しかしながら、機械力を既に持ってしまった人類には、もはやソフトウエアで対処
するしか方法が無いのです。もしも機械力を全て放棄したら、農業生産も食品の流
通も滞ってしまい、何億人もの餓死者が出てしまうからです。
現代の人類には、今ある絶大な機械力を、ソフトウエアによって上手にコントロー
ルするしか手が無いのです。
もしも、人類が無制限に地球環境を破壊するならば、地球の生態系は壊滅してしま
います。人類のみならず、地球の生命全体の死活問題が、「人類のソフトウエア」の
良し悪しにかかっているのです。
ところで、機械や兵器を人間の手足の延長と考えれば、人間は絶大な威力を持つ
ハードウエアを手に入れたことになります。
だから現代では、「人間のソフトウエアのちょっとした狂いやミス」が、多大で
深刻な影響を及ぼすのです。
例えば原始時代では、かなり強い怒りの感情を持ったとしても、なかなか人を殺す
ことは出来ませんでした。闘争の手段が、素手や棒で殴り合うだけだからです。
そして殴り合っているうちに、お互いに体力を消耗して怒りが和らぎ、和解の可能
性が出てきます。体力を消耗すると怒りが和らぐのは、それ以上闘争を続けるのが
「お互いにしんどい」からです。
しかし現代では、もしもピストルなどを持っていれば、ちょっとむかついただけでも
簡単に人を殺せてしまうのです。
闘争に時間がかからず、相手が直ぐに死んでしまいます。また、体力を消耗しない
ので、心が和らぐ可能性もありません。つまり、相手が死ぬ前に和解する余地がほ
とんどないのです。
原始時代では、闘争にかなりの体力を消耗するため、怒りの感情もかなり強いも
のでないと、闘争に勝てなかったのかも知れません。そして、そのような強い怒りの
感情を持ったとしても、簡単に人が死ぬことは無かったのだと思います。
しかし現代では、ちょっとした怒りの感情を持つだけで、簡単に人が死んでしまう
のです。車の暴走行為による事故死なども、その典型的な例だと思います。つまり、
ちょっとしたソフトウエアの狂いやミスが、多大な影響を与えてしまうのです。
戦争による大量破壊兵器の使用や、大規模な地球環境破壊の場合では、なおさ
らです。今後なお一層の、「人類のソフトウエアの正常化」への努力が必要と思い
ます。
現代人においては、「生命のソフトウエア」が正常であるかどうかが、生命
を維持できるかどうかの根本問題になっています。
そしてさらに、「人類のソフトウエア」が正常であるかどうかが、人類全体と
地球の生命全体の死活問題になっています。
これからの人類は、ハードウエアの充実よりも、ソフトウエアの充実と正常
化に力を注ぐべきだと思います。
目次にもどる